
峠の茶屋#2 『寅さんと郵便貯金』97/5/13
峠の茶屋#3 『満男くんの年齢』97/6/10
峠の茶屋#4 『幻の歌子三部作』97/9/12
峠の茶屋#5 『幻の寅地蔵由来』97/9/12
峠の茶屋#6 『リリーの再登場秘話』97/9/12
峠の茶屋#7 『香港電影寅次郎〜起〜』98/2/2
峠の茶屋#8 『香港電影寅次郎〜承〜』98/2/2
峠の茶屋#9 『香港電影寅次郎〜転〜』98/2/2
峠の茶屋#10 『香港電影寅次郎〜結〜』98/2/2
6、峠の茶屋(ここだけのお話)
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納豆で有名な茨城県の水戸に「水戸の寅キチ」と呼ばれる、新聞にも載ったことのある野上さんと言う方がいらっしゃいます。何故、新聞に載ったかというと、寅さんに関するミニコミ紙を数十年にわたって発行してきた人だからです。つまり、私なんかおよびもつかないくらい凄いファンなんですね。なんせ、テレビ版の『男はつらいよ』が放映されて以来のファンだそうです。 以前、野上さんにお会いしたことがありまして、色々とマニアックなお話を致しました。その中の面白そうなお話を一つお話しましょう。 寅さんの舎弟というと佐藤蛾次郎さん演じる源ちゃんを真っ先に思い浮かべる人が多いと思いますが、初期の作品のほとんどに登場する秋野大作さん演じる「川又登」をご記憶の方もいらっしゃることだと思います。秋野太作さんは昭和40年代には津坂匡章という芸名でした。もう、判りましたね。あの、寅次郎のような香具師に憧れを抱く青年で、「堅気になれよ」といつも寅次郎に説教されていた川又登です。 この川又登は『男はつらいよ(1作)』から頻繁に登場しますが、『男はつらいよ・寅次郎夢枕(10作)』を最後にハタッと、以降姿が見えなくなってしまいます。 丁度、80年代後半からやたら流行した謎本と呼ばれるジャンルの書籍がありますが、例外なく『男はつらいよ』の謎本も多数発行されました。その、いくつもの謎本に必ずといってよいほど載っているのが、この「川又登の謎」です。つまり、『男はつらいよ・寅次郎夢枕(10作)』以降に姿が消えてしまった独身の青年・川又登が、暫く経った『男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎(33作)』で、いきなり娘と一緒に再登場するからです。リアルタイムに時間が経過するシリーズにあって、消えていった脇役は多くても、思い出したように再登場する脇役は川又登を置いて他にはいません。第10作が公開されたのが1972年12月29日であるから、1984年8月4日に公開された第33作では、思い出したといっても、作品数では23作ぶり、有に11年と8ヶ月の月日が経過していることになります。 物語の中での川又登は八戸出身で単身東京に出てきたまだ20代の青年で、『男はつらいよ(1作)』では寅次郎が20年ぶりに帰郷した時に、まっとうな啖呵の一つも切れずに柴又の路上でタンカバイをしている川又登の姿がありました。この時、登は寅次郎を「兄貴」と呼んでいるのでシリーズ以前からの付き合いということになります。しかし、寅次郎の弟分と言っても任侠的な兄弟の契りを結ぶというわけでもなく、寅次郎のような香具師に憧れを抱き勝手に付いてきた青年らしいことが作品を通じて伺うことが出来ます。いつも寅次郎は「八戸に帰れ」「堅気になれ」と気にしており、登もその言葉を受けて『男はつらいよ・フーテンの寅(3作)』『新・男はつらいよ(4作)』では、旅行代理店のサラリーマンとして堅気になっています。しかし、このサラリーマンも第4作で現金を支店長がネコババしてしまう事件をきっかけに退職してしまったので、そう長くは続きませんでした。それから暫くは寅次郎と一緒に旅を続けており、完全に香具師家業に就くかとさえ思われましたが、『男はつらいよ・寅次郎夢枕(10作)』で寅次郎が言った「一日も早く足を洗って地道に暮らせ。このままじゃ、碌なことにならないからな」という言葉を最後に消息を絶ちます。その後は先に書いた通り11年後にばったり寅次郎と出会うことになるのです。細々とはいえ盛岡で妻と子供を持ち、今川焼き屋の主人をしている堅気になったということです。謎本には「もう香具師に未練はないようだ」とまでさえ書かれています。 