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『子宮に沈める』緒方貴臣監督インタビュー

緒方貴臣監督写真 離婚して幼いふたりの子供とともに新たな生活を始めた若い母親。順調にはいかない日々の中でも“よき母親”であり続けようとする彼女だが、母子が暮らす部屋からは次第に余裕が失われていく。やがて母親は、ふたりの子供を残して部屋を出ていった……。
 性的虐待や自傷行為という題材を正面から描いた『終わらない青』で鮮烈なデビューを飾った緒方貴臣監督は、新作の題材に“育児放棄”を選びました。監督第3作となる『子宮に沈める』は、2010年に大阪のマンションの一室で放置された二児が死亡した事件をもとに、限定した空間で起こる母子の物語を描いていきます。
 『子宮に沈める』は、実在の事件をもとにしつつも、決して事件を再現する映画ではありません。美しさすら感じさせる映像で綴られるストーリーからは、普遍性を持った“母と子”の問題が浮きあがってきます。
 『終わらない青』、人間と人形の愛を描いた『体温』、そして『子宮に沈める』と、現代社会の問題を鋭く抉りだすような映画を作り続ける孤高の監督は、スクリーンからなにを伝えようとしているのか?

緒方貴臣(おがた・たかおみ)監督プロフィール

福岡県出身。高校中退後に共同経営者として会社を設立し、25歳で退社。海外放浪などを経て、2009年より映像制作を始める。初監督作『終わらない青』(2009年)がゆうばりファンタスティック映画祭2010オフシアターコンペティション部門にノミネート、沖縄映像際2010準グランプリ受賞。同作品は衝撃的な内容で映画祭上映時から話題を集め、2011年に劇場公開。監督第2作『体温』(2011年)はレインダンス映画祭など国内外の映画祭で正式上映され、2013年に劇場公開された。

公式サイト:http://paranoidkitchen.com/

「事件を描くというよりは“母性ってなんだろう?”という想いがあったんです」

―― 今回、育児放棄という題材を選ばれた理由を教えてください。

緒方:育児放棄というもの自体には以前から興味があったんです。なぜかと言うと、ぼくは最初の作品の『終わらない青』で性的虐待を扱っていて、そのときに虐待関連のことに詳しい方とお話をしたとき「育児放棄というのは外側から見えにくい」ということを聞いたんです。ぼくがいままでの作品で描いてきたのは「外部から気づかれにくい家の中でおこなわれること」だというのが共通しているので、育児放棄というのはまさにそれに当てはまるのかなと思って、関心を持ったんです。それで、2010年に大阪の事件がありまして、ニュースを見たときにショックを受けましてね。子供が家に置き去りにされて数十日過ごしたということを想像するだけでも心が締めつけられるほどだったんです。そのときはまだ映画にしようとは思っていなかったんですけど、ニュースとか、ネット上のいろいろな意見を見ていたときに、あの事件のお母さんへの批判、バッシングがかなり多いなと思ったんです。それもかなり過激な論調だったんですね。

―― 単純に事件の母親が残酷で凶悪な人物であるように言う意見が多かった印象がありますね。

緒方:そうなんです。それがなんか自分の中で落ち着かなくて気持ち悪いと思っていて、それと同時に、そうやって批判している人たちが昔の自分に似ていると思ったんですね。ぼくには年子の妹がいて、妹は19歳のときにシングルマザーになってひとりで子供を育てている時期があったんです。妹は両親がいるし実家もあるのでサポートはあったんですけど、それでも、17歳で結婚したので学歴も職歴もないし、子供もいるということで仕事を見つけるのは大変だという話を聞いていたんです。そのときはぼくも20歳くらいで、妹に対して「死ぬ気で頑張れば大丈夫だ、世の中にはもっと大変な想いをしている人がいっぱいいるんだから」という感じだったんですね。だけど、2010年の大阪の事件を調べていくにつれて、妹に「もっと大変な人がいる」と言っていたころのぼくって、大阪のお母さんを批判している人たちとそんなに変わらないんだなということに気づいたんです。それで、映画として描きたいなと思うようになったんです。

