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『百年の時計』金子修介監督インタビュー

金子修介監督写真 香川県高松市の美術館に勤める若き学芸員・涼香と、数十年ぶりの帰郷を果たした現代アートの巨匠・行人(こうじん)。ふたりは、行人の想い出に刻まれたひとりの女性を探すことになる。手がかりとなるのは、若き日の行人がその女性から贈られた、古い懐中時計――。
 日本を代表する娯楽映画の名手・金子修介監督の新作『百年の時計』は、香川県を走る高松琴平電気鉄道・通称“ことでん”の開業100周年を記念して製作された、オール香川ロケの「地産映画」です。
 これが長編映画初主演となる木南晴夏さんとベテランのミッキー・カーチスさんを主演に迎えた『百年の時計』は、レトロな雰囲気を残すことでんや香川の魅力をたっぷりと伝えるあたたかなヒューマンドラマであると同時に、クライマックスでは映画でしか表現できない手法で“時間”を描く、意欲的な作品となっています。
 近年数多く製作されている地方発の映画の可能性を示す作品となっている『百年の時計』について、金子監督にお話をうかがいました。

金子修介(かねこ・しゅうすけ)監督プロフィール

1955年生まれ、東京都出身。高校時代から映画を制作し、1978年に助監督として日活に入社。1984年に『宇能鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビューし、第6回ヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞する。1985年に初の一般映画『みんなあげちゃう』を監督後フリーとなり、以降、幅広いジャンルの作品を手がける。『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)を第1作とする「平成ガメラ」シリーズ3作と『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)を監督、ゴジラ・ガメラの二大怪獣映画を監督した現時点で唯一の監督となる。2006年には大ヒットコミックの映画化『デスノート』を監督。
近作に『ばかもの』(2010年)『ポールダンシングボーイ☆ず』『メサイヤ』(2011年)『青いソラ白い雲』(2012年)など。

「すごく自由な発想で映画作りができたなと思いますね」

―― 『百年の時計』は香川県高松市の地域に密着した作品となっていますが、どのような経緯で監督されることになったのでしょうか?

金子:人を通じて「琴平電鉄100周年ということで映画をできないか」という話があったんです。それで、電車って映画の舞台としては面白いと思っていたし、我々映画屋は、つねに電車は撮影したいんだけども、なかなかできないのでやめているんですよね(笑)。にもかかわらず、あちらさんから「撮ってほしい」というのはすごくいい話だと思ってですね、いろいろ想像を膨らませていたんですよ。具体的にどんな話にするかというのはすごく漠然としていたんですけど、脚本の港岳彦くんと相談して、やっぱり若い女性を主人公にしたいよねというところもありつつ(笑)、港くんの発想で100周年といえばお祝いだからお祝いの映画にしたいと。港くんが言っていたんですけど、ことでんが100年で映画も100年とちょっとだと。最初期の映画というのはリュミエール兄弟の撮った、汽車が迫ってくるというものですよね(※1)。そういうことで、映画と鉄道というのは密接な関係があるよねというところから考えていったんです。
 それと、あんまり映画の題材になっていない現代アートというのはどうだろうかというところから高松市美術館を調べていくと、日本の中でも現代アートに強い美術館なんですよね。日本でも最小面積の県の香川県が世界的なアートの中心になるというのは面白いと。日本なら東京のような大都会があらゆる文化の中心になるのではなくて、人が生活していることが実感できるような小さな町から世界に発信していく文化が生まれるというのはすごく面白いし、映画のテーマにふさわしいことだと思ってね。もともとそんなに予算があるという話ではなかったんですが、あんまり予算がないというのも逆手にとって、素朴なものが最終的に世界に向かって発信されるというような、そういうイメージを抱いて物語作りを始めましたね。

―― では、依頼された時点で条件としてあったのは、電車という題材だけだったのですか?

『百年の時計』スチール

『百年の時計』より。学芸員の涼香と老芸術家・行人は100年にわたり人々を乗せてきた“ことでん”の車両に乗り込む……

金子:そうですね。“ことでんの100周年”という、それだけですね。だからすごく自由な発想で映画作りができたなと思いますよね。ただ、県も市も巻き込んで製作される作品だから、単なる大恋愛映画というわけにはいかないんじゃないかみたいなところはあってね(笑)。それでも、恋とか愛とか人情とか、そういう人間の営みはやっぱり入れていきたいので、若い女性と老芸術家のボケとツッコミ的なコンビを中心として、その周りの人々の物語というようなラインがだんだんできてきたんです。それで、芸術家の若い時代の恋愛とかが膨らんできたという感じでしたね。

―― 脚本の港岳彦さんは、最近ご活躍の目覚ましい脚本家の方ですが、お仕事されての印象はいかがでしたか?