さて、この再登場ですが、実は裏話がありまして、どうやら原作者の山田洋次監督には再登場させるつもりは一向になかったようなのです。じゃあ、何故、11年ぶりに登場したかというと、丁度『男はつらいよ・旅と女と寅次郎(31作)』のロケ見学に訪れていた野上さんが、山田監督にお会いした時に「そう言えば、最近、秋野太作さんは出てきませんね」とお話したそうです。その時、山田監督は暫く「う〜ん」と考えていたようですが特にどうするかという回答は得られなかったのでした。しかし、ちょうど一年が過ぎた『男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎(33作)』で再登場したわけですから、川又登の再登場の影に、ファンの不用意な一言があることだけは確かだと確信できますね。 |
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※この話はニフティに書いたものを転載したものです。 今日ふと思った・・・。 寅さんは郵政省こと郵便局と何かと縁が深い、が、どうしてだろう? ほら、最近だって寅さん絵葉書が発売されたでしょう・・高値で(^^;)。 余談だけど私のようなファンにしてみると50円切手を後から貼り付けるタイプのただの絵葉書だけにして欲しかった。多分、一生使わないで取っておくから勿体無いものネ。風の噂だと「寅さん絵葉書」まだ結構余っているらしい。それは、50円葉書にしてしまったので値段が結構高いことが一因としてあるだろうと予測される。・・・でも寅さん切手は是非、発売して欲しいな〜。 余談終了。 だってね、ほとんど財布には500円しか入っていないようなすっからかん、旅空バイをしては日銭を稼ぐ寅次郎、もちろん健康保険なんかにも加入してないでしょうし、貯金も一時期やっていたようですがどうせ長続きする筈はない。 そんな日本国民の中でも一番郵便局と縁の遠そうな「車寅次郎」が郵便局と縁が深いのは謎と言っても過言でない。 私の記憶によると寅さんが郵便局に登場したのが、『男はつらいよ・寅次郎サラダ記念日(40作)』が公開されるちょっと前の11月か12月頃。年度で言うと1988年ということなる。 この全国の郵便局に一斉に現われた「にっこり笑った寅さんポスター」と「楽しみはあとにとっておかなくちゃ」というキャッチフレーズは、今にして思えば貴重なポスターでとても欲しい、あ〜欲しいよ〜誰かくれ〜(笑)・・・・じゃなくて、貯蓄なんて言葉とはとても縁のなさそうで、しかも楽しみを後に取っておくというイメージとは到底かけ離れた寅さんとのギャップは深まるばかりだ。 映画『男はつらいよ』に郵便局が少しでも登場するのは、『新・男はつらいよ(4作)』の郵便配達夫が(多分(^^;))最初で、『寅次郎頑張れ!(20作)』とか中盤の作品では、旅空から「とらや」へ寅次郎が手紙を送ってくるというでシーンで郵便配達夫が頻繁に登場するくらいである。 だが、シリーズ後半に差し掛かるまでは(多分(^^;))一度として郵便局は出てこない筈だ(調べもしないで決め付けてスイマセン(^^;))。私の非常にあいまいな記憶で、作品中に初めて郵便局が登場するのは(多分(^^;))『男はつらいよ・拝啓車寅次郎様(47作)』の満男のマドンナ・菜穂(=牧瀬理穂)の勤める郵便局という設定と切手を買い求める寅さんが歌手・小林さち子と出会う旅空の郵便局のシーンだけで、これが最初で最後だと思う。これは、当時、人気女優の牧瀬理穂さんが「ゆうちょう」のマスコットガールに起用されていたことが、郵便局にやたら縁の深い作品となった一番の理由のような気がする。 一つだけ思うとこがあるのが、『男はつらいよ・寅次郎子守歌(14作)』にて寅次郎がたった一人の妹・さくらのために為にこつこつと貯めていた「諏訪さくら名義の郵便貯金通帳」が発覚する事件だ。しかし、キャッチフレーズとなる「楽しみはあとにとっておかなくちゃ」という言葉を裏切るような小額で7700円ぽっちでもある。ま、苦労人の寅次郎がさくら名義で貯金をしているというその気持ちだけが涙涙なのではあるが。 ま、とにかく「郵便貯金」は郵便局の貯金という意味だ。これが寅次郎と郵便局の縁結びの発端になったことであると一部の噂もあるのは事実だ。 しかし、分析フェチの私はそんなあまちゃんじゃないぞ(^^;)。それは、寅さんが郵便局に起用されるようになったのは1974年公開の『寅次郎子守歌(14作)』より、ずっと後の出来事だからだ。様は、「楽しみはあとにとっておかなくちゃ」というキャッチフレーズは一年間お金を貯めましょうね・・という言葉に換言される(ちょっと飛躍)。で、『男はつらいよ』は平成の時代に突入してからここ最近、12月だけの年一本興行となっていた。そんな訳で、正月映画の代名詞となった「寅さん」を郵便局がスカウトしたのでしょう。 牧瀬理穂さんも言っていました「暮れのボーナスは郵便貯金で」と。・・・って、つまんね〜落ちとか言って怒らないで〜(笑)。 |
