fjmovie.com
関連リンク
公式サイト
関連記事
『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』作品情報
トップページ ニュース・情報一覧
『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』
太田隆文監督インタビュー

 突然の事故で3人のクラスメイトを失った夏美の前に、死んだはずのマキ、理沙、美香が現われる。限られた時間だけこの世に戻ってきた3人。夏美は3人の最後の思い出を作ろうとするのだった…。
 佐津川愛美さん、谷村美月さん、芳賀優里亜さん、東亜優さんという注目の若手女優たちが出演する『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』は、女子高生たちの友情と別れを、和歌山県田辺市の風景の中で描いた青春ファンタジー。
 4人の少女がひと夏に体験する奇跡を、切なくも優しくスクリーンに映し出すのは、この作品が初の劇場用作品となる太田隆文監督。監督がこの作品に込めた想いとは? 太田監督にじっくりとお話をうかがいました。



太田隆文監督プロフィール
1961年和歌山県田辺市生まれ。1985年にアメリカに留学、南カルフォルニア大学で映画を学ぶ。1995年、ビデオ作品「アルティメット・クライシス」(吉村典久監督)の脚本を手掛けたのを皮切りに多くの作品で脚本を担当し、1998年テレビドラマ「風の娘たち」(テレビ東京)で監督デビュー。以降、ビデオ作品「真・恐怖体験」シリーズ、ドラマ「怪談 新耳袋」(第2シーズン:2003年)などを演出。大林宣彦監督作品『理由』(2004年)ではメイキング監督を担当。


一度、映画の中だけでも昭和40年代に戻ってみましょう

―― 『海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』(以下『ストロベリーフィールズ』)は、すごくこだわりを持って作られた作品だという印象を受けました。まず、田辺市を舞台に選ばれたのはなぜだったのでしょうか?

太田:田辺市はぼくの生まれ故郷で、海に面した素敵な街なので、いつかここで映画を撮りたいなという想いがありました。それと同時に、田辺市は昭和40年代の景色が残る街なんですね。昭和40年代というのが今の日本にとってのキーワードだなと思っていて、それが田辺市に惹かれたところです。

―― 昭和40年代を舞台に設定された理由は?

太田:昭和40年代って日本が大きな選択をした分岐点だったと思うんですね。戦後、日本が焼け野原になってすべてを失ったときに、日本人は豊かなアメリカを見て「物がたくさんあることが幸せだ」って考えて、お父さんたちは夜遅くまで働いて、家を建てたり電化製品を買ったり、物を豊かにしていく方向で今日まで来たと思うんです。
 そして日本は世界でもトップレベルの豊かさを誇るようになった。ところが、若い人たちで自分が幸せだって思っている人はあんまりいないですよね。ぼくら昭和30年代生まれと比べたら今の若い人たちは物もたくさんあって幸せなはずなのに、昔よりも笑顔が少ない。きっと物質的な豊かさというのは幸せになるための絶対条件ではなかった。別にあった本当に大切なものを日本人が失くしてしまったから、喪失感が漂う時代になったじゃないかと思えるんです。では、何を失くしてしまったのかと言うと、それは「心」と「絆」だと感じるんです。親子の絆、友達との絆。昔だったら近所の子が悪いことをしたら大人たちが叱ったりしたけど今はそれもできないし、学校でも先生が生徒を殴っちゃいけない。友達同士でもすごく関係が希薄で、メールで「元気にしてる?」とか出し合わないと友達ということを確認できないような寂しさがある。若い子たちは無意識の内に友達関係を確認することで失った「絆」や「心」を手に入れようとしているんだと思うんです。
 今は「ほんとに大事なのは物じゃなかったのかも? 自分たちは間違っていたんじゃないか?」ってことに、なんとなくみんなが気づき始めていると思うんです。だけど、どうしたらいいかわからない。だから一度、映画の中だけでも昭和40年代に戻ってみましょうと。何が間違っていたのか? 何が大切だったのか? 今から何ができるのか? を考えるには、昭和40年代を振り返って見つめ直すことだと思うんです。それが今回の舞台を昭和40年代にした一番大きな理由ですね。

