
3-3 寅さんワールドの住人達(重要人物篇)
『とらや(※40作からは「くるまや」)』
〜 寅さんワールドの住人達 〜
6代続く帝釈天の参道のダンゴ屋(寅次郎の記憶だと鎌倉時代(38作)、奈良時代(27作)である。また、おばちゃんは3代目と思っている(6作))。第40作『寅次郎サラダ記念日』から名称が突然『くるま菓子舗』に変わった。一説には『知床慕情(第38作)』で肺炎で入院してしまったおいちゃんに変わって店を手伝っていた寅次郎が、何も役に立たなかったことと、挙げ句の果てに仕事を投げ出して外に酒を飲みに出て行ってしまった結果、おばちゃんが「跡取りがあのざまじゃあ、この店を売って私たちはアパートにでも引っ越すよ!」と泣きながら訴えた言葉が引き金となっているとか。
おいちゃんこと車竜造が第1作から現在まで「とらや」の主人であるが、もともとは竜造の兄である平造が継ぐはずであった。平造は一人息子の寅次郎が家出してしまった後に他界したため、その後から竜造が「跡取り息子の寅次郎」が店を継ぐ気になるまで店の主人をしているのである。
商売自体はなかなかの繁盛で、年末などには注文に応じるための人手として、臨時で職人やアルバイトを採用している。職安から紹介された荒川(水野)早苗(=大原麗子・・・22作のマドンナ)の例から、職業安定所などに従業員の募集広告を掲載していることも確認できる。
「くるま菓子舗」に名称が変わった時点から三平ちゃん(=北山雅康・・・40〜48作)なる関西弁の若者がずっと働いている。ちなみに「草だんご」の値段は大箱で300円(3作、8作)で、時代の流れと共に値上がりし、現在では1000円(33作)となっている。
『車寅次郎(=渥美清・・・1〜48作)』
通称:寅さん。ちなみに寅次郎のことを「寅ちゃん」と呼べる人間はシリーズ全48作品中に僅か、おばちゃん、坪内冬子(=光本幸子・・・1、7、46作)、坪内夏子(=佐藤オリエ・・・2作)、志村千代(=八千草薫・・・10作)、江戸屋の桃枝(=朝丘雪路・・・33作)の5人だけである。(例外として、知恵遅れの少女である大田花子(=榊原るみ・・・7作)も寅次郎のことを「と・ら・ちゃん」と呼ぶ。)
車平造と芸者の菊の間の妾腹の子として生まれた。妹・さくらとは腹違いの兄妹なのである。亡き父平造の元で育てられ、16歳の頃に出生や育ちの悪さを馬鹿にされたのにかっとなり校長の頭をぶん殴って中学校を退学、そして、煙草を吸っている所を父親に見つかり薪ざっぽうで頭を思いっきり殴られ、頭に来て故郷柴又の家をプイッと飛び出しテキヤとなった。以後、20年間は音沙汰無く、その間に秀才の兄と父親は亡くなってしまい、たった一人残った肉親が妹・さくらである。
故に子供の頃から大の妹思いで、さくらがからかわれていたりするとすぐに棍棒を片手に現れ(第10作)、終戦の食糧難の時代には毎日妹さくらの為に干し柿を盗んできた(第25作)。第1作『男はつらいよ』では約20年ぶりの帰郷となる。学歴は柴又尋常小学校卒業、葛飾商業学校中退である。
この家出中に培ったノウハウは、シリーズでも生かされており「家出」のプロとして、家出サラリーマンのパパこと兵頭謙次郎(=船越英二・・・15作)や愛子(=岸本加世子・・・28作)、あけみ(=美保純・・・36作)の家出を親身になって世話をしている。
そんな渡世人の寅次郎は、北海大学の名誉教授・諏訪ヒョウ一郎(=志村喬・・1、8、22作)には大人物と評され、旅芸人の坂東鶴八郎一座面々(=吉田義夫、岡村茉莉、他・・8、18、20、24作)や歌手の小林さち子(=小林幸子・・47作)には先生と呼ばれ、考古学教授の田所(=小林桂樹・・16作)からは師匠とまで言われる。寅次郎は、様々な人物に影響を与えてもいるのである。