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先日、『男はつらいよ』の助監督で有名な五十嵐敬司さんの講座に参加しました。 私はそこで、今まで疑問にも思わなかったという新事実を知り、「うぉ〜た〜」とでも叫びたくなるような強い衝撃を受けました。 それは、寅さんの甥、さくらと博の愛の結晶である諏訪満男くんの謎です。 今まで、数多くの寅さんの謎本が出版されてきましたが、その、どれにも載っていないような究極の問題でもあるのです。 この新発見を私は皆に知らせたくペンをとる決意を致しました。いや、正確にはキーボードを叩く決意といいましょうか・・。丁度、コロンブスが新大陸を発見した時に、私の今の心境だったことでしょう(^^;)。 さて、新発見です。 ご存知、諏訪満男くんは第1作〜26作までは中村はやとさん、その後は吉岡秀隆さんが演じているシリーズ一若いレギュラーキャラクターです。観客の中には「満男の成長する様を観ていると幸せ」なんて言う、自分の孫から相手にされなくなって久しい老夫婦の憩いの存在だったりして、シリーズ化を影で支えた人気キャラでもあります。 この満男くんが柴又第二小学校に在籍していたのが第17作〜32作の期間です。 映画の公開日で言うと『男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け(17作)』は1976年7月、『男はつらいよ・口笛を吹く寅次郎(32作)』は1983年12月に公開されています。 そうです、もうお気づきですね。すると、1976年4月入学、1984年3月卒業ということになるのです。 ここで、簡単なチャートを書いてみましょう(^^)。 1976/4 〜 77/3 一年生 1977/4 〜 78/3 二年生 1978/4 〜 79/3 三年生 1979/4 〜 80/3 四年生 1980/4 〜 81/3 五年生 1981/4 〜 82/3 六年生 1982/4 〜 83/3 七年生 1983/4 〜 84/3 八年生 ムムムム!! 凄い発見ですね〜。 一代目・満男くんの中村はやとさんと二代目の吉岡秀隆さんとでは実際の年齢は中村はやとさんの方が2歳年上なんだそうです。もともと俳優ではなかった中村はやとさんは、中学への進学問題で途中降板し、『遥かなる山の呼び声』で演技を認められた吉岡秀隆さんにバトンタッチしたわけですが、彼らの間には二年間という年齢差があったわけです。「どうせ判りゃ〜しねえよ」という撮影スタッフの半ばヤケのようなぼやきが聞こえてきそうですな。 『男はつらいよ』という作品は阪神大震災が起った年には、長田区でボランティアをする寅さんがいる(48作より)というくらい時事とのリアルタイムなリンクが評判の映画でもあります。満男くんも例外なく第1作で誕生しそのまま順調に年を重ねていくものと勘違いしがちなんですね。これは、盲点でありました。 う〜ん、しかし、つまる所、満男くんは小学校を二年間も留年していることになるのですかね(^^;)。 |
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これも私がニフティに書いた(97/7/16)ものを転載したものです(^^;)。 『男はつらいよ』は主役を演じた渥美清さんが亡くなるまで、第48作まで続きました。これは、もちろんギネス認定の記録で世界一のシリーズですね。 1969年に第1作が公開されてから『男はつらいよ・寅次郎紅の花(48作)』まで26年間も続いたことになります。 さて、幻のシリーズ第49作となってしまった四国の高知ロケの『寅次郎花遍路』は皆さんもご存知だと思います。マドンナには田中裕子さんが決定しておりましたね。 実は、これ以外の作品でも幻に終わった作品があることをご存知の方は少ないはず・・・。 えっ? 私が嘘ついているって? 