―― ただ、映画は昭和40何年と厳密に設定しているわけではないんですよね。

太田:漠然と昭和40年代、1970年から75年くらいの間で捉えてもらえればと考えていたんです。演出部の助監督さんたちってすごく熱心なので「監督、これは昭和40何年なんですか?」って聞いてくるんですよ。それによって、写真を撮る場面でも「1975年ならこのカメラが出ているけど、1年前だとまだ出ていない」とか用意するものが違ってくるんです。でも、昭和40年代を振り返るためには大きな枠で捉えた方が描けるかなと思ったので、そういう1年の違いにこだわるのではなくて、昭和の“ある時代”ということで少し枠を広げたんです。ただ、あまりに現代的なものが出て来てしまうと嘘なので、車であればドアミラーではなくフェンダーにミラーの付いた車を田辺市中から探してもらったり、小道具に関しても現代のものではないものをお願いしたんです。

―― もうひとつ、西暦ではなくて昭和で振り返ることも重要だったんですね。

太田:そうなんです。いつもは「1961年生まれです」とか「1980年に『スターウォーズ 帝国の逆襲』があったよね」とか、絶対に西暦で言うんですよ。やっぱり西暦で見ないと物事を客観的に見られないと思うんですけど、昭和40年代というのは1965年から1974年まで。でも、1960年代と1970年代って、音楽にしても映画にしても、明らかにそこで変わっていて別の時代だと思うんです。けど、日本は世界の流れは違って、昭和40年代っていうのは、日本が「もはや戦後ではない」というときから次第に豊かになるまでの時代をうまく網羅していると思うんですね。そういう意味で、日本を語るときには昭和で語るのが一番わかりやすいんじゃないかと思って「昭和40年代」にしたんです。


素顔に近づけることが昭和40年代らしさを出すことにもつながった

―― そうして昭和40年代を振り返る上で、女子高生を主人公にしたのはなぜだったんでしょう?

太田:物質的には豊かになった日本で、誰が一番哀しい思いをしているかって考えたときに、それは女子高生だと思ったんです。ぼくは以前、演劇学校で教えていたことがあったんですけど、生徒は10〜20代の女の子が多くて、みんなプリクラを撮って、カラオケに行って、ケータイを持っている。ぼくらが子供のころにもいろいろ流行はありましたけど、そういうレベルではなくて、ほんとに誰もがやってるんですね。ぼくは最初、その理由がわからなかったんです。でも、やがて彼女たちは友達がいることを確認するためにプリクラを撮る、カラオケをみんなで歌うことで連帯感を感じる、友達関係を確認するためにメールを出す。そういうことでしか「心の絆」を感じられないんだと気づいたんです。
 ぼくらの親の世代は「日本はいい国になった」って言うんですよね。物をたくさん手に入れてある種の満足をしていて、なんか違うなと思いつつも幸せだと信じたい。その次の世代であるぼくら30代40代も、親の世代ほどではないにしろ昭和40年代を知っているから、たしかに今は便利になったという小さな喜びはあるんです。でも、当たり前に物が豊かにある子たちは、それでは幸せを感じられないんです。心の飢餓感、喪失感を抱えていて、絆を一番必要としているのは10代だと思うんです。ほとんどの世代が同じふうに感じているはず。だから、彼女たちを描くことが日本全体、日本人を描くための一番近道だと思ったんです。

―― その主人公たちを演じているのは今、注目の若手女優4人ですけど、やはりキャスト選びにもかなりこだわられたのでしょうか?

太田:ひとつには、アイドル映画にはしたくないというのがあったんです。グラビアで売れているとか、歌で人気があるからということで選びたくはなかった。10代の哀しみ、友達との絆、親子の繋がり、ということを描くためにはある程度の演技力がなければならないので、アイドルではなく女優に演じてもらいたかったというのがひとつです。
 もうひとつ、青春映画で良く使われる手で、20才を越えているのにセーラー服を着せて女子高生を演じさせるというのがテレビでも映画でも多いんですけど、それはやめたかったんです。というのは、女の子って18歳を越えて高校を卒業すると、別の生き物になってしまうんですよね(笑)。でも実はそれは当然のことで、高校時代は規則があって、お母さんから「勉強しなさい」とか言われる世界にいたのが、卒業すると高校生の価値観とは別の世界になっちゃうんですよね。だから、高校生の寂しさや哀しさを描くのは、今それを感じている人じゃないと出せないと思うんです。その意味でも18歳以下の子に出て欲しかった。だから、撮影したときは全員、現役の女子高生と中学生だったんです。

