■ひろぽん回想録 (一部フィクションです)
僕がネットに入り浸るようになったのは、そう、もう5年以上も前(1993年末)になりますか。まだ、インターネットが普及していなかった時代ですから友人の誘いもあって「面白いソフトが手に入るぞ」なんて言われたのがきっかけなんです。そうして入ったのは当時2番目に大きなパソコン通信のニフティサーブでした(※当時の1番はPC−VANだったと思う・・)。だから一番最初に入会したフォーラムがFGALとFWINFと何故かFEPSONいうソフト系だったんです(^^;)。で、その時だったか、ついでにってなつもりでFMOVIEっていう映画のフォーラムに入会したことが、今思うと全ての始りでした。
でも、この頃は他の(ニフティ以外の)ネットにも入り浸っていたので、ホストの仕様が異なるニフティは使い方が良く分らなかったということもあって「ソフトのダウンロードはするけど書き込みゼロ」っていう困ったちゃんでした(^^;)。
で、昔のニフティはアクセスしない限り課金が発生しないという完全従量制だったことをいいことに、いつしか、まったくニフティにアクセスしないという日々が一年以上続いたのです(^^;)。
しかし、年も新たまった頃、夢枕に寅さんが立って「君がソレを建てれば彼はきっと来るだろう」とありがたいお告げを頂いたのでした(※まだ、渥美さんが亡くなる前です。念のため)。でも、僕にはソレがどんな意味なのか判らず、また、彼が誰なのかも判らず「取りあえずニフティを巡回しよう」という気になったのです。
でも、当時、日本映画を扱う会議室は全フォーラムで一つしかなくて、しかたなく一年以上も前に入会したFMOVIEを早速覗くことにしたんです。しかし、トヨエツの話はあっても寅さんの話題は見付からず。ついでに、一週間に一回巡回すれば十分という混雑ぶり(^^;)で、思わずソフトのダウンロードでもして気を紛らわそうと思ったのです。そうしたら、ほんの1年ほど前に特設でやられていた「オール・ザット・寅さん」というログを偶然見付けたのです。この『寅次郎の縁談(46作)』の公開記念企画の過去ログには私の先輩のネット寅フェチ(※造語)が数名見受けられました。この時「寅さんは不滅だ」と思ったことは言うまでもありません。しかし、なかなか発言する機会と勇気がなかった僕は、受け身に徹するべくひたすら、ただひたすら【応援、ニッポン映画】のROMを続けました。そうして、一年が過ぎ去った(爆)ある日、小薗さんという「いかにも名前じゃん」ってなハンドルの方が「寅さん」という発言を遂にしたのです。この時、僕の心拍数は200を越え(^^;)、手に汗しながら即レスしました。
しかし、寅さんは膨大な数の邦画の中の一作品なのでほどなく撃墜(意味不明)。鎌倉シネマワールドがオープンしたという時期も重なって、「じゃあ僕が寅さんの話題をすればいいんだ」という頭の悪い結論にようやく辿り着いたのでした。1995年のことです。
そうして一年も過ぎると「寅さん」と一言でもネットに書こうものなら膨大な量の即レスを書き元発言者が呆れてしまうという恐怖のとほほ大王として皆から恐れられるようになりました(うそと思いたい)。その後、やんごとなき事情でFMOVIEが無くなってしまい、困った状態に陥ったこともありましたが、邦画だけの専門フォーラムFJMOVIEが新たに発足。ついでに【にこにこ山田村】の建設。そうして彼等がやってきたのでした。
めでたしめでたし(^^)