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『このすばらしきせかい』沖田修一監督インタビュー

 同級生を殴ってしまったことをきっかけに高校に行かなくなり、部屋でテレビゲームをして1日を過ごす涼一。そんなある日、しばらく涼一の家に滞在することになった叔父の清がやって来た。ちょっと変わった清の存在は、涼一の生活に変化を与えていく…。
 これまで短編作品で高い評価を受け、注目を浴びていた沖田修一監督の初長編作となる『このすばらしきせかい』は、高校生の少年が彼の叔父さんと過ごす日々を描いたハートウォーミング・コメディ。ユニークなキャラクターである“清叔父さん”が生まれたきっかけは? シネマ・ロサでの公開を前に、監督にお話をうかがいました。



沖田修一監督プロフィール
1977年愛知県生まれ。2001年に日本大学芸術学部映画学科卒業。翌年制作した短編映画『鍋と友達』で第7回水戸短編映像祭グランプリを受賞。その後『進め!』(2005年)が黒澤明記念ショートフィルム・コンペティション04-05にノミネートし、オムニバス映画『Life Cinematic 映画的人生』の1本として公開される。2005年には井口奈己監督『犬猫』のメイキング作品「メイキング オブ 犬猫」の構成・撮影・編集を担当。
スタジオカバ公式サイト:http://www009.upp.so-net.ne.jp/okishin/


「出会って別れるまで」だけを映画にしたい

―― 『このすばらしきせかい』の製作の動機はなんだったんですか?

沖田:ぼくの親戚にちょっと変わったおじさんがいまして、もともとはちゃんと働いていてお金持ちのイメージとかもあったんですけど、波乱に満ちた人生を送ってたみたいで、会うたびに感じが変わっていっていたんです。そのおじさんが面白くて、モデルにした映画を作りたいなって構想がずっと頭にあって、去年の11月頃に「じゃあやるか」っていう感じで始まりました。

―― そのおじさんは映画の清叔父さんそのままみたいな感じだったんでしょうか?

沖田:モデルではありますけど、映画の清叔父さんみたいに明るくないですね(笑)。ただ、そのおじさんが笑うときに、単に楽しくて笑っている笑顔ではなくて、つらそうな感じがあったんです。だから、清おじさんも明るさが逆にやけっぱちというか、違うものがそこにあるようなキャラクターにしようかなとは思っていました。ちょっと破滅的なところがあったんで、その破滅的なところを映画にしたかったんだとは思います。『このすばらしきせかい』っていう題名も、そういう皮肉で付けました。

―― 監督のおじさんが清叔父さんのモデルということは、涼一は監督ご自身がモデルなんですか?

沖田:ではないですね(笑)。ぼくは学校にちゃんと行っていましたし、でも、どこかしら自分と被っている部分はあると思います。

―― 清叔父さんも涼一も独特な雰囲気のキャラクターですけど、キャラクター造形はどういう風に考えられていたんですか?

沖田:シナリオを書いていく段階で、清叔父さんはすらすらと書けてしまったんです。それで、まず叔父さんのキャラクターがあったので、涼一のキャラクター造形についてはあんまりなにも考えてないですね。ただ、叔父さんと涼一と両方とも際立つように、両極端な感じにしようっていう意図はありました。

―― あとキャラクターの設定だと、涼一は不登校だけどイジメにあっているわけじゃないというのが、独特で面白いと思いました。

沖田:そうですね、普通はいじめられて行かなくなりますよね(笑)。あんまり深くは考えてなかったんですけど、学校に行っていないというだけであって、イジメ問題とか、引きこもり問題とか、そういうところへまでは発展したくないなあというところはありましたね。ちょっとしたきっかけで学校に行かなくなるってことは普通にあるだろうし。

―― この映画って、全体として大きな事件があるわけではないし、はっきりと起承転結があるというよりは淡々とした感じですね。

沖田:基本的に、起承転結についてはあまり考えないようにしていたんです。自分が観てきた映画でも起承転結がなくても面白い映画はあったし、自主映画なので起承転結がなくても誰にとがめられるわけでもないのでやってしまおうかなというところもあって。ぼくも起伏に富んだ映画を観て感動する良さは知っているんですけど、こういう映画があってもいいかなっていうところはあります。
 ウディ・アレンの『アニー・ホール』(1977年)ってあるじゃないですか。あれは時系列が入り組んでいたりしますけど、主人公ふたりが出会って別れるまでだけでできたラブストーリーだと思うんです。その「出会って別れるまで」だけを映画にしたいなあっていう気持ちがあって、すごく地味だけどちょっとしたエピソードをどんどん積み重ねて、最後に別れが来たときにお客さんがどういう感情で映画を観るかっていうところに興味があったんです。