―― みなさん、ほかの作品だと今どきの子っぽく見えるんですけど、この作品だとちゃんと昭和40年代っぽく見えているのがちょっと意外でした。

太田:実はそれは二重の構図がありまして、もちろんこの子たちが抜群に演技がうまく、シナリオを読み込んで、深く物語を理解してくれたということはあるんですけど、昭和40年代から現代に至るまで子供たちはそんな大きな変化はしていないと思うんです。大人たちは「昔の子供たちは純粋で今の子供たちはすれている」と言うけど、昔からひねてたり突っ張っていたりする子はいたし、純粋で真っ直ぐな子も今だっています。本質的な想いは今も変わっていないと思うんです。そうしたときに、特に昭和40年代を意識するのではなく、10代の俳優の素顔に近づけることが昭和40年代らしさを出すことにもつながると思うんです。だから、役に合った子を選んではいるんですけど、選んだあとで本人たちに合わせてシナリオをもう一度書き直しているんです。そうやって、いかに素直な自分で演じられるかという中で、いつの時代も変わらない若さが出てきたんだと思います。

―― シナリオを書き直しているということですが、キャストが決定してから撮影に入るまではどれくらいあったんですか?

太田:最後のひとりが決まるまで1ヶ月以上かかっているんで、その間にもかなり何稿かシナリオを書いているんですけど、全員が決まってからは何週間かで撮影に入っています。

―― その中でシナリオを変えるというのはかなり大変なことですよね。

太田:スタッフも心配はしていましたね(笑)。佐津川愛美(夏美役)さんが最後に決まったんですけど、決まった段階で役柄を思いっきり変えたんですよ。でも、ストーリーっていうのはブロックで積み重ねていくので、完成したあとに重ねたひとつを取り替えようとすると全部が崩れてしまうことがあるわけです。けど、佐津川の魅力をより出して最大限に活かすにはキャラを大胆に変えるべきだと思っていました。
 ぼくの手法って舞台演劇に近いんですよ。三谷幸喜さんもそうですけど、演じる人を良く知っていて、その俳優のキャラに合わせてホン(脚本)を書く。それによって、その本人以外ができない魅力的なキャラクターができあがるはず。リアルな演技の究極は本物なわけですよ。だからその俳優を役に近づけるのではなく、役を俳優に近づければ素晴しい演技になるんです。けど、それは役者さん自身も気付いてないことが多いんです。たとえば芳賀(優里亜=理沙役)さんも「この4人の役の中でどれが自分に近いと思いますか」と聞いたら「マキと夏美だと思います」って言ってたんですよ。でも、彼女はもの凄く理解力のある子なので自分の中にも理沙と同じところがたくさんあるってすぐにわかって、理沙というキャラを完璧に把握して、ぼくが設定した以上に魅力ある人物として演じてくれました。名演技というのは「演技力ある俳優」が「自身に近い役」を演じたとき生まれると思っています。
 ぼくは自主映画出身なんで、周りにいる友達に合わせて当て書きするというところから始めていて、その人に合わせてキャラを書きながら想定した物語は変えないというのが割と得意なんで、いつも使う手法なんですよ。最初は「急に役を変えられたら佐津川が大変なんじゃないか」という意見もあったんですけど、実は彼女自身も「変えてくれたんですごくやりやすくできました」と思ったそうで、結果あの泣ける演技を見せてくれた訳です。


映像として残すことで想いを大切にしたい

―― 監督が以前に手掛けられたテレビドラマの「風の娘たち」(1998年・テレビ東京)には周りの出来事をビデオカメラで撮影する女の子が出てきていましたよね。

太田:はいはい、出てました、出てました。

―― そして『ストロベリーフィールズ』では夏美が8ミリカメラで周りを撮影していて“カメラを持った女の子”というのが監督のひとつのモチーフとしてあるのかなと思ったのですが。