寅さんの生年月日は、昭和15年11月29日(『寅次郎かもめ歌(第26作)』の中では生年月日と年齢40歳と記述されている)とある。これは、鎌倉シネマワールドの展示内容でも確認できるので、製作者サイドである松竹の正式見解と考えられるが、時系列に時間が過ぎていく『男はつらいよ』シリーズにとってこれはおかしい。第26作が公開されたのは昭和55年であるから、40歳というのは正しいが、『男はつらいよ(第1作)』では16歳で家出した寅次郎が20年ぶりに帰郷することや『続・男はつらいよ(第2作)』で寅次郎本人が「今を去ること38年前・・」と言っていることなどを考えると計算が合わなくなってしまう。
また、おかしなことに昭和49年公開の『寅次郎子守唄(第14作)』でも寅さんは40歳であった。もし、一連の作品が我々と同じ時間で動いているとするならば、第1作を基準として平成8年現在、65歳と言うことになる。いずれにせよ寅さんの年齢は、およそ60歳近辺であると考えるのが妥当ではないのであろうか。
また、おいちゃんや寅次郎本人に言わせれば「体が丈夫なのだけが取り柄」(第10作他)であり、恩師・坪内散歩先生(=東野英治郎・・・2作)には「人並み以上の体力と人並みに近い頭がある」と評される寅次郎であるが、第2作、22作、45作では救急車のお世話になり、第3作や41作では風邪をこじらせ、第11作に至っては酪農家で作業中に日射病になっている。体が丈夫だというのもどうも怪しいものだ。
嫌いな食べ物は「ナルト」。好物は「イモの煮っころがし」、また旅先では「あんパン」を好んで食べる。意外なことに酒や博打をたしなむテキヤ家業の寅次郎は、何故か煙草だけはやらないようである。
鼻たれ小僧の時分はチンドン屋、小学生時代はサーカス、中学生の頃ではテキヤになることが夢であった(第21作)。
『諏訪さくら(=倍賞千恵子・・1〜48作)』
主人公・車寅次郎とは父親は一緒だが、母親の違う腹違いの妹である。
高校を卒業後、オリエンタル電気という一流メーカーでBG(ビジネスガール=後のOLの意味)をし当時人気のキーパンチャーの仕事に従事していた。
『男はつらいよ(第1作)』で朝日印刷所の印刷技師である諏訪博と結婚し、『続・男はつらいよ(第2作)』で一人息子の満男が誕生している。結婚後は、旧姓の車から旦那方の諏訪姓を名乗る。戸籍上は「櫻」と書き、第1作でさくらの見合の席上で寅次郎が「この『櫻』って字が面白うござんしてね、木ヘンに貝二つでしょう。それに女ですから、二階(貝)の女は気(木)にかかると、こう読めるんですよ」と説明している。
さくらは、小さい頃から美人で柴又界隈では有名であった。『寅次郎わが道をゆく(21作)』で、さくらの幼馴染であるSKD(松竹歌劇団)の人気スター紅奈々子(=木の実ナナ)が、さくらが博という印刷工と結婚したことを知ってショックを受ける。奈々子は、「それは本当のお姫様みたいだった。それがこんな職工と結婚するなんて・・」とさくらについて語っている。また、朝日印刷所のたこ社長は「昔、さくらさんは将来はすごいお金持ちと結婚するものと思っていたよ」と語ってもいる。オリエンタル電気のBG時代には人事異動の時期になると各部署からさくらをめぐって取り合いが起こったほどで、しかも会社ではその争奪戦を「ストーブリーグ」などと呼んでいたそうだ。また、オリエンタル電気の取引先の社長に目を付けられ、その息子・鎌倉道男と玉の輿の見合いもしている。そんなに美しく誰もが玉の輿に乗るものと思っていたさくらが何故、ただの町工場の一職人でしかない博と結婚したかは、柴又中の話題になったことであろう。