金子:すごく真面目で、いろいろな教養が深い勉強家ですよね。ぼくは港くんが脚本を書いた『結び目』(2010年/小沼雄一監督)という映画を観ていたんですよ。監督の小沼さんは前から知っていたから「この映画は面白そうだ」と思って観たんですけど、やはりオリジナルでこういうストーリーを作れるのは小沼さんも港くんもすごい才能だなと思っていたんです。そしたらあるとき『百年の時計』に劇団の座長役で出ている野口雅弘さんが「いい脚本家がいるので紹介したい」と。野口さんはぼくの映画にはけっこう出てるんだけど、横浜映画学校(※2)の1期生で、いろいろな映画人を知っていて紹介してくれるんですよ。それで話を聞いたらそれが港くんで「ああ、知ってるよ、この前『結び目』観たよ」ということで、野口さんと港くんと3人で飲んで、そのあと港くんに電話して企画を1本頼んで、それが半年くらいあとに潰れて(笑)、という流れがあり「じゃあ今度こういうのがあるのでやらない?」というかたちでつながっていったということですね。

―― 作品を拝見して、最初はリアリティの強い作品として始まったのが、いつの間にか映画でしか表現できないようなある種のファンタジーの世界に入って、またいつの間にかリアルに戻るという、現実と虚構の移行が印象的でした。

金子:そう言っていただけると嬉しいですね。監督的野心としては、そこを一番やりたかったんです。やっぱり、さっき話した「小さな町から世界に発信する」というのはファンタジーで語るのがふさわしいし、電車を使った壮大なファンタジーを展開するっていうのが目的だったんです。最初に主人公のお母さんが切り絵をやっているところからほとんどカットつなぎで少女になるとか、現在の行人と若い行人が同一空間にいるとか、そういうような映画的伏線を張っておいて、電車が走り出したら空間も時間も乱れていくというのをやりたかったんです。ただ、それをかつての芸術映画みたいにやるのではなく、地元のお年寄りにもわかるようなものとしてやりたいというのがあったので、観客を置き去りにしないような演出をしようと思っていたんですよね。そこは気を遣ったところです。テクニックとしては要するにカットバックだけなんですよ。ヒッチコックが『裏窓』(1954年・米)でやった、視線と被写体をカットバックしたら「見ている」ことになるという、それだけなんですよね。電車の中でこっちを見たら過去を見ていて、こっちを見たら昼なのに夜だみたいな。しかも、その電車は通勤電車になっていって、いったいこれは現実なのか虚構なのかという。それで、電車がガタンゴトンとリズムを刻んで線路の上を進行していくのと、進行していく時間を一定のリズムで刻むものである“時計”という物語のモチーフがつながって、電車と時間が重なって見えるんじゃないかという、そういう発想だったんです。

  • ※1:「映画の父」と称されるフランスのリュミエール兄弟は1890年代に現在の映画に近いスクリーンに映写する方式の映画を発明、1895年に世界初となる映画の一般上映会をおこなった。最初期の作品のひとつに、列車が駅に到着する光景を撮影した短編『列車の到着』がある。
  • ※2:正確な名称は横浜放送映画専門学院。1975年に今村昌平監督により設立された。1985年に日本映画学校に改称、2011年に日本初の映画専門の大学・日本映画大学となる。創設時より多くの映画人を輩出しており、港岳彦氏、小沼雄一監督は日本映画学校7期生にあたる。

「木南晴夏ちゃんは、一生懸命やるからそれが魅力的なんですよ」

―― キャストの方々がひじょうに魅力的ですが、涼香を演じた主演の木南晴夏さんの印象を聞かせてください。

金子:ずっと注目していた女優なんですよ。きっかけは『20世紀少年』(2008年・2009年/堤幸彦監督)で、あの素っ頓狂な小泉響子という役は印象に残っていましたし、そのあとけっこう追いかけて観ていて、朗読劇も観たりして実力はわかっていたんです。彼女は美人なんだけど、ブスに見える顔をすることもあるんだよね(笑)。美人になる顔の変化が面白いので、すごく胸の中でときめいてる人なんじゃないかなということで、この役はぜひ晴夏ちゃんにやってもらいたいなとお願いしたんです。実際に港くんと一緒に本人に会ってインタビューをして、彼女のよさを引き出すセリフを港くんがいろいろと考えてくれて決定稿に至ったという過程はありましたね。

―― 木南さんを魅力的に見せるために特にこだわった部分はありますか?

