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【連載】渥美清さんと私(五十嵐敬司)... 新人の頃よく先輩から、「喜劇俳優は気難しい性格の人が多いから応対には特に気をつけるように」と注意されたことを思い出す。 スクリーンの明るい芝居の陰で普段は生真面目で怖い人が多かったのは事実である。 それにひきかえ渥美さんは私にとっては聖人君子のごときと言っても大げさでない存在だった。それだけに尊敬しつつ距離をおいて対していたとも言える。
『おったまげ人魚物語』(監督:堀内真直,1962年)という松竹京都作品だった。 房総の漁村が舞台の喜劇映画である。当時は何もよくわからず、機転もきかず監督や先輩に怒鳴られ右往左往している助監督の私は俳優さんと言葉をかわすなど考えられない雰囲気だった。 撮影済みのラッシュを見るのだが渥美さんの出ているシーンは何度見ても面白くて、そのロールの仕上げ作業が楽しかったのを覚えている。 銀二と名乗る綱元の運転手が渥美さんの役である。町の旅館の嫁さんヒナ子と仲良くなり金を騙し取り一方では若い海女を誘惑して妊娠させてしまう。金を持出した嫁さんは捨てられたと知り投身自殺。銀二は相当な悪なのである。 「なあヒナちゃんよ、俺と一緒に東京さ行くベ。東京で小さな店でも出して真面目に働くベ」 「東京へ......でも」 「でも......どうしたのさ、ヒナちゃん」 「お金いるんでしょ」 「お金なんて......いるけどよ。ヒナちゃん、俺もいくらか都合して行くからな、出来たらヒナちゃんもいくらか持って来てくれたら助かるんだけどなぁ」 「金なんて......」と顔をそらし、次いで目をキラリと光らせ相手を見つめる悪党銀二の芝居はドタバタ喜劇の中でピリリと辛く唯一存在感があった。 63年の映画界は斜陽のスピードを増した。時代劇はコスト高と客離れで製作本数が減り京都撮影所のスタッフは暇になった。いっとき燃え上がったヌーベルバーグは退潮期にあったが大船では『拝啓天皇陛下様』などの作品が作られ渥美清は主役の座についた。 仕事のなくなった京都の助監督は研修目的で大船作品につくことになる。勿論お客様扱いである。私も大船の門をくぐって『女弥次喜多タッチ旅行』(監督:上村力,1963年)についた。この作品に渥美さんが出ていた。 OL三人娘が社内の男性たちの横暴に対抗して三人一緒に休みを取ってみちのくの旅に出る。宮城、岩手、青森、秋田とかなり無茶なロードムービーである。 渥美さんは道中チンピラにからまれる三人娘を助ける虚無僧に扮して出る。後段秋田の旅館の番頭として身分を明かす。実は夏になると沖縄戦でなくなった戦友を弔うため僧形で旅に出ているのだという。場面は少ないが次々に登場する男性の中では一番まともな役である。この映画、最後は男も女も共存しなければならないという平凡な結論のミュージカルになり凹と凸の張形を捧げ持った男女が歩み寄るという驚くべき大円団を迎えて終わるのだった。 |