年齢は寅次郎が家出した時期には5、6歳であったので(第1作)、寅次郎より10歳程年下である。本編では寅次郎が唯一の肉親であることから、いつも兄のことを心配し、時にやさしく時に厳しく、寅さんワールドでは聖母マリアのような存在である。もともと、この『男はつらいよ』は兄妹をテーマとしているため、もう一方の本編の主人公でもあると言える。
嫌いな食べ物は「うなぎ」。
『おいちゃん(=森川信・・1〜8作、松村達雄・・9〜13作、下條正巳・・14〜48作)』
本名:車竜造。病弱であり、心臓や高血圧、喘息や神経痛などの持病を持つ。
多趣味でパチンコ、囲碁、将棋、釣、盆栽をたしなむらしい(第13作)が、あまりそのシーンは拝めない。
柴又のダンゴ屋「とらや」の6代目の主人であり、寅次郎の父である平造の実の弟。両親を幼くして亡くしてしまったさくらを育ててきたのは、おいちゃんとおばちゃんである。いつも甥の寅次郎のことを「馬鹿だ、馬鹿だ」と言ってはいるが、本当はとても大事に思っているのが作品を通じて節々に感じられる。
森川信が演じていた時代には寅次郎のよき喧嘩相手であったが、その後この役はたこ社長へと引き継がれる。
昔の夢は満州で馬賊になることだったらしい(第21作)。
『おばちゃん(=三崎千恵子・・1〜48作)』
本名:車つね。竜造の妻。竜造とは見合結婚である。
主婦業の傍ら「とらや」の女将さんをこなす働き者である。家庭料理が得意で、「芋の煮ころがし」が十八番。両親と兄を亡くし、唯一の肉親である寅次郎に出奔されてしまったさくらを育てる。
感情表現豊かで情にもろい。いつも若々しいおばちゃんは、寅次郎にとって一番旨い料理を作ってくれる唯一の人でもある。寅次郎はおばちゃんの「芋の煮ころがし」が食べたくてわざわざ「とらや」へ帰って来るだという説もある。
また、寅次郎の話しを聞いている時などには「かわいそうだねぇ」「よかったねぇ」などの相槌をちょっとオーバーに入れてくれる。考えて行動するよりも気分の赴くままに行動する人である。
寅次郎が「とらや」に連れて来るマドンナに対しては、「寅ちゃんのおかげでたくさんのきれいな人に会える」と言い(28作)、正月に二枚目の三郎(=沢田研二・・・第30作)が尋ねてこないことがわかると「せっかくいい着物を着て待っていたのに・・。」と残念がる。また、石橋一道(=中井貴一・・・第32作)には会う早々に「いい男だねぇ」。どんな人が来ようが(池の内青観(=宇野重吉・・・第17作)は例外)、嫌な顔一つしないで応対してくれる。
若かりし頃の夢は日本橋の大きな呉服屋のおかみさんになることであった(第21作)。好物は「ようかん」。
『諏訪博(=前田吟・・1〜48作)』
さくらの夫。北海大学名誉教授の諏訪ヒョウ一郎(=志村喬)の2人の兄、1人の姉の末っ子として生まれる。
中学生の頃は、弁護士を夢見る少年であったが(第35作)、母親思いである博は、母を女中のように扱う父親の態度とは居入れなかった(第8作)。高校の時にぐれて退学(第1作)してしまい、その後いろんな職業を転々として(第35作)、東京の新宿でたむろしていた所をたこ社長に拾われ(第6作)、朝日印刷の工員となり住み込みで働くようになった。その後、朝日印刷の寮の部屋から、隣の家「とらや」二階の窓ごしに見るさくらに思いを寄せながら、三年の年月が流れ(第1作)、寅次郎が20年振りに帰ってきたと同時にさくらと結婚する。
結婚式の席上、8年振りの父親との再会を果たす。寅さんとの接点は、ぐれて家出したというところにあるが、その後に「堅気」になり現在では誠実さを絵に描いたような人物となっている。