―― 今回の『子宮に沈める』は、大阪の事件をもとにしつつも、事件を忠実に再現しているわけではないですよね。現実との距離の取り方を興味深く感じました。

緒方:この映画は大阪の事件がきっかけではあるんですけど、忠実に再現するのは絶対にやめようと思っていたんです。それだったら、実際に事件を追っているルポライターの方とか記者の方が書いたものを読んでいけばいいと思うんです。ぼくは、あまり事件を追いすぎると、自分がお母さん寄りの立場になっちゃう気がしたんです。ぼくは、この作品に関しては、お母さんに寄り添うわけでも子供の側に立つわけでもなく、客観的に映したかったので、なるべく事件と距離をとりつつ、ネットとか本などで手に入れられる情報だけで調べていったんです。

―― ネットや本で手に入る情報だけで描くというのは、ネットなどで事件の母親を批判している人たちと同じ材料だけで事件について考えていくということでもありますね。

『子宮に沈める』スチール

『子宮に沈める』より。由希子(右/演:伊澤恵美子)と娘の幸(演:土屋希乃)たちは“幸せな家族”だったが……

緒方:まさにそうです。ただ、ぼくは実際に子育てをされているお母さんたちや、もう子供は独り立ちしたけどかつて子育てをしていた方たちにはかなり取材したんです。それはなぜかというと、この映画を撮りたいと思ったもうひとつのきっかけとして“母性”というものがあるんです。育児放棄の事件って大阪の事件だけではなくて、調べるとたくさんあるんです。そのことにも改めてショックを受けたんですけど、なぜ大阪の事件だけがあんなに注目を集めたのかということも気になって、大阪のお母さんがホストクラブに通っていたとか風俗で働いていたとかの理由と別に“母性”というものがあるんじゃないかと思ったんですね。やっぱり、子供の責任は全面的に母親にあるという風潮って強いと思うんですよ。ぼくは九州出身で、九州は特にそういう風潮が強いと思うので、ぼく自身もそういうところがあるんです。それで母性についていろいろ調べていくと、母性って社会が作りあげたものじゃないかということにぼくの中では行き着いたんです。母性というものが神聖化されている感じがあって、そういう風潮があるから「母親ならば子供のために苦労するのが当たり前だ」ってなっちゃっているんじゃないかと思って、事件を描くというよりは「母性ってなんだろう?」という想いがあったんです。

―― 実際に子育てを経験された方たちに取材することで発見することというのはありましたか?

緒方:ありましたね。実際にお母さん方に話を聞くと「私も昔、子供を殺したいと思ったことがある」という話が出てくるんです。最初はビックリしたんですけど、けっこう何人もの方から同じような話を聞いて、やっぱり、ああいう事件は特別な環境で起こるものではなくて、普通に生活してても身近にありうる話じゃないかなということは、取材を通して気づいたというか、感じたんです。

―― これは失礼な聞き方かもしれないのですが、私自身、こういう事件について考えたり知人と話したりするときに、どうしても「これは男性からの見方になってしまってるのではないだろうか」と思うことがあるんですね。監督は、男性として育児放棄という題材を扱う上で、迷いみたいなものは感じられませんでしたか?

緒方:迷いはもちろんありました。だけど、その迷いは男だからということではなくて「ぼくが描くと叩かれるだろうな」というところだったんです。ぼくは正直、人間のことって誰にもわからないと思うんですよ。自分のことだってよくわかってないし、わからないからといって描かないというのはおかしくて、たしかに男と女は違うかもしれませんけど、わからないことはわからないでよくて、同じ人間として描きたいなとぼくは思ったんです。なので、男性だからというところはあまり気にならなかったですね。ただ、男性であるぼくが描くことで「男にはわからない」って言われるんじゃないかなとは思いましたし、叩かれるだろうという迷いはありました。

―― その「叩かれるだろうな」という迷いは、どう解決されたのでしょうか?

緒方:やっぱり、叩かれるということは、それだけ興味を持ってくれるということにもなるわけじゃないですか。ぼくの過去の2作品はどちらもけっこう叩かれてはいるんですけど、その問題について考えるきっかけにはなっているわけですよね。ほんとは作品を観てもらった上でいろいろ考えたり話しあったりするきっかけになってくれればいいんですけど、作品の存在自体が話題になるということも、ぼくの作品を作ろうとした意図にかなっているとは思っているんです。