―― ストーリーと同じように、家族も含めて登場人物も淡々としていますよね。あんまり感情を出さずに穏やかな感じで。

沖田:家族に関しては、息子が学校に行っていないってことをどう思っているのかっていうことをはっきり示すかどうかで悩んだところはあって、シナリオではお父さんとお母さんがカウンセリングみたいなところに出向くみたいなシーンを書いたりしたんです。だけどそれはバッサリ切ってしまって、裏にある事実だったり感情だったりを極力排除して、表の面だけを見せて想像させるような仕組みを作ろうかなと思ったんです。だから、清叔父さんに関しても、過去に何をしてきてどういう流れでこうなってしまったのかってことをあまり触れないような方向で映画を組み立てていきました。それでたぶん穏やかになっているんじゃないかなと思うんですけど。穏やかじゃない部分は見せないという(笑)。

―― 実際に清叔父さんみたいな人が身近にいたら、お父さんとかお母さんはもっと激しく怒ったりしそうですよね。

沖田:たぶん、それはうちの家族の影響もあると思うんです。うちの家族は大事なことって話さないんですよね(笑)。それで、ふとした拍子に大事なことを話されて困るっていうことがあって、そういうのが影響しているんだと思うんです。お父さんお母さんも、この映画の裏では「どうにかしないと」とか、いろんな話をしているとは思います(笑)。

―― 家族の描写でいうと、家の中に飾ってある仏像とか鹿の頭とかが、いかにもあの家族が置きそうだなっていう感じがしました。

沖田:基本的に金持ちの家っていう感じが出るといいなと思って、いろいろ選んだんです。鹿の頭は、そこにあるだけで面白いだろうなと思って美術のところから借りてきて、壷とか仏像はうちにあった奴ですね。あとは知り合いの人から高級そうなものを借りてきたりして。それで、それがなくなったあとに安っぽいものに変わっているっていうのをやりたかったんです(笑)。

―― 置いてあるものといえば、玄関に置いてある金魚はなにか特別な意味があったんでしょうか?

沖田:あの金魚はうちで飼っている金魚なんです。お祭で買ってきたのが10何年生きていて、異様にでかくってみんな驚くんで「いつか映画に出したいね」って話をスタッフとしていたんです。それで、玄関に魚を置く家は風水的に良くないって聞いて「それは面白いね」って話になって、だったらあの金魚を持ってくるかって。あんまり深くは考えていないんですけど、映画を観ている人が深読みしてくれると助かります(笑)。



この人は答えを持っていないっていう感じがいい

―― 叔父さん役を演じた古舘寛治さんのキャスティングはどのように決まったんでしょうか?

沖田:もう、いちばん最初に決まりました。前に短編映画(『進め!』・2005年)を撮ったときに古舘さんに出てもらったことがあって、そのときが初対面だったんですけど、また出てもらいたいなあって感じだったので、今度のシナリオを書いているときに最初から古舘さんにやってもらおうっていうのは決まっていました。シナリオを書いているときから「古舘さんがやったらこういう風になるだろう」とイメージしたところもあります。

―― 涼一役の畑敬志さんはまったく演技経験がないそうですが?

沖田:畑くんはほんとにただの友達で、音楽の澤口希さんがやっているオムトンっていうバンドのライブで共通の知り合いを通じて友達になって、ライブ会場で良く会って「よう、久しぶり」みたいに話す間柄だったんです。涼一に関してはかなり迷って、最初は違う方が決まったりもしたんですけど、スケジュール的なことでうまくいかなかったりしたんです。それで、ぼくは前から畑くんが映画に出ても面白いんじゃないかなと思っていたし、まだ若くって高校生に見えなくもないので、1回試してみようかっていうことになったんです。畑くんと古舘さんが並んだ画っていうのが面白そうだなと思ったし、周りがみんな演技派揃いだから、主役が演技できなくてもお互い映えるじゃないかなと思って、ホンの読み合わせを何回かしているうちに段々面白くなってきて「じゃあやろうか」っていうことになりました。

―― 畑さん自身は「映画をやってみない」と言ったときはどんな反応だったんですか?