そんな博も『純情編(第6作)』からは、密かに独立をほのめかす言動をしている。仕事のできる博は、常々自分を試してみたいと人生の賭けに出たがっていたようで、この独立開業の夢は『口笛を吹く寅次郎(第32作)』まで続くこととなるが、父親の遺産で購入したオフセット印刷の機械を朝日印刷に投資することによって夢を諦めてしまった。
年齢は高校中退で家出し、第1作では父親との8年ぶりの再会を果すので、第1作当時は24〜26歳となるので、平成8年現在50歳を越えた位であろうか。
『柴又慕情(第9作)』で一戸建住宅の計画を練り、『寅次郎かもめ歌(第26作)』で実現する。「とらや」を抵当に3年ローンで念願のマイホームを題経寺の南側に購入したのであるが、どういう訳かこの後に江戸川土手の近くに引っ越しをしている。博とさくらのマイホームの二階には寅次郎の部屋がある。
愛読書は左翼系の「世界」という雑誌である(第22作)。食べ物は「ピーマン」が苦手らしい(^^;)(第43作)。
『諏訪満男(=中村はやと・・1〜26作、沖田康浩・・9作、吉岡秀隆・・27〜48作)』
さくらと博の結婚の翌年に生まれる(第1作)。さくらと博の一粒種。
柴又第二小学校(第17〜32作)、中学(第33〜37作)、葛飾高校(第38〜40作)、代々木の予備校(第41〜42作)、八王子の大学・経済学部(第43〜46作)、光陽商事のサラリーマン(第47〜48作)とシリーズを通じて成長して行く。
教育熱心な親を持ったため子供の頃は、英語塾に数年通い(第24、26作)、音楽(主に吹奏楽)を嗜んだ。音楽については、音楽家になることが満男自身の子供の頃の夢でもあり、第11作のピアノに始まり、フルート、チューバと年月とともに変遷してゆくが、『寅次郎の休日(第43作)』でもキーボードを弾いているのでこの夢は現在進行形かもしれない。
大学時代は野球部の補欠のピッチャーをやっており(第47作)、才能は無いようだがスポーツもそれなりにこなすようだ。
赤ん坊の頃は、寅次郎に顔が似ていると言われ、現在では性格まで似てきている。寅次郎のようにいつも女の子が周りにいる。しかし、女の子の方から寄ってくる所が寅次郎とは異なっている。第34作では3人の女の子に「満男!」と気軽に声を掛けられ、学校の帰りには「満男くん、さようなら」(第35作)、第37作ではラブレターを受け取り、正月には晴着姿の3人組が家まで迎えにくる(第40作)、江戸川を女の子と歩いていたこともあったし、女の子からの電話も頻繁にあるようだ(第48作など)。
泉(=後藤久美子・・42〜45、48作)、亜矢(=城山美佳子・・46作)、菜穂(=牧瀬里穂・・47作)に好かれ、今や寅次郎をも凌ぐ勢いである。また、『ぼくの伯父さん(第42作)』以降の満男のマドンナ・及川泉には、『寅次郎紅の花(第48作)』で初めての告白をする。
無鉄砲で優柔不断、周りの迷惑を考えずに行動するタイプであるが、どこかにくめない所があるらしく決して嫌われることはない。泉が家に尋ねてきたときに親友の吉田(あだ名:よっちん)(=古本新之輔・・42、43、45、46作)が引っ越しの手伝いにわざわざ八王子から3時間かけてレンタカーで来てくれたのにもかかわらず、理由も告げずに追い返している(第43作)。「お前なんか絶交だ〜」と言われながらも、その後にも交友は続くのである。
バイクが趣味。第42作で初の飲酒、第43作から喫煙をする。
『源公(=佐藤蛾次郎・・1〜48作)』