「母親像を固定せず、いろいろなお母さんに当てはまるようにしたかった」

―― 作品を拝見して、カメラのアングルが印象的でした。対象をはっきり見せるのではなくて、なにか「覗き見ている」ような感覚があったんです。

緒方:ぼくは、いままでずっと客観的に物事を見る視点で映画を撮り続けてきたんですよ。感情移入させない感じですね。家の中でおこなわれている外部からは気づかれないような事柄を描くので、その世界を観客の方たちが覗き見ているというかたちで表現したくて、最初のころはけっこう直接的にフレームの中に収めていたんですけど、直接描くよりもフレームの外でなにがおこなわれているかと感じさせることのほうが想像力をかき立てられると思って、ああいうアングルを選んだんです。もちろんそれ以外にも理由はあって、この作品は室内で撮影しているんですけど、ずっと室内の画だと飽きちゃうんじゃないかと思って、極端なアングルを使うことによって視覚的に飽きさせないようにしたところもありますね。

―― このアングルは子供の視点なのかなとも思ったのですが。

緒方:まさにそうですね。あるシーンで子供がベッドの枠越しに隣の部屋を見ているカットがあるんですけど、そのカットは完全に子供の目線だし、子供って親が「子供はもう寝たな」と思っていても起きていたり、なにかしら親の会話とかを聞いていたりするわけじゃないですか。でも子供にはその会話の全容ってわからないですよね。それを映像で表現したかったんです。人の顔が切れちゃっているアングルもあったと思うんですよ。それは「子供の世界から見た大人の世界」というか、そういう感じで思ってもらえればいいかなと思います。

―― もうひとつ印象的だったのが、映画の中であまり説明をしないということでした。たとえば母親にしても、服装の変化などでなんとなく境遇が変わっているのはわかるんですけど、はっきりそれを説明するようなセリフやカットはないですね。

緒方:そこに関しては、ぼくはいま一般的な映画で説明しすぎだなっていつも感じていて、説明しすぎだと映画よりもテレビっぽいなって感じがするんですよ。ぼくは極力考えてほしいというか、説明的なセリフとかがあると興ざめしちゃうんですよね。ウソの作り物だという感じがしちゃうと思っているので、なるべくそういう情報は入れたくなかった。だから説明はしていないかもしれないですけど、わかりにくくはないとぼくは思っています。それと「母親がこういうところで働いている」という情報を入れてしまうと、母親像が固定されちゃうと思ったんです。なるべく母親像を固定せず、いろいろなお母さんに当てはまるようにしたかったので、夜働いているのかもしれないけれど、それが風俗なのかキャバクラなのかはわからないようにしたかったんです。そういうのがありますね。

―― 今回の作品では、やはり子供を演じる子役の方が重要だったと思うのですけど、土屋希乃さんと土屋瑛輝さんというおふたりは実際のご姉弟なんですか?

『子宮に沈める』スチール

『子宮に沈める』より。土屋希乃さん演じる姉の幸(右)と土屋瑛輝さん演じる弟の蒼空

緒方:そうです。撮影当時で3歳と1歳で、ほんとの姉弟で演じてほしかったんで、そこはこだわっていたんです。事務所に所属してはいるんですけど、演技はほとんど無経験でしたね。

―― 特に映画の中盤以降はほとんど女の子ひとりだけのお芝居で進行するようなところもあって、かなり大変だったのではと思いました。

緒方:大変でしたね。ほかの現場のスタッフにも「子役を使うと大変だよ」と言われていましたし、子役を使う時点で予想はしていたんです。それでも現場にほんとのお母さんが来てくれていたので大丈夫かなとは思っていたんですけど、やっぱり撮影が始まるというのは少しの時間とはいえお母さんと離れることなわけじゃないですか。3歳くらいの時期ってずっとお母さんと一緒にいたいみたいで、希乃ちゃんがけっこう撮影を嫌がっちゃったんです。それで撮影ができない時間がたくさんあって、正直な話、ぼく自身が放棄したくなるような感じになっちゃったんです。「なんで言うこと聞かないの」とか「すごいお金かかってるのに」とか思っちゃった時期があって、でも、そういうことじゃ絶対に撮影できないんだなと思って、最初はシナリオどおりにやろうとしていたんですけど、カットを減らしたりして、自然にできるような状況を作っていこうと思ったんです。それからはけっこうスムーズにいったところもあるんですけど、たとえば「子供がなにかやってお母さんに怒られる」というところを撮るときに、そこでやるのが希乃ちゃんが普段の家族との生活の中で「やっちゃいけないよ」って言われていることだったりするんですよ。だから希乃ちゃんは「怒られるからできない」と言うので「いや、みんな怒らないからやってみて」って言ってやってもらうんです。そうすると実際のお母さんは怒らないけど、映画の中のお母さんが演技で怒るわけですよ。それで希乃ちゃんが「怒らないって言ったのにどうして怒るの」みたいになっちゃったことがあって。やっぱり、現実と撮影の境界がわからなくなるときがあるので、そういうところは特に気をつけて、ケアをしつつ撮影をしていました。

―― 3歳のお子さんだと、シナリオを読んで演じるというのも難しいと思うのですが、実際にどのように演技をしてもらったのでしょうか?