嘘なんてついてませんよぉ(^^;)。 正確には、この26年間に、山田洋次監督がTV出演や雑誌、対談などで「次の作品の構想」を話したことが何度かありました。そのお話の中に、実際に撮らなかった作品もあったと言うわけなんです。 今日は、それらの中で私が知っているお話を致します。 〜 幻のマドンナ歌子三部作 〜 NHK衛星第2の番組(1991.9.30放送)の中で吉永小百合さんと山田洋次監督の対談が行われました。番組の終了近くになって、山田監督が「また、寅次郎と歌子(吉永小百合)が再会したらどうなるかって、しょっちゅう考えているんですよ」と切り出しました。 すると、吉永小百合さんは「いつの日かその日が来るまで私も楽しみにしています」と返事をしたんです。 物語は『柴又慕情(9作)』と『寅次郎恋やつれ(13作)』の続編。 『男はつらいよ・柴又慕情(9作)』では、OLの歌子が父親の反対を押し切って陶芸家の青年と結婚する話。 『男はつらいよ・寅次郎恋やつれ(13作)』は、その陶芸家の夫が死に、傷心の歌子が寅次郎と再会、寅次郎の尽力で勘当同然だった歌子と父親が和解。最後は歌子が伊豆の大島の養護学校(藤倉学園)へ赴任するというラストでありました。 そしてその後・・・が幻の第??作となるわけです。 大島の養護学校を辞めてしまった歌子が、労働災害によって怪我をし入院する外国人のために、今度は手話の通訳として働くことを決意。ひょんなことで歌子と再会した寅次郎。美しい歌子とその手話に感化されて、寅次郎も手話をはじめる・・・というお話でした。 この時には、既に『男はつらいよ・寅次郎の告白(44作)』が制作発表されており、後藤久美子さんの三連投も決定していた時期なので、もし、この話が実現するならば第45作以降の作品になったはずです。 確か『男はつらいよ・柴又慕情(9作)』の後に、「もう一度、歌子を撮り直したい」と語り『男はつらいよ・寅次郎恋やつれ(13作)』を実現した山田監督だけに、3度目の歌子さんがいつか見れたかもしれないな。 『男はつらいよ・寅次郎紅の花(48作)』は浅丘ルリ子さんが4度目の登板、『男はつらいよ:寅次郎花遍路(49作)』は田中裕子さんが2度目の登板、もしかすると、歌子(吉永小百合)は第50作という構想だったのかもしれない。 ・・・と思う今日この頃であった(^^)。 |
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これも私がニフティに書いた(97/7/26)ものを一部改変したものです(^^;)。 (男)ねぇ、君!『寅地蔵由来』って知ってる? (女)ああ、寅さんに良く似た顔の地蔵様でしょ!シネマワールドで見たわ! (男)(かなりいい線いっているけど)ちが〜う!! (女)えっ!? (男)シネマワールドに置いてあるのは『男はつらいよ・噂の寅次郎(22作)』の夢のシーンに使われた南無観世音寅地蔵。『寅地蔵由来』というのは正確な記述をするならば『男はつらいよ・寅地蔵由来(最終回)』と言うことなんだよ。←得意満面(^^;) (女)やだ〜〜、オタク〜 (男)しくしく(;_;)。 この『寅地蔵』については、昔の寅さんのLPレコードのライナーノーツや、室 克己氏の自費出版著書『男はつらいよ・寅さん考』などにも紹介されています。 『寅地蔵由来』のことの起こりは、「寅さんを終わりにする」という何気ない山田洋次監督の一言に触発された共同執筆者の朝間義隆さんが考え出した話のようです。 この構想は時期で言うと、ちょうど、『男はつらいよ・翔んでる寅次郎(23作)』を撮り終えた頃。 寅さんの脚本の執筆者でお馴染みの朝間義隆さん曰く、「山田さんからこのシリーズもそろそろ終わりだなと言われてみて、私もいいかげんなところで終わりにしなければならないと思いました。そこで、映画ではどんなふうに(寅さんが)この世を後にするのか、大分前にその物語を考えたことがあります。」 寅次郎もめっきり年老いて、あまり旅にも出かけず、日がな柴又のとらやでぼんやりしているこの頃です。 さくら達は、そんな寅を何となく物足りなく見ています。毎日午後になると、近所の子供たちが三々五々やって来て「寅さん遊ぼうよ!」と声をかけますと、寅も待ちかねたように店を出て行きます。江戸川の堤や題経寺の境内で、あきることなく子供と戯れ続ける寅の姿は、まるで良寛和尚のようです。 ある夏の日、お寺の鐘が夕焼け空に鳴り響く頃、夕飯の支度に忙しいとらやに子供たちが蒼ざめた表情で駆け込んできます。 