太田:特に“女の子”というこだわりはないんですけど、ぼく自身が高校時代から8ミリを撮っていたので、カメラを回すということで自分自身を重ねられるってところがあるんだと思います。それと、カメラを回す人たちというのは、ちょっと寂しがり屋とか繊細なところがあります。映像を記録することで「あの時代はこうだったね」とか「あのときは楽しかったよね」とか想いを大切にしたいんですね。佐津川さんが演じた夏美もそういう女の子だし、友達が少なくて寂しがり屋の部分をカメラを持たせることで表現できるかなって思いました。これも本人に会ったあとで加えた設定です。ちなみに、その設定は大当たりで、実際に佐津川さんは空や雲をスチールカメラで撮るのが趣味ということで、夏美が8ミリカメラをまわす場面にも強いリアリティが出たのだと思います。
 もうひとつ面白いのは、ぼくが高校の体育祭で8ミリカメラを回したとき、みんながこっちを向いて手を振ったり、ピースしたりして、それによって新しい友達ができたり、みんなに注目されたりしたことがありました。カメラを持つことで周りとコミュニケーションができるというところがあるんですよ。
 「風の娘たち」でカメラを持った子をやっていたのは柳原尋美っていう女の子で、「風の娘たち」の前に「太陽娘と海」(1998年・テレビ東京)というモーニング娘。のドラマにも出てたんですけど、それが彼女の初めての仕事だったので周りともうまくコミュニケーションできないで、ちょっと寂しそうだったんですね。ぼくはその番組では演出補をやっていたんですけど、彼女に「ビデオカメラを使うシーンがあるから練習してごらん」ってカメラを渡したら「安倍(なつみ=当時のモーニング娘。のメンバー)さん、こっち向いてピースして!」とか言ってすぐにモーニングと仲良くなって、すごく打ち解けていったんです。カメラってそういうきっかけとしてすごく効果を発揮するんです。

―― 柳原さんはそのあとお亡くなりになってしまったんですよね。

太田:ええ、カントリー娘。というグループでデビューする直前に亡くなりました。(※1999年に事故のため逝去) 「風の娘たち」のロケ現場のすぐ近くでの交通事故なんですけど、ぼくが一番可愛がっていた子なんで、今も毎年お墓参りに行ってます。帰りには実家のご両親を訪ねて思い出話をするんです。お父さんもお母さんも撮影現場での姿はご存知ないので「私たちの知らないところで尋美がそういう風にみんなに可愛がられていたのはすごく嬉しい」って言ってくれます。でも、あれから7年過ぎて、あらゆることを話してしまって、もうお話しすることがないんですよ。新しい思い出は作られていかない訳ですから。そのときに「ああ、人が死ぬってこういうことなんだな…」って思ったんです。その想いが『ストロベリーフィールズ』にもすごく影響しています。死んでしまった理沙(芳賀優里亜)も美香(東亜優)もマキ(谷村美月)も新しい思い出はもう作れないから、その代わりに夏美(佐津川愛美)が思い出を作っていかなければならない。
 ぼくや今回のカメラマン(三本木久城)も同じ気持ちなんです。彼とは「風の娘たち」のときからの付き合いで、ぼくより多く尋美と仕事をしているので、いつも彼と一緒にお墓にお参りに行きます。尋美はやんちゃな子でワガママ言うことも多くて、厳しく注意して何回か泣かしてやったこともあるんですけど、いつも元気な可愛い子でした。でも、もうあの子がいないってことを考えるとね、彼女の存在ってなんだったんだろうって考えるんです。きっと生きている人が尋美の分もしっかり生きなきゃいけない。思い出を胸にがんばらないといけないと思えるんです。『ストロベリーフィールズ』はそんな気持ちを込めて作ったんです。


女の子たちは何も言わなくてもわかってくれると思う

―― 太田監督は好きな作品に大林宣彦監督の尾道三部作を挙げていらっしゃいますが、『ストロベリーフィールズ』は尾道三部作と共通する雰囲気があるというか、一緒に上映したら違和感がないような作品になっていると感じました。

太田:いやいや、おそれ多くて(笑)。でも、それはある意味嬉しいことですね。尾道シリーズを目指して作ったわけではないんですけど、尾道三部作はぼくが映画ファンのときに「こんな日本映画があるんだ」って感動した作品ですし、そのころは日本映画が大っ嫌いだったので「すごい監督が日本にもいるんだ」と思ったものです。そのあとで実際に大林さんにお会いして『理由』(2004年)という映画でメイキングをやらせていただいたり、今回もずっと応援してくださったし、やっぱり先生みたいな方ですから。懐かしい日本の風景の中で青春を描くっていうのは影響を受けた部分から出発しているので、そうなっているのかもしれないです。

―― 今後、田辺市を舞台に“田辺三部作”を作るという計画はないんでしょうか?