緒方:ひとつのゲームをやってもらう感じですかね。たとえば、家の中の引き出しとか扉をあちこち開けたりするシーンがあるんですけど、そこは「なにかを隠しているからここを開けてみて」という感じですね。基本的には、お母さんとお父さんのサポートがあったので、それはかなり大きかったかなと思います。

―― 出演者では、母親を演じた伊澤恵美子さんも、役柄的にけっこう苦心はされたのではと思いました。

緒方:実は、伊澤さんがいたからこそ映画にしようと思ったところがあるんです。ぼくの作品を演じるのってけっこう覚悟がないとできないと思うんですよ。ぼくの知る限りそういう覚悟がある人はあまりいなくて、伊澤さんはその覚悟があると思って、この役をやっていただこうと決めたんです。ぼくが作るものに関しては受け入れてくれるだろうという前提があったので、けっこう自信を持って脚本を書けたし、演出もできたんです。ただ、撮影中には子供が中心になっちゃうので、そこで伊澤さんのケアをできなかったことはあるんです。伊澤さんはお母さんの役なので、子供と仲良くしようという気持ちもあったんですけど、子供にとっては伊澤さんが近くに来ると撮影がスタートになるということだから、すごく嫌がるんですよね。泣いたりすることもあったので、伊澤さんは現場で相当つらかったと思いますね。

―― 監督が「伊澤さんがいたからこそ」と考えられたきっかけはなんだったのですか?

緒方:もともと伊澤さんとは前の作品の『体温』のオーディション的な機会に出会っていて、そのときはぼくの求める条件とあわなかったところがあってほかの方にしたんですけど、伊澤さんの作品に対しての考え方がすごくいいなと思ったんです。なかなかこういう方はいないと思って、ずっと気になっていたんです。そのあと、映画祭で会ったり、ぼくの映画が公開されたときに観にきてくれたりして、そこでぼくの映画の感想を聞いたときに、ほんとにぼくが伝えたかったことがちゃんとわかっている人だったし、ぼくと似たような部分を感じたんです。それが一緒に映画を作りたいという気持ちにさせてくれたところはありますね。

「映画館で、知らない他人と一緒に映画を観ることが重要だと思っています」

―― 『子宮に沈める』のラスト近くの展開で、以前の作品の『終わらない青』を連想したのですが、それは意識をされていたのでしょうか?

緒方:そこに関しては意図的にやったわけではないんですけど、無意識に似てしまったんじゃないかなと思うんですよ。ただ、ぼくの中で『終わらない青』はその当時の自分の怒りをすべてぶつけた作品であって、それは今回の作品を作ろうと思ったのと似たようなところがあるので、それが自然と同じようなかたちで表出したのかなとは思います。

―― もうひとつ過去の作品との関連で、今回の『子宮に沈める』では“ファンタジー”というと適切ではないかもしれないんですが、特に後半の描写でリアルかと言ったらリアルではないと思うんですね。その部分は、前作の『体温』の現実とちょっと離れた感じに似ている感じがしました。

緒方:後半に関しては、たしかに現実に忠実に、現実的にというよりは“ファンタジー”という言い方は違うかもしれないですけど、映画の中のお母さんの内面を映像として表現したいな思ったところがありますね。現実にはああいう映像のようじゃないかもしれないけど、彼女の中ではそういう感じなのかな、ということを描いたというか……言葉では説明しづらいんですけど、そういうかたちには見えるのかもしれません。

―― ああ、前作の『体温』も、主人公の青年には彼の世界がどう見えているかという描写だったわけですね。

緒方貴臣監督写真

緒方:そうなんです。なので共通しているかもしれないですね。簡単に言うと、今回の『子宮に沈める』は『体温』の現実とはちょっと違う世界と『終わらない青』のリアリティの描写とが合わさったような感じなのかもしれませんね。ぼく自身そこも意図的にはやっていないし、自然となっちゃっているところはありますよね。

―― その過去の2作品も含めて、一般的に映画の題材としては避けられてしまうような事柄を映画で描くモチベーションといのは、どこにあるのでしょうか?

