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フーテンの寅さんの名啖呵で知られる帝釈天も昭和47年2月には信徒会館なる近代的な建物に模様替えされるし、帝釈天門前の店も平屋作りから二階、三階建てになって一新され、すっかり観光化されつつある。 山田洋次監督も「寅さんは古きよき東京、葛飾・柴又を舞台に生れた人物。第一作当時はいまよりずっと人通りも車も少なかったし、全体にローカル色があったんですが・・・」と土地の発展の早さにびっくりしている。 また、新春正月には国鉄の"ディスカバー・ジャパン"にも、日本の観光地として登場するなど、帝釈天も映画「男はつらいよ」で売りに売りまくられてしまったのである。 昔から帝釈天といえば、老人の信者でにぎわったところだが、今では土、日曜ともなれば、かえって若い男女がアベック・コースとして訪れる。 それもこれも、いつの間にか出来てしまった「寅さんプロムナード」なる散歩道を探索(?)するためであろう。このプロムナードは、京成線柴又駅→門前通り→帝釈天→江戸川→矢切りの渡し→伊藤左千夫の小説で知られる「野菊の墓」と田園情緒豊かな格好のコースである。 これほど一般に膾炙(かいしゃ・・広く知れ渡るの意)されると、寅さんが久し振りに帰ってみたら、柴又があんまり変わっているので、また放浪の旅に出かけてしまうという悲しみの声さえあるし、寅さんこと渥美清は、「映画の功罪いろいろです。でも柴又がどんなに変ったとしても、トラの性格は変りません。ふるさとがなくなっても、トラは生きていくでしょう」と言っているが、寅さんが帰るところがなくなったら、この映画のストーリーもどうなるのかと心配するファンの声もあるほど。なにせ、いずれにせよ "寅さんはつらいよ" というものです。 ← 後半意味不明(^^;)。基本的に今も言っていることが変わらない(^^;) 柴又帝釈天門前にある老舗たちは、庚申の日の宵宮には絶対にセックスはしないといわれている。いや、してはいけないという戒めがある。 宵宮とは帝釈天の大祭日である庚申の日(二ヶ月に一日あり、昭和46年度は2月4日、6月4日、8月3日、10月2日、12月1日)の前夜をさしていう。 昔の信者は宵宮から押しかけて、それぞれ門前の店で夜を明かし、十二時の鐘を合図にわれ勝ちにと帝釈天に参詣したといわれている。 二ヶ月に一度の庚申の日に、門前の人たちは商売にいそしみ、宵宮からその日が終わるまで、一睡もしないでお客の接待に専任する。もちろんその日はセックスどころではないのだが、「めしを食べて直ぐ寝ると牛になる」というタトエと同じように、「宵宮にセックスをすると、ワニの子が生れる」といって戒めをしているのである。いまどきフリーセックスを謳歌する若人たちには、ナンセンスなことだが、帝釈天門前の人たちは、それだけ働き者が多いということにもなる。 ← なんというか・・・笑える。しかし、もしかして寅次郎は宵宮の仕込みだったのかもね(^^;)。 「男はつらいよ・うちあけ話」の著者で有名な元松竹宣伝担当の池田荘太郎さんの "寅さん課" が松竹に新たに設置されたのもこの作品からです。その "寅さん課" の仕事の一つに、当時の国鉄がPRした "ディスカバー・ジャパン" というCMに寅さんが起用された―――というのがあります。この運動は「日本人の意識改革」という御大層な考えが柱にあったそうですが、ま、換言すれば「電車使って国内旅行しましょう」というよな内容です。
で、著書の中では「ポスターは寅次郎夢枕(10作)のワンシーンで八千草薫を起用した」と書いてありますが、これは間違いで、本当はこの『男はつらいよ・寅次郎恋歌(8作)』のワンシーンを使ったポスターが3000枚印刷され全国の国鉄の駅に貼られたのが最初です。使われたシーンは、帝釈天の門前でたたずむ池内淳子さんと渥美さん、倍賞千恵子さんの写真がそのまま使われました。この国鉄(現在のJR)と映画会社がタイアップするポスターというのは当時ではかなり珍しく、寅さんが歴史上初めてなんて説もあります。元来、日本人は旅行好きなんですよ。そして、さすらいの人生に郷愁のようなものをもっている。おまけに、私のような社会から一歩はみ出した、アウトローに一種あこがれをもっている。考えてみれば、管理社会の中の歯車の、切ない願望ということでしょうか。 おや、風が出てまいりましたね。つい、口はぼったいことを申しました。これから? 暖かい南へ足を向けますよ。来年も "寅どし" でありますように、って。ハハ・・・・"寅どし" は結構、結構毛だらけ猫灰だらけ・・・・・。 ← やっぱ映画の宣伝も兼ねていたのね(^^;) |