金子:そうだなあ……。やっぱり、動きと表情っていうかな、あの人、意外と運動神経がよくないらしくて、走り方なんかもちょっとおかしいんだけど、一生懸命やるからそれが魅力的なんですよ。だから、全身のフォルムと表情の変化ということで、つねに全身と顔をとらえようとしていましたね。

―― 冒頭近くで、涼香が起きたばっかりという設定の顔を見せる部分がありますよね。やはりあれは“見せたい顔”だったのでしょうか?(笑)

金子:そうですね、あれは見せたいですよね(笑)。無防備なところが監督としてはすごくありがたいですよね。「どっからでも撮っていいよ」って感じで投げ出してくるから。

―― もうひとりの主人公の行人役のミッキー・カーチスさんは、まさにはまり役という感じですね。

『百年の時計』スチール

『百年の時計』より。木南晴夏さんが演じる涼香(手前)と、ミッキー・カーチスさん演じる行人

金子:ミッキーさんはいろいろな過程の中でキャスティングしたんですけど、ミッキーさんの「おれと戦争と音楽と」(※3)という本を読んだら、ほんとに「この人は行人だな」みたいな感じはありましたね。現場に現われたときは、ほんとにミッキーさんのための物語になっていたくらいミッキーさんと行人のキャラクターがかぶってて、面白かったです。

―― 最初からミッキーさんを想定して当て書きしていたわけではないのですか?

金子:当て書きではないんですよ。もともとはそうじゃないんだけど、もはやミッキーさん以外には考えられない感じになっていましたね。

―― 行人の衣裳もすごくミッキーさんにマッチしていましたが、あれは全部用意された衣裳ですか?

金子:用意したものプラス、かなりミッキーさんが自前で持ってきてくれたものもありますね。ドクロの付いてるのとか、ミッキーさんのアイディアで「こんなのはどう?」って出してもらったものを「それはいいですね」というかたちで使っていたので、どれがそうかっていうのはわからないけど、ほとんど自前かもしれない。こういう(手でかたちを示して)帽子があるんだけどね、それは立川談志さんから貰ったって言っていましたね。ミッキーさんは立川流で“ミッキー亭カーチス”という落語家の名前も持っているんですよ。その師匠の談志さんから貰ったものを使ったり、ベレー帽はビン・ラディンが持っているのと同じだという話でしたね(笑)。

―― 主演のおふたり以外も素晴らしいキャストのみなさんが揃っていますが、個人的に特に印象に残ったのが岩田さゆりさんで、この映画の中での人間の陰の部分というものを、岩田さんの演じた役が担っているように感じました。

金子:ひとつには、やっぱり脚本作りの中で「こうしなきゃいけない」という縛りがあるわけじゃないんだけど、なんとなく“いい子ちゃんの映画”というか“いいだけのお話”になってくる傾向があるんですよ。その中で、もっと自由な発想で人間の深みを描こうということで、実際に「深みを出そう」と話しあったわけではないんですけど「ここはこうしたほうが、ああしたほうが」と言っていく中で、岩田さゆりの役はそうなっていったのかもしれないですね。木南晴夏の役もそうなんですよ。最初は昔の朝ドラの主人公みたいだったのが、木南晴夏に決まってから脚本作業の中で立体的になっていったんです。それとね、あの役のポジションに岩田さゆりのようなキャリアと実力と美貌を兼ね備えた女優が使えるというのは、実はすごく贅沢な話ですよ。主役もやれる彼女があの役をやったことで、映画のイメージが膨らんだというところはあるんじゃないかなと思うんですよね。

  • ※3:2012年に刊行されたミッキー・カーチス氏初の自伝。

「“ここで映画を作ってほしい”と思ってくれる人たちがいるということが嬉しい」

―― 映画の後半で、3.11に関する描写が出てきますね。劇中の時間がことでん100周年の年だとすると2011年なので、あの描写はちょっと時間がずれていると思うのですが、やはり時間設定の整合性よりもあれを描くことが重要だったのでしょうか?