緒方:うーん……ぼくはもちろん、もともと映画監督になりたいという気持ちはずっとあったんですけど、ジャーナリストになりたかった時期があったんですよ。なので、単純に物語を語る作品ではなく、なにか自分が伝えたいもの、たとえば社会で問題となっていることをぼくなりの描き方で作品にしたいと思っているんです。そういう題材で、自分のアンテナに引っかかるものですね、いま話題になっているから描くとかではなく。よく「なんでドキュメンタリーで描かないんですか?」と言われることがあるんですけど、ドキュメンタリーでは「なにかがあった瞬間」は絶対に描けないわけじゃないですか。事件のことを描くとしたら、事件の瞬間は描けずに、そのあとのことを取材をしたり調べていって作っていくわけですけど、劇映画はその瞬間を描けるんですよね。それから、ドキュメンタリーだと、それに関わっている人たちを傷つけてしまう可能性もあると思うんです。だからぼくは劇映画で架空の人たちにして描きたいと思うんですね。やっぱり、最初にお話ししたとおり、モチベーションというのはぼく自身がもともとすごく偏見を持っていた人間だったというのが大きいと思うんですよ。10代とか20代前半のころは「事件を起こしたり人を傷つけたりするような人たちは甘い」と思っていて、いま、自傷行為とか育児放棄のことに関して世間の人の声を聞くと、自分が昔言っていたのと似たようなことを聞くので、過去の自分自身を見ているようでつらいというところもあるんですよ。だから、映画を作ることでぼく自身が救われている……「救われている」と言うと言葉が違うかもしれないんですけど、過去の自分と決別できるみたいなところがあって、そういうところがモチベーションなのかもしれないですね。

―― こういう社会的な問題を扱った場合、なにかを糾弾するような姿勢をとる作品も少なくないと思うんです。いまも「関わっている人たちを傷つけてしまう可能性もある」というお話もありましたが、監督の作品は現実の問題を糾弾するとか指摘するというよりは、むしろ「どう考えるのか」と個人の内側に向けているような感覚があります。

緒方:そうですね、これからもそういう描き方をしたいと思っていて、ぼくは「絶対的な悪」ってないと思っているんですよ。必ず人には悪い部分もあるしいい部分もあるし、その中で誰かを一方的に悪者に仕立てあげるのは簡単だとは思うんです。簡単なんですけど、それではなにも解決しないと思っていて、そういう一方的に裁くようなことはしたくないというのはありますね。物事には必ずほかの側面があって、その行動には絶対になにか背景があるので、その背景を無視して部分的に取りあげてレッテルを貼るのはなにか違うと思うんです。ぼくはできるだけ客観的に描きたいですね。

―― 最後になりますが『子宮を沈める』に興味を持たれている方へ向けてメッセージをお願いします。

緒方:この作品は、一般的なエンターテイメントの映画とはまったく異なる作品だとは思うんです。観るのにかなり覚悟が必要な作品かもしれません。だけど、実際にこの作品の中にいる母子と近い状況の方たちはたくさんいらっしゃって、自分のほんとに身近な人たちがそういう状況に置かれている可能性もあるということを感じてもらいたいと思っています。なので、できれば劇場まで足を運んで観てほしいなと思うんです。ハリウッドの大作などは劇場で観たほうが絶対にお得だと思うんですが、ぼくの作品も劇場で観たほうが絶対にお得だと自信を持って言えるところがあるんです。なぜ映画館で映画を観るのがお得かというと、大きなスクリーンとか音響とか環境がいいですし、途中で中断せずに真っ暗な環境で集中できるという要因があると思うんですけど、もうひとつ、まったく知らない他人と一緒に観ることがすごい重要だとぼくは思っています。それってやっぱり社会とつながっているわけじゃないですか。社会とつながっている映画館という空間で観るということが、ぼくの作品を観る上ではかなり大事なことではないかと思っているので、ぜひ、映画館で観てほしいなと思いますね。

(2013年10月3日/渋谷にて収録)

作品スチール

子宮に沈める

  • 監督:緒方貴臣
  • 出演:伊澤恵美子 土屋希乃 土屋瑛輝 ほか

2013年11月9日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開

『子宮に沈める』の詳しい作品情報はこちら!

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