
「山田洋次の軌跡」連載第11回
第11話「喜劇・一発勝負」
<概要>
この「喜劇・一発勝負」から、ハナ肇と山田洋次のコンビ作は「一発」シリーズとでも言うべき三部作が作られている。それは初期の「馬鹿」シリーズと一見似た形であるようでもある。が、「一発」シリーズは今の山田洋次とは違う資質を見せている点において、注目に値する作品であろう。これから「喜劇・一発大必勝」までの作品は、その点を掘り下げてみたい。
<ストーリー>
田舎町の老舗の旅館の息子孝吉(ハナ肇)は、まだ学生の時分で妾をつくり、そのことで父(加東大介)と大喧嘩をし、家を飛び出してしまう。
孝吉が家を飛び出して1年後、ある女性が孝吉の娘を連れて旅館を訪ねてくる。
娘のまり子は孝吉の父の子として家に迎え入れられる。
10年後には孝吉の母も亡くなり、一周忌の法要が行なわれている頃、孝吉が家に帰ってきた。父も妹の信子(倍賞千恵子)も孝吉が帰ってきたことに戸惑うが、その時に旅館にやくざが来たのを追い返したことで、周りから一目置かれ、家に居座ってしまう。
孝吉はちんぴらの舎弟二人(犬塚弘、桜井センリ)とともに怪しげな事業を始める。三人は胡散臭い地質学者山口(谷啓)を巻き込んで、温泉を掘り当てるためにボーリングをしようというのだ。
孝吉は色々なところから借金をし、町の人間達に迷惑をかけるが、そのたびに尻拭いをするのは孝吉の父であった。
孝吉を唯一信じていたのは、ばあや(北林谷栄)だけだった。孝吉は父のいない隙に、ばあやを使って蔵にあった家宝を盗んでしまい、ボーリングの資金としたのだ。ばあやもついに責任を感じて田舎に帰ってしまった。
ばあやも信子も、ついに舎弟たちも孝吉を見放して去っていこうとしたとき、ついに孝吉は温泉を掘り当てたのだった。
三年後、ばあやを連れ戻した孝吉は成功して金持ちになった姿を自慢げに見せるのだった。
ところがまり子が、東京の若者(堺正章、井上順)と東京に行きたいといいだした。孝吉の父は必死に止めるが、孝吉は行かせてやろうとする。つい、孝吉の父はまり子が孝吉の娘であることを喋ってしまう。それを聞いた孝吉はまり子を止めようとするが、まり子は行ってしまう。孝吉はまり子を親不幸者となじるが、孝吉の父はその言葉を聞いて「今頃気づいたか!」と狂ったように笑うのであった。
<解説のような感想>
救いがない。
この作品のラストには「寅さん」以降の山田洋次では見られなくなってしまった「救いのなさ」にあふれている。
「寅さん」にあっては、どのような失恋や失敗を寅次郎が行なっても、最後は晴れがましい祭りのシーンなどで終わらせる。もちろんそうすることで観客を快く劇場から出ていけるようにとの演出であることは、山田洋次自身が語っているとおりである。
しかしこの作品の加東大介のラストの狂気の笑い(まるで死人のようなメイクである)にそのような意図とは正反対のものである。
それ以外のコミカルな部分でも、ボーリングのために寺の墓場を掘り起こすシーンなどは、多くの人が思い描く山田洋次とは正反対の「死の臭い」で充満しているのである。
またこの作品のもう一つの特徴は「マドンナの不在」である。
この作品の基本ベースは山田洋次お得意の「愚兄賢妹」ものである。が、この作品のマドンナたる倍賞千恵子は、さくら的役割は与えられていない。
そもそも、ハナの行動動機は「男になる」だけであり、そこに「心のマドンナのため」という支柱はないのである。だから他人に迷惑をかけてでものし上がろうとするハナの行動は一見滑稽でも、笑えるものではない。
あえてあげれば、マドンナ的役割をばあや役の北林谷栄が請け負っているが、それでも一度はハナの元を去っているのである。
この時期の山田洋次は笑いの負の方向を目指しているようである。もちろんそれが、山田洋次の真に求めたものかどうかは、今となってはわからないが、山田洋次の暗い資質というのは、もっと詳細に論じるべきかもしれない。
次回「ハナ肇の一発大冒険」に続く。
97/11/05(水) 23:11 KIYO(YRG02560)