本名は源吉らしい。さくらでさえ「あれ、名前なんて言ったっけ?」と言うように本名が判らない。寅次郎曰く「源ちゃんで、名前なんかないよ」(第14作)。関西で生まれ、生後すぐに母と別離した。母親は男と逃げたのである(第27作)。生年は昭和25年らしい(第2作)。
寅次郎の舎弟をしている時に、帝釈天・題経寺の御前様に諭され、以後、題経寺の寺男として働き(第6作)、鐘付きと境内の掃除が日課となっている。
ごく稀に、「とらや」の手伝いや、寅次郎のテキヤ仕事のサクラをやっていたりする。いつも寅次郎のことを「兄貴」と慕うも、陰では笑っていたり、寅次郎の色恋の噂を流していたりする。
『御前様(=笠智衆・・1〜45作)』
柴又の帝釈天の住職。正確には経栄山題経寺山主・日奏上人。寺の一角にあるルンビニー幼稚園の園長先生も勤める。本名、生年、出身は不明。
寅次郎の父親・平造の代から柴又界隈では、皆のよき相談相手として尊敬と敬意の中心にある識者であった。現在では、寅次郎が唯一頭の上がらない人物でもある。
そんな御前様は、時に寅次郎へ影響を与える。シリーズ随一の写真ギャグである「はい笑って、バター(チーズの間違い)」は、第1作の御前様が最初である。その後、寅次郎は写真を撮る機会がある度にこのギャグを連呼するようになる。寅次郎は第9作では、バターのおかげで歌子(=吉永小百合)と2人の若い女性と知り合うことになった。
寅次郎がよちよち歩きをしていた頃(第31作)から題経寺の住職をしている。
妻は早くに亡くなり以来独身であり、その娘・坪内冬子(=光本幸子・・1、7、46作)は寅次郎の最初のマドンナでもある。『寅次郎の告白(第44作)』では「私の恋の激しさといったら寅なんか問題じゃありません」と告白し、昔は結構な遊び人だったらしいことをほのめかす。
『たこ社長(=太宰久雄・・1〜48作)』
「とらや」の隣にある中小企業「朝日印刷所」の経営者。本名は桂梅太郎。
「たこ」というあだ名を付けたのは寅次郎である(第1作)。
家出していた諏訪博を引き取って世話をしていたことから、博とさくらの結婚式では仲人を務める。
たこ社長自身は見合結婚で桂小春と結婚した。小春とは見合いの席上一回会ったきりであり、しかも挙式当日に見合いした相手が小春の妹であったことに気付くが、仲人に対して借金があったので断ることが出来なかったらしい(第
23作)。第6作で子供は二男二女らしいことが確認できるが、長女あけみ(=美保純・・33〜39作)以外姿を見せないので詳細は不明である。
若い頃は、ダンスホールに通い(第29作)、女道楽して奥さんを泣かしたり(第7作)となかなかの遊び人であった。しかし、弁護士を目指して夜学に通ったり(第21作)して一企業家になる土台を築き、朝日印刷の工場を昭和21年に妻小春と共に始めた(第47作)。博を初め、寅次郎の見合相手の駒子(=春川ますみ・・・3作)を世話したり、嫁探しをしたり(第10作)、すみれ(=伊藤蘭・・・26作)のアルバイトの世話をしたりと面倒見が良く、同時にかなり顔が広いようだ。
作品中ではいつも金策の苦労ばかりしている貧乏経営者であり、「とらや」の草だんごが大箱300円の時代にはいつも「200円のだんごちょうだい」と持ち前のせこさを見せていた。
しかし、そんな貧乏経営者でも遂に ゆかり(=マキノ佐代子)という秘書を『旅と女と寅次郎(第31作)』から雇うことになる。
若い女性で、しかも、秘書を突然に雇ったことは金策に追われる貧乏経営者らしからぬ采配なのだが、これにはいささか裏事情があるようだ。『寅次郎紙風船(28作)』で若い家出娘の愛子(=岸本加世子)が朝日印刷所を尋ねた時、たこ社長曰く「いいねぇ、若いコは」。その発言に呼応して工員の中村(=笠井一彦)が「若いコでも入れましょうよ」と言うと、たこ社長は貧乏を理由に「無理」と一笑にふす。その時、中村は冗談半文に「じゃあ、辞めようかな」と答えたのだが、それから2年経たずに、ゆかりを雇った。この事件、 "博と同じくらい大事な中村(笠岡)に辞められては困る" とたこ社長が考えたのかもしれない。何か社長の悲哀を感じる。
