
おまけ 「終焉をめぐって」
<みなさまへ>
この文章は「ダウンタウンヒーローズ」の解説を書いていて、思いついていながら、内容が長くなるので捨てた部分です。近日中にアップ予定の「ダウンタウンヒーローズ」解説と併せて読んでいただければ幸いかと。ちなみにタイトルは柄谷行人の同名著作からとってあります。なぜかは柄谷行人の本を読んでいただければわかるのですが。
先日テレビを見ていたら、加藤登紀子がインタビューで「『知床慕情』は時代の終わりを唄った歌なのだ」と答えていた。
それを見て、私は改めて思うことがある。
「男はつらいよ 知床慕情」は「男はつらいよ」シリーズの終焉を語った作品なのだと。
トップシーン、桜の映像とともに、柴又の桜を懐かしむ寅さんのナレーションが入る。これは言うまでもなく第一作の始まりと同一である。第三十八作に至って、なぜここで第一作に回帰したのか?
また登場するゲストに、日本映画を代表する名優、三船敏郎と淡路恵子が登場する。もちろん昭和の大スターであることは言うまでもない。そして晩年の三船敏郎にとって、満足行く出演ができたほぼ最後期の作品でもある。(そのあとと言えば熊井啓作品に特別出演をするぐらいになる)
そしてその物語は北海道での酪農がいかに大変であるか、それが破綻を来たしているかを、獣医の三船は語るのである。
もちろん「家族」のその後が、どうなったかを山田洋次は語っているのである。
1970年当時、まだ夢とともに語ることが出来た酪農は、80年代の終わりで風前の灯火にあったのである。
風前の灯火というのは酪農だけの話ではない。「男はつらいよ」そのものが、30作代に入り、作品の質、観客動員、ともに下降線をたどっていたのである。
車寅次郎というキャラクターが、もはやどこにも存在することが出来ない時代になり、失恋し続ける物語が限界に来ていたのである。
打開策として若者の恋愛を手助けする寅さんという物語へシフトしていったものの、それすらも時代の中で、アナクロニズムの産物としても成立しえなかった。バブル景気へ向かい、価値観の多様化していく中で、だれが恋愛に不器用な若者とそれを応援する中年の物語に共感できるというのか?
そしてついに山田洋次は「知床慕情」において、「老年の恋」を描くようになる。じつはこれがコペルニクス的転回を示すこととなったのだ。
一貫して若者の青春を描き続けた山田洋次は、ここにおいて死ぬまでが青春であることを発見するのである。
その後、第四十作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」で老人医療そのものへ目を向けることになり、第四十二作「男はつらいよ ぼくの伯父さん」で寅さんの後継者、満男の物語へと続いていく。
しかし、寅さん自身の物語としてはすでに終わりを迎えていたのだ。
恋をし、破天荒な行動で観客を楽しませる車寅次郎の姿は、もはやどこにもなく、人生を達観し、次の世代へと橋渡をする老年の姿がそこにあるのみである。
後期の寅さんが、修行をくぐり抜けた僧侶のような顔に見えるのは、私の思い過ごしであろうか。(ちなみに寅さん自身が僧侶になろうとする「口笛を吹く寅次郎」のマドンナも、奇しくも「知床慕情」と同じ竹下恵子である。また寅さん自身の恋愛物語としては最後の、そして夏の公開作品としては最後の作品「寅次郎心の旅路」のマドンナも竹下恵子である)
そして、この作品の公開後2年もしないうちに、昭和は終わったのである。
「ダウンタウンヒーローズ」において、昭和の終わりに、時代の変わり目の青春(それは山田洋次自身の青春でもある)を回顧し、その青春がどこにも存在しなくなってしまったことを描いたように、「知床慕情」は昭和の大スターへ花道を用意し、寅さん自身の物語の終わりをも宣言したのである。故に、桜のトップシーンで寅さんは柴又の桜を懐かしむのだ。
寅さんと入れ替わるように、昭和の終わりと平成の始まりに相前後して登場してきたのは、妻を愛し、趣味に没頭するサラリーマンの物語「釣りバカ日誌」であった。
(あ、こういう考察をやっちゃうと「釣りバカ」も解説やんなきゃいけねえな。
でもなあ、「釣りバカ」をやると、バブルとその崩壊を描くことになるからね。そこまでやると、荷が重い)
99/03/16(火) 03:07 KIYO(YRG02560)