さくらが訳を聞いてみると隠れんぼの鬼になった寅さんがいつまで経っても探しに来ないので、みんなで鬼の場所に行ってみると(寅さんが)寝ているので起こそうとしたが、いくら体を揺すっても目を覚まさないというのです。 さくら達がびっくりして走っていってみると、お寺の高い縁の下の涼しい風の吹き抜ける場所に、鼻ちょうちんを出したまま、寅は幸せそうに永遠の眠りについていたのです。 柴又中の人々の世話で心のこもった葬儀が行われます。 門前には長いお焼香の列、夏子さん、秋子(※冬子の間違いだと思う)さん、花子、歌子ちゃん、リリー、お千代さん等など・・・が悲しい表情を俯せて並んでいます。 それから何年も過ぎて、寅次郎というおかしな人物のことが語り継がれ、名も知らぬ人々の浄財で題経寺の境内に寅そっくりの地蔵が建てられ、供花の絶えることがなかったということです。 付け加えるように朝間さん曰く「しかし、皆さんご心配なく、山田さんはじめスタッフの連中は行きつけるとこまで行ってみようという決意をしました」。 山田監督は、「知らず知らずのうちに、人々の目から遠ざかり、気がついた時には、そう言えば寅次郎というおかしな喜劇映画があったなぁ、という風に撮り終えたら良いと思います」とのこと・・・。(室 克己著「男はつらいよ・寅さん考」より抜粋) 結局、山田監督の言葉の如く、寅さんは渥美さんが亡くなるまで撮り続けられました。が、しかし、昨年の8月の渥美清さんの葬儀を思い起こすと、『寅地蔵由来』に書かれたストーリーと見事に酷似しているように思ってしまいます。 第23作の頃の話といえば1979年ですから、もう20年近く前になります。 考えすぎでしょうが、私は、弔問に訪れた歴代マドンナの方々の姿と、寅地蔵由来に書かれた葬儀のシーンが心の中で交差してしまって、この文章を書いている現在、少しばかり複雑な気分になっています。 新聞に紹介されたそうですが、シリーズ49作の撮影が幻に終わった高知県で "寅地蔵" が建立されることが決定したそうです。 ここまで来ると、渥美清さんの訃報から葬儀自体が『男はつらいよ・寅地蔵由来』つまり寅さんの最終回の物語だったのであろうか? ・・・という変な感覚に陥ってしまいますね。なんともはや・・・。 |
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これも私がニフティに書いた(97/7/28)ものを一部改変したものです(^^;)。(なんか引用ばっかでアイすいません(^^;)) 「幻の作品」と題して作品化されなかった寅さんのお話をしていますが、実際に作品化されてしまった構想のお話もあるんです(そりゃそーだ)。 ・・・でもね、実際に作品化されるまでは、ファン心理で「本当かな?」なんて思っていたりしたもんです。 しかも、この話の元ネタは山田さんと朝間さんの雑談でしたから(^^;)。 例の歌子(吉永小百合)さんのお話だって、6年以上待って遂には実現されませんでしたしね(^^;)。 しかし、この雑談は形こそ違え、色んな意味で第48作のプロットに使われているようです。非常に興味深いし面白いので、紹介することにします。 〜『寅次郎紅の花(48作)』リリー(浅丘ルリ子)さんの再登場秘話〜 筑摩書房から出版された山田洋次+朝間義隆の著書「シナリオをつくる」にて、両氏の対談から窺い知ることが出来ます。 この書籍は1993年の末に出版された本ですが、内容は第45作のシナリオ製作段階だそうなので、実際には1992年のお話。第48作は1995年末の公開なので、この中の構想がスクリーンに再現されるのに、3年を要したことになりますね。 『男はつらいよ・寅次郎の青春(45作)』のシナリオの構想を話しているお二方ですが、ひょんなことから『男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花(25作)』の話に脱線(^^;)。 完全な雑談モードに突入の様子です(^^;)。 以下、対談から内容をそのまんま引用しますと(P36〜38)・・・