金子:まあ、そうですね。100年で現代まで走っているというイメージからすると、日本に起きた代表的な出来事ということになったら避けて通ったら逆におかしいんじゃないかなというのがあってね。現代を生きているあの登場人物にとっては、地震と津波があって自分になにができるかわからないけど「前を向いて生きるしかないよね」と思うんじゃないか、思ってほしいよねというところで、あんまり時間軸の矛盾ということは気にしていなかったかな。

―― 3.11を描くというのは、先ほどお話にあった“いいだけの話”にせずに人間の深みを描くのと通じるものがあるのでしょうか?

金子:そうですね、いい話を作りたいんですけど、嘘ではないものでありたいというのがあるので、なにかを避けて通っても仕方がないみたいな感じですね。やっぱり、物語を作るときにまずいことは避けて通るってことはけっこうあるんですよね。それが人間の本質としてそうなのか、日本人だからそうするのかわからないけど、でも避けて通らないほうがいいなと思うんですよね。最初にも話したけど、大恋愛映画にはしてないんだけど、恋愛をまったく避けているわけではないというところですよね。高松では先生の引率で中学生の生徒が観にくる映画会みたいなのをやってね、この作品には不倫の話が入っているわけだけど「それでもいい」ってことで実行してもらえたんですよね。

―― 今回、こうして地域に密着した映画を作られての感触はいかがでしたか?

金子修介監督写真

金子:やっぱり「ここで映画を撮ってほしい」と言ってくれるというのは大きいですよね。この前に撮った『青いソラ白い雲』(2012年)なんかは付近の住人から叱られまして、東京で映画を撮るのは大変だなと意気消沈していたところだったので(笑)。香川はやっぱり『二十四の瞳』(1954年/木下惠介監督)があるじゃないですか。「『二十四の瞳』を越えるような映画を作ってほしい」というようなことを言ってくれる人もいましたし、最近でも『八日目の蝉』(2011年/成島出監督)があるし『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年/行定勲監督)もあるし、香川で撮られた映画は多いんですよね。それに、人口が100万の県にしてはシネコンが3館あって、けっこう映画を観ている人も多いところなんですよ。さらに、一昨年(2011年)には瀬戸内国際こども映画祭というのがあって、今回の『百年の時計』とは全然別の系統から来た話だったんだけど、ぼくは脚本賞(※4)の審査員をやってるんですよ。そのグランプリを穫ったのが大森研一さんの『瀬戸内海賊物語』でね、そのとき「ここはミニミニハリウッドだ」という話をしたんだけど、ほんとに映画作りにとってはいい場所だと思いますよね。

―― ここ数年、日本映画の中で地方発、地域密着型の映画が多くなっていますが、実際に作品を作られて、地域密着型映画の可能性についてはどうお考えになっていますか?

金子:また香川でやりたいなという想いがありますよね。前から大林宣彦さんが尾道で撮ったりしていたじゃないですか。だから、地域と映画って密接なものなんじゃないですかね。東京にも面白いところはいっぱいあるんだけど、カメラを向けたらここに誰が住んでいてこっちに誰が住んでいるというのが実感としてわかるくらいのミクロコスモスっていうんですか、そういうところって映画的なんだなと思うんですよね。そういうものが人を安心させるところがあるんじゃないかなと思うんですよ。あとはやっぱり、さっきも言った「ここで作ってほしい」と思ってくれる人たちがいるっちゅうことが嬉しいので、いそいそと行ってしまうというか。『百年の時計』は、もうすでに香川では1回ロードショーしてもらっていて喜んでもらえたので、また機会があればやりたいなと思いますね。

  • ※4:2011年開催の「瀬戸内国際こども映画祭2011」の企画のひとつ「エンジェルロード脚本賞」。瀬戸内を舞台とした子供が主人公の映画のオリジナル脚本が公募された。グランプリ作『瀬戸内海賊物語』は執筆した大森研一氏自身の監督で2012年に撮影されており、2014年夏に公開予定。

(2013年4月1日/太秦にて収録)

作品スチール

百年の時計

  • 監督:金子修介
  • 出演:木南晴夏 ミッキー・カーチス 宍戸開 水野久美 井上順 ほか

2013年5月25日(土)よりテアトル新宿にてロードショー ほか全国順次公開

『百年の時計』の詳しい作品情報はこちら!

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