太田:良くそう言われるんですけどね(笑)。大林さんってすごいなと思うのは『転校生』(1982年)のあとに『時をかける少女』(1983年)、そのあとに『さびしんぼう』(1985年)と、1年とか2年後くらいにまた名作を撮ってしまっているんですよね。ぼくは今回の作品を5年かけたんですけど、この次は10年かけなきゃいけないかなって。だから頑張らなきゃいけないと思っているんですけど(笑)。
 でも、大林さんも最初から三部作を撮るつもりで始めたわけではなく、終わってから三部作と言われるようになったんですよね。だから、若い子たちに伝える大切なことがたくさんある中で、形とか場所にとらわれずにはやらなきゃいけないと思っています。

―― 現在、次の作品の予定はあるのでしょうか?

太田:やりたい企画はあります。映画って、小説なんかも同じだと思いますけど、ひとつの作品を作ったことで次の作品につながっていくんだと思うんですよね。たとえば黒澤明監督は『白痴』(1951年)をやったが故に『生きる』(1952年)が生まれてきたと思うんですよ。ひとつひとつの作品が独立していて「今度はホラーにしよう」とか「次はファンタジーにしよう」って作るということではないと思えます。
 実は『ストロベリーフィールズ』を作るきっかけって、ぼくが前に書いた「救世主ケイン」というサイコミステリー小説なんです。それは実在の人物をモデルにしていて、ある友人がなぜ狂って、犯罪者になってしまったか? を探って行く物語なんですけど、そうしたら親が子供の将来を心配するがゆえに厳しく教育して子供が歪んでしまったことがわかってきました。酒鬼薔薇事件や宮崎勤事件と近い構図なんですけど、それを書いたときに「じゃあ親は子供にどう接すればいいのか?」という疑問が出てきて、それで考えてできたのが『ストロベリーフィールズ』なんですよ。
 『ストロベリーフィールズ』は子供たちへのメッセージであるんですけど、親たちへのメッセージでもあるんです。映画の中で、幽霊になった美香がお父さんの前で手を振るんだけどわかってもらえない。それは幽霊だからじゃないんですね。親が子供のことをしっかり見ていないという表現。「お父さん、子供の姿が見えていますか? 声が聴こえていますか?」と問いかけるのもテーマのひとつなんです。
 親が良かれと思って、子供を愛する故に子供を歪めてしまっているという残酷な現実が現在の日本でもアメリカでもすごく多いんですけど、まだそれに気づかないでいる親が多いと思えます。簡単にはできない話なんですけど、次はひとつ戻って「救世主ケイン」で書いたテーマを映画でやりたいんです。

―― では、最後に映画をご覧になる方にメッセージがあればお願いします。

太田:10代20代の子たち、特に女の子中心に観てもらいたいっていうのは最初からの想いなんですけど、たぶんその世代の女の子たちは何も言わなくても『ストロベリーフィールズ』を観ればわかってくれると思うんですね。友人の中には「今時の女の子はこんなんじゃないと思うよ」と言う奴もいるんですけど、それは子供たちの表面しか見ていないと思います。マスコミが騒ぎ立てる部分。援助交際だ。コギャルだ。ヤマンバだ。とかいうセンセーショナルな側面ばかりを捉えて10代を認識してしまう。けど、内面的にはいつの時代も10代の本質的な部分は同じでみんな繊細な心を傷つけられながら何かを探しています。そんな今の10代に、いっぱい泣いて、いっぱい感動して欲しい。何か自分を見つめるきっかにして欲しい…。それがメッセージと言うか、願いです。

(2006年8月18日/グアパ・グアポにて収録)


海と夕陽と彼女の涙 ストロベリーフィールズ
2006年9月16日(土)、シアターイメージフォーラムにてモーニングショー
監督・脚本:太田隆文
出演:出演:佐津川愛美、芳賀優里亜、東亜優、谷村美月 ほか

詳しい作品情報はこちら!


サイト内の画像・文章の転載はご遠慮ください fjmovie.com トップページ ニュース・情報一覧