山田―――「「飛行場に迎えに行きます」なんて、リリーが飛行機の切符送ってきて。 その後、ビックリするような大邸宅にズーと入っていくというね。そうすると、インドネシアだかマレーシアの王様、何といったっけ? スルタンか。スルタンの第二夫人かなんかになっている(笑)。」 山田―――「そうすると、飛行場にロールスロイスが停まってんのよ。あるいはインド人の、ここにターバン巻いた召し使いが、「ウエルカム・サー、ヒア・サーバント・サー」。夢見ごこちになっているとさ、応接間に通されて、そこへリリーが現れる。」 「ねえ寅さん、日本に帰りたい。一緒に帰ろう。私を連れてって」 「こんないい生活しているのに、そんなこと言って」 「こんな生活がなによ。それとも寅さんは、こんな生活がしたいの?」 「いや、おれはいやだよ。とんでもねえ」 「でしょう」 「だけど、おまえ、今の亭主に悪いんじゃねえか?」 「亭主はパリに行ったきり、帰ってきやしない」なんて。」 山田―――「リリーは今、何やってんだろう。インドネシアだかマレーシアの金持ちの嫁さんというのもあるけども、日本にいるとすれば。」 ――― やっぱり独りでしょうね。 山田―――「結婚したんでしょう、きっと。夫は死んじゃったんだよ。それで、遺産がゴロッと入っちゃって。」 (以下、書籍ではまだ続く・・・) どうです、興味深いでしょう(^^)。ちなみにこの対談の部分には注釈として「また話は脱線していく。物語の骨組みを考えていく段階では、あえて話を飛ばす。アイデアの糸口が見付かることもあれば、後になって考えるヒントになったりすることもある。もちろん、たいていはムダ話で終わる」―――と書かれています(^^;)。 その他、「髪結いの亭主」をヒントにした話など、脱線ありで非常に面白い対談本(?)ですので、一度、読んでみてはいかがでしょうか。 昨年までは読む気もおきなかった本だったのですが(^^;)、一年ぶりくらいに目を通してみて、寅さんマニアにはかなり面白い本だということがようやく理解できました(遅い^^;)。 実際、『男はつらいよ・寅次郎紅の花(48作)』では、リリーの旦那は故人で、旦那の遺産で奄美大島に暮らすリリーの姿がありましたね。 さすがにデビ夫人とまでは行きませんでしたが、同じような台詞のやり取りもありましたし、何にしても浅丘ルリ子さん扮するリリーが4度目の登場であったのが最大の事件でありました。実にシリーズ15年ぶりの再登場だったわけですからね。 リリーと言えば『男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花(25作)』では、沖縄で寅次郎と同棲紛いの生活。最後には寅次郎が「リリー、俺と所帯でも持つか・・・」とシリーズ最初で最後のプロポーズ(?)まで飛び出す物語でした。当時、巷では「次にリリー が登場した時、寅次郎はリリーと結婚し物語は終了する」とまで噂された公認のカップルでしたから、将にファンの驚きの新作でありました。 残念なことに(?)この予想はおおハズレ。 しかし、48作のリリーと寅次郎の奄美での同棲生活や二人の中睦まじき様子を観て、更に進展している仲の良さを確認できて、なんだかホッとしたものです。 やっぱり寅さんは永遠の旅人であり、永遠の夢追い人であるべきですな〜。 |
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去年、二週間ばかり、香港へ風邪をひきに行ってきました(^^;)。 目的は・・・も、もちろん寅さんです(ウソ)。 さて、香港で寅さんは人気があるのでしょうか?早速インタビューしてみましょう! ひ:そこの貴方! 寅さん知ってますか? A:あいや〜今年の干支ネ! 結論:香港と日本の干支は同じらしい・・・(^^;)が、「寅」と言う字は旧漢字で現在は使用しない。香港では「虎」と書くのが一般的 ・・・って、ちがーう!! というわけで、「寅さん」はあまり知られていないようです(;_;)。 しかし、日本よりも遥かに映画好きで色んな映画に接してきた香港人。世界的なギネスブックにも載っている寅さんを知らんはずなかろうに・・・。 今度は違う視点で聞いてみよう! ひ:君! 世界一長く続いている映画を知っているかい? B:はいやぁ。香港の古い映画ネ。 ・・・って、ちがーう!! 調べると、50年代か60年代に、確かに100近く続くシリーズ映画が香港にはあるそうだ(ギョ@@)。実際、現在でも香港映画はやたらめったらシリーズ作品が多い。 ここ最近若者に人気のトレンディ映画やマフィア映画を見まわしても、何故かシリーズばっかりだったりする(^^;)。 こ、これは、何としたことか・・・・たかだかシリーズ48作と嘲笑されてしまったぞ(ムム▽▽メ)。 