朝日印刷にオフセット印刷が導入されてから(第32作)は余剰人員に悩まされるが、「誰が一番無駄かと考えたら、この俺なんだよ」と仕事の上でも無能ぶりを発揮している(第35作)。
「早くお風呂に入ってよ!」と声だけの出演と思われている妻の小春は、実は『男はつらいよ(第1作)』と『純情編(第6作)』にだけ出演している。
『お菊(=ミヤコ蝶々・・2、7作)』
寅次郎の実の母。寅次郎とお菊は『続・男はつらいよ(第2作)』では実に38年振りの再会を果す。寅次郎を生んでからのお菊は決して生活が楽ではなく苦労をしていたようだ。第7作では生活苦から寅次郎を手放したと発言している。寅次郎の父親「車平造」はおそらくこの頃、さくらの母親(1作で写真のみ登場)と既に結婚しており、自分が妾であることが原因で苦労をしたのであろう。
京都で「グランドホテル」という連れ込み旅館の女将をしており、帝国ホテルに宿泊したり、リムジンを手配したりとそれなりに収入はあるようである。
最もおいちゃんに言わせれば「昔からの苦労を柴又の人達に見せまいと無理をしている。」らしい。『寅次郎の告白(第44作)』では、寅次郎は「あのくそ婆に腰巻でも送ってやるか。」と言っていることから、現在でも健在であること
が確認できる。
『車平造』
寅次郎の実の父、おいちゃんの実の兄である。シリーズを通し第1作で一度だけ写真で登場する。
寅次郎が中学生の時に家出して、その数年後に他界した。『寅次郎忘れな草(第11作)』で27回忌であることから、昭和21年〜22年が没年齢と考えられる。
寅次郎に言わせればとんでもない親父であった。遊び人であり、酒や女の方も凄かったらしい。柴又の芸者をしていたお菊との間に酔った勢いでできてしまった寅次郎は(第2作)、父親の平造に対して良い思いを抱いていない。
『川又登(=津坂匡章(現:秋野太作)・・1、2、4、5、9、10、33作)』
寅次郎の舎弟。八戸出身。寅次郎を「兄貴」と慕う。
寅次郎の様なテキヤになることに憧れを抱くが、寅次郎は前途ある若い登を常々心配していた。いつも寅次郎は登を堅気の人間へと校正させようと、さくらへ「宜しく頼む」と手紙に書いたり、「とらや」で働かせたりと努力する。
『フーテンの寅(第3作)』ではいきなりスーツ姿で登場する。『新・男はつらいよ(第4作)』でも前作と同じ旅行代理店の営業マンとして出演するが、この堅気は、旅行代理店の社長が寅次郎が払ったお金を持ち逃げしてしまった結末であえなく挫折してしまう。以降、すっかり堅気になることをあきらめて元のテキヤに戻ってしまう登だが、『寅次郎夢枕(第10作)』で旅先の宿で息巻いている所で寅次郎と再会した折に、寅次郎は「一日も早く足を洗って地道に暮らせ。このままじゃろくな事にならないからな」と言う手紙を送るエピソードを最後に消息を絶ってしまう。
しかし、それから年月がかなり経った『夜霧にむせぶ寅次郎(第33作)』では、盛岡で所帯を持った登が、小さな娘を連れて寅次郎の前に現れる。堅気になって今川焼き屋の主人をしていたのである。
◆ひろぽん(^-^)/VYA01323◆
Copyright by H.Hirai/1996.01.22
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