山田洋次の軌跡 by KIYO

<山田洋次の軌跡 第二部>連載第20回

第20話 「キネマの天地」
<概要>
昭和8年、映画が“活動写真”と呼ばれ、サイレントからトーキーへ移行しようとしていた頃のことである。人々のにぎわう浅草の“帝国館”という映画館で、田中小春(有森也実)は売り子をしていた。なかなかの器量で、その噂は蒲田撮影所のスタッフにも伝わっていた。ある時、小春を訪ねて小倉監督(すまけい)が帝国館へやってきた。小倉監督は小春に女優にならないかと話を持ちかけてきたのだった。半信半疑のまま、蒲田撮影所へ行く小春。
撮影所のセットをのぞくと、急にエキストラが必要となり、セットの隅で見学していた小春は衣装を着けさせられ、カメラの前に立たされることとなる。しかし、全く演技経験のない小春にはとまどうことばかりで、結局役を降ろされ、家に帰るのだった。
小春は元役者の父である喜八(渥美清)と二人暮らしだった。隣の家のゆき(倍賞千恵子)は何かと喜八と小春の事を気にかけていた。ことに肺病病みの喜八のことをゆきは心配しているのだった。
翌日、小倉組の助監督である島田健二郎(中井貴一)が小春の家を訪ねてきた。もう一度小春に撮影所で働くことを勧めるのだ。その言葉に撮影所へもう一度戻ることを決意する小春であった。
大部屋の女優として色々な組に出演する小春。小倉組の助監督として忙しく働き続ける島田。二人は少しずつ心を通わせていくようになる。
小春に遂に台詞のある役が回ってくる。うなぎやの女中の役である。しかし、監督は芸術作品を撮ることで有名な緒方監督(岸部一徳)だった。たった一つの台詞に何十回となくテストが繰り返される。ようやく監督のOKが出たときには深夜となっていた。
島田は助監督として働く合間、自分のシナリオを書き続けていた。自作のシナリオと理想を小春に熱く語る島田。しかし、企画会議にかけられたそのシナリオは城田所長(松本幸四郎)に否定され、コメディを得意とする内藤監督(堺正章)の手で改悪されてしまった。しかし、客の反応は上々であった。
ある時、小春は二枚目スター井川時彦(田中健)に誘われ、夜の街へと消えた。その話は撮影所中の噂になり、島田と小春の中はぎくしゃくする。
島田は大学時代の先輩小田切(平田満)の訪問を受け、仕事に嫌気がさしていることを諭される。映画を信じろ、と。
しかし、小田切は思想犯として特高に追われる身であった。島田の下宿で、小田切と島田は捕らえられる。投獄され、雪が降る頃にようやく撮影所へ戻る島田。
撮影所の仲間は島田をからかい半分、暖かく迎えるのだった。
年が明け、小倉組の大作「浮草」の撮影が始まろうとしていた。しかし、主演の大スターである川島澄江(松坂慶子)が駆け落ちをして失踪してしまう。
主演女優の代役になんと小春が抜擢されることになった。とまどいながらも撮影が始まり、がむしゃらに演じる小春。
いよいよクライマックスシーンの撮影まできたが、小春の芝居が全くうまくいかない。テストを繰り返したあげく、撮影は中止となる。
家に帰ってきた小春に、喜八は死んだ母親と一緒になったときのことを話す。そして小春が喜八の実の娘でないことも。
翌日、もう一度クライマックスの撮影となった。小春は昨晩、喜八の思いやりをうれしく思いながら、お腹の中にいた赤子……小春のことだ……のために、一度は喜八の気持ちを受け入れられなかった母親のことを思いだしていた。
小春が気が付いたときには、監督のOKと拍手がセット中に響き渡っていた。
遂に封切られた「浮草」は大ヒットとなった。
喜八は満員の映画館で小春の芝居を観ながら満足そうに涙を浮かべ、眠るように息絶えた。隣に心密かに思い続けたゆきに看取られて。
城田所長は、蒲田撮影所のまつりで、「浮草」の大ヒットと、大船に新撮影所の建設を行うことを発表するのだった。
まつりの中で、「キネマの天地」を高らかに歌い上げる小春の声が撮影所に響き渡るのであった。


<解説のような感想>
“かつて撮影所は「学校」であった。”
この作品は昭和8年の蒲田撮影所を舞台にしているが、当時の正確な再現というわけではない。もちろん個々の登場人物には、すぐそれとわかるモデルの人物もいるし、いくつかの人物を統合して作り上げられた登場人物もいる。
主役である小春と島田は特定できる人物ではなく、フィクションなキャラクターであろう。強いて言えば島田は若き頃の山田洋次自身ともいえる。
これは山田洋次がかつて、そして今もそう願っている“大船撮影所”のあるべき理想像についての映画なのである。
蒲田撮影所の所長城田(実際は城戸)は、小気味よい口調で、己の理想とする作品作りを監督たちに語る。いわば校長である。
当然ながら監督たちは先生である。女優や助監督たちが監督を“先生”と呼ぶのはまさしく作品を作るだけでなく、彼らを指導していく立場にあるからなのである。また、作品の作りに欠かせない撮影スタッフだけでなく、守衛さんや小間使いさんに至る人々の支えがあって、映画が作られていることを描こうとしているのである。
本筋には絡まないものの、脇のエピソードや、ちょっとした短いシーンで彼らと小春のやりとりなど、実に多く取り入れられている。
小春を主演に抜擢するときに、城田所長が意見を聞くのは、廊下の掃除をしていたトモさん(笠智衆)なのである。実際このようなやりとりがあったかどうかは定かではないが、それだけ、下からの意見を聞き、上に至るまで “良い映画” “お客に喜ばれる映画” を作ろうとしてると、山田洋次は理想を語っているのである。
順序が逆になったが、映画の冒頭、映画館の館主が「身銭を切って見に来るお客さんに喜ばれる映画を作って欲しい」と語る。これはまさしく「男はつらいよ」を「身銭を切ってお客が喜ぶ映画」として作り続けた山田洋次ならではの言葉ではないだろうか。
この作品が作られた1986年は映画産業が下降の一途をたどり、松竹もこの時期「男はつらいよ」に頼りきっていた頃のことである。

山田洋次の映画作りへの理想は現在、正しく伝わったのであろうか……。

次回「ダウンタウンヒーローズ」に続く


98/10/22(木) 00:32 KIYO(YRG02560)


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