しかし、正確にはそれらの映画は同じ様な世界観や同じようなストーリィ、そして、出演俳優や女優が一緒でも作品は一作一作完結しているまったく別個の映画らしい。つまり、ギネスでは寅さんはシリーズであっても、クレージーキャッツはシリーズではないということなのだろうか・・・(不安;)。 ま、どうでもいいや(^^;)。 ま、ともかく本題に戻って、寅さんだ! 今度は、何故かポケットに忍ばせている寅さんの生写真(なんだそりゃ(^^;))を持ち出して聞いてみた。 ひ:コレ知ってますか! C:はいや! 知ってます知ってます。日本の映画でしょ! ・・・・一応、知名度はそこそこあるらしい。実際、同世代の若者(?)20人くらいに会ってきたが、何人かは寅さん(渥美清)の顔だけは知っていた。 知る人に聞くと、「多分、皆、観たことくらいはあると思うよ。それなりに有名だと思う」という返事が返ってきたが、これも一重に渥美さんの一度見たら忘れない顔のおかげのような気もする(^^;)。 その後、あまり話題が盛り上がらなかったので、物語はあまり覚えられていないらしい・・・(;_;)。 |
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香港ではVCDやLDなどの媒体がかなり普及しているようだ。 実際、4軒ほどのお宅に訪問させてもらったが、皆、持っていた。やはり、日本製が人気らしい。ちなみに私はVCDもLDも持っていない(;_;)。 これら媒体の普及はソフトの供給なしに語れない。 もともと権利意識の低い中国人(一般論だよ、だから怒らないでネ(^^;))。香港では未だにFAKEが多い。つまりは海賊版だネ。 警察も最近は取り締まりを強めたようだが、それでも形だけのような気がした。 とある汚らしい町角にはわんさとコピーされたCD媒体が平然と売られている。 ゲームソフト、ビジネスソフト、音楽CD、映画VCD、音楽VCDなどだ。 日本のアダルトビデオのVCDなんてのもあったが、これは、思ったよりも人気が無いらしい。音楽、映画を扱う店はいつも混在するほど人気だ。 値段は大体1本当たり20〜30香港ドル。1ドルが17円くらいだから、日本のコーヒー一杯の値段の方が高いかもしれない(^^;)。ちなみに映画のVCDだと2枚組が普通だから、とにかく偽物はとてつもなく安いことになる。 ―――さて、正規版だと幾らになるのだろうか? 香港ではHMVが人気だ。香港HMVで売られる音楽CDもVCDも大して値段が変わらない。100香港ドルもあれば2枚組のVCDを購入できる。音楽CDも80〜100ドルくらいが相場のようだが、値段にばらつきがかなりあるので正確には分らない。ま、どこ行っても思うけど日本国内の料金はほんとに高いなぁ。 と・・とにかく、国民所得が日本とあまり変わらない香港では、これらのソフトの安さは魅力的(^^)。 そこで、私は正規版と海賊版をひっくるめて寅さんを捜してみた。 でも、無〜い(;_;)。無いのですよ。国土面積が東京の1/2くらいしかないという狭い香港。当然、店も狭い。つまり売れる商品は仕入れるけど売れないものは絶対に置かない・・ということが徹底されている筈。海賊版店の場合は特に顕著にこの傾向が理解できる。 「知っている」とか言われて有頂天になったが、やっぱり、寅さんは人気が無いのかもしれない。 ちなみにどこに行っても絶対にずぇったいに置いてある日本映画は 岩井俊二監督の『情書(Love Letter)』(現在の所ネ) であった・・・。ほんと、可愛いぜ "みぽりん"(*^^*)! それから、歌手では "のりぴー" が有名だ。 |
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「よし最後だ!」とばかりに駆け込んだのがレンタルビデオ屋だ。 しかし、日本みたいにレンタルビデオ店の店舗数は多くない。 ま、先に述べたようにCDやLDやVCDが安い香港では当然のような気がする。ちなみに香港の映画館の新作料金も500円程度だそうだ。 レンタルビデオ店の数が少ないだけあって、普通に町を歩いていて見つけることは困難だ。 私が入った店はWhamPoaという地名で、近くにはUAという奇麗な映画館と船を模ったデパートがある。 この船にはその昔、日本のヤオハンがあったりして、中国のアイジンとか言う変な名前の歌手の歌でも唄われたという。昔はそれはそれは賑わっていた場所だったのだろう。 