沖田:本人も淡々としているので「マジっすか?」みたいな感じで、とりあえず主役ではないと思っていたみたいですね。冗談みたいなもんだろうと思っていましたし、ぼくらも畑くんに関してはだましだまし策を練っていたところもあるんです。シネマ・ロサで公開するというのも決まっていたんですけど、畑くんに言うとビビられそうだったんで黙っていたりしたんですけど、畑くんが段々「あれ、もしかしてこれって大変なことじゃないんですか」みたいになってきて「いや、そんなことないよ」って(笑)。

―― 畑さんの淡々としたところは涼一と近いところがあるのでしょうか?

沖田:あると思います。なにかを演じる人よりは、棒読みでセリフをただ読んでくれる人っていうのを探してたんで、逆にそういう人がなかなかいなかったんです。畑くんは最初に読み合わせをした段階でそれがうまくできたんですよ。あんまり考えてなかったからだと思うんですけど(笑)。涼一が段々明るくなっていくっていうところは演技が必要になるので難関だったんですけど、シナリオの段階から演技が必要な感じのセリフは切り捨てて、人が普段から良く使いそうな言葉だけをセリフにして「シナリオどおりでなくても畑くんが喋りやすいセリフでいいから」っていう感じで進めていきました。それで、古舘さんとふたりで「こういう感じで」っていっぱい説明して、みんなで畑くんを盛り上げてやったっていうところはありますね。

―― セリフだけじゃなくて、映画を通して実際にありそうな出来事の積み重ねですけど、その中で終盤の清叔父さんと涼一のダンスのシーンはちょっと異質な感じですね。

沖田:基本的には起承転結がなくてもいいじゃないかということで始めたんですけど、そういう映画の中でも多少クライマックス的なところは作ってあげたいなって思ったんです。ただ、あんまり喋らせたくなかったというのがあって、ふたりが何かをしているだけでいいシーンにしたいと思って、それで踊るってことになったんですね。「クライマックスですよ」っていう雰囲気を微妙に感じさせるように狙いましたね。

―― 今「あんまり喋らせたくなかった」と聞いてすごく納得できたんですけど、この映画って叔父さんがなんか涼一に対していいことを言うのかなと思っていたんです。でも、最後まで大したことを言わないんですよね。

沖田:それは最初からありましたね。この人は答えを持っていないっていう感じがいいなあと思ったんです。良い大人に会って成長するみたいな話ではないっていうのが最初にありました。叔父さんが救うって形にはしたくなかったんですよね。結局、涼一が学校に行くことを決めたのも、叔父さんの影響があったようにも見えるんですけど、ひとりで決めたっぽくも見えるんで、叔父さんがいる意味ってなかったのかってくらいの(笑)。

―― そこで涼一が学校に行くきっかけを英語の弁論大会にした理由は?

沖田:ぼくの通っていた高校で、学校の隣のホールを借りて英語の弁論大会を毎年やっていたんです。そこで、すごく目立たなくってどの輪にも入っていないような子が弁論大会に出るって話になって、その子が出たときに今まで起きたことのないような歓声がクラスからバーって飛んだんですね。それをすごい覚えていて、なんかそういうイメージがあったんだと思います。

―― 涼一の弁論のタイトルが「My family」ですよね。一体どんなことを喋るんだろうって思いました(笑)。

沖田:そうですね、あの「My family」は狙ってやっています(笑)。

―― この作品が監督の初長編作ですけど、公開を控えたお気持ちは?

沖田:今はお客さんに来てもらうことしか考えてなくて、それで忙しくてあんまり考えてないんですけど、映画が好きな人もそうでない人も満遍なく楽しめる映画を作りたいなとは思っているんです。あんまり若者向きでもないし、ある程度年齢のいった人にも楽しめるとは思うんで、観る人を選ばない感じでみんなが来てくれると嬉しいなと思います。

―― 最後に、この映画は清叔父さんや涼一くんがこのあとどうなるかというのをはっきり描かずに終わっていますが、監督の中ではその後の彼らがどうなったかという答えはあるんでしょうか?

沖田:その辺はぼくもあんまり考えてないです。「勝手に生きていくだろう」みたいな感じですね(笑)。

(2006年10月3日/バイオタイドにて収録)


このすばらしきせかい
10月14日(土)、池袋シネマ・ロサにてレイトショー ほか全国順次公開
監督:沖田修一
出演:畑敬志、古舘寛治、大崎由利子、安村典久 ほか

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