残念なことに、今はクリスマスのイルミネーションはあっても客はかなり少ないようである。 ちなみに、この船の中には日本のUCCコーヒー系列の喫茶店があるのだが、ウェイトレスの香港女性全員が、奇妙なことに「いらっしゃいませ〜」という変な日本語で出迎えてくれる。笑えたけど食事とコーヒーはまずくて、しかも値段も高かった(^^;)。しかし、日本人の私はなんだかこのへんてこな喫茶店はとても居心地が良かった。愛煙家の私にはちと肩身の狭い禁煙スペースの多い香港。でも、この喫茶店は珍しく、客のほとんどが煙草を吸っているのである。高くてまずいコーヒーをわざわざ飲みに来る馬鹿もいないだろうから(^^;)、客は煙草を吸いたいがために来ているのでは?・・・と錯覚するほど愛煙家にお薦めの喫茶店である。 余談だが、香港には日本では当たり前の喫茶店もあまりない。特にインドアというか、日本に多くあるタイプの喫茶店はほとんどないと言って良いだろう。大概はホテルのラウンジ形式のオープンスペースの喫茶と台湾のお茶を飲むチェーン店(これも何故かオープンスペース)しかないし、数もかなり少ない。 また、香港では近年、禁煙ブーム(なんだそりゃ(^^;))とかでほとんど煙草を吸う人がいないのも事実である。酒の席ででもだ。奇妙なことに十数年前まで喫煙する人が多かった香港なのに・・・。愛煙家の私は、煙草を吸うたびに「止めた方が良い」と親切に忠告してくれる香港の人々が嫌・・・大好きである。 |
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という訳でレンタルビデオ店内を物色する。 面白いのがパソコンのソフトがレンタルLDやレンタルビデオと一緒に置いてある。「まさかレンタルしているのでは?」と思ったので、店員さんに聞いてみると、結果、それらは売り物ということだ。 日本でもレンタルビジネスの形態には複合ショップ化という傾向が見られる。 ビデオレンタルをしつつ本屋をしていたり、CDや家庭用ゲームソフトを販売していたりするやり方だ。以前、こう言ったビジネスカンファレンスに参加したことがあるが、レンタルオンリーではなかなか儲からないという現状もあるらしい。香港のこの店では、それがたまたまパソコンソフトであったのだろう。 ちなみに香港のビデオはパッケージサイズの少し大きなPAL形式。タイなどと同じで日本のビデオでは写らないと思う。 ・・・で、「日本映画」というコーナーで遂に寅さんを発見!!!! 竹中直人監督の『119』の隣に一本だけ置いてあった。 しかし、シリーズ48作品もあるのに一本だけかいな・・・トホホ。 しかも、6段ある陳列棚の一番下だよ、おい。『Love Letter』なんて一番見やすい位置に配置されているのに〜。人気無いぜ・・・寅さん(;_;)。 ビデオのパッケージをしげしげと眺めると。 驚いたことに「シリーズ第○×作」と言ったような記述はどこにもされていない。香港で寅さんがシリーズ作品として認識されていない要因はこういうことにあるのかもしれないな。 また、パッケージに使われている写真も日本のものとは異なるようだ。 つまり、何作目の作品かはすぐには判断できないのである。 しかし、泉と泉のママが写っていることで、『男はつらいよ・ぼくの伯父さん(42作)』以降であることは確かだ。 写真は左から吉岡秀隆、後藤久美子、渥美清。渥美さんの少し上に夏木マリの姿が確認できる。そして、一番のポイントは背景がお祭りのお御輿か何かのシーンらしいことだ。 42作以降でお祭りというと43作と47作だけになるから、夏木マリが出演しているということで『男はつらいよ・寅次郎の休日(43作)』のビデオだということが判った。 しかし、面白いな〜。笑っちゃうぜぃ(^^;)。 というのも、パッケージに書かれている文字が面白いのだよ。 タイトル → 『恋愛假期』
後藤久美子 → 成龍『壊市猛人』うんたらかんたら・・・
吉岡秀隆 → 恋愛顧問
渥美清 → 恋愛専家
うう〜む、奥が深い(何がじゃ(^^;))。 ちなみに、文字の大きさは「後藤久美子」が一番でかい。それだけ、香港でも名が通っているのだろう。「渥美清」と「吉岡秀隆」はその1/2くらいのサイズなので無名に限りなく近いということなのかもしれない・・。 |
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