日本映画専門情報サイト:fjmovie.com

fjmovie.comトップページインタビュー一覧>『アルビノの木』金子雅和監督インタビュー

『アルビノの木』金子雅和監督インタビュー

インタビュー写真 害獣駆除の仕事に携わる青年・ユクは、突然変異の白い鹿を撃ってほしいという役場からの依頼を受ける。だが、その白鹿は山奥の村に住む人々から神の使いとして崇められている存在だった。それを知りつつも山奥の村へと向かったユクは、若い女性・ナギと青年・羊市に出会う……。
 神聖な獣を狩ろうとする者、護ろうとする者。金子雅和監督の長編第2作『アルビノの木』は、そんな若者たちの姿を通して、自然と人間の営みについて問いかける作品となっています。
 初長編作『すみれ人形』や短編作品で独特の映像美を見せてきた金子監督は、『アルビノの木』でも自然の脈動を伝えるような美しい映像で風景を捉え、現実と幻想の狭間を思わせる世界を作り上げています。
 さまざまな捉え方のできる多面性を持った『アルビノの木』はいかにして生まれたのか。そして、美しい映像の秘密は。映画の公開を前に、金子監督にお話をうかがいました。

金子雅和(かねこ・まさかず)監督プロフィール

1978年生まれ、東京都出身。高校3年生のとき文化祭で監督・脚本を担当したのをきっかけに映画作りに興味を持ち、大学時代にイメージフォーラム付属映像研究所で映画を学びつつ8ミリカメラでの映像制作を始める。2003年に映画美学校に入学、同校高等科修了スカラシップ作品である初長編『すみれ人形』(2008年)が一般公開される。その後も短編映画制作を続け、2010年に特集上映「辺境幻想」が開催。また、オムニバス『ぼくたちは上手にゆっくりできない』の一編で作家の安達寛高(乙一)さんが監督した『Good Night Caffeine』(2015年)では撮影を担当している。
監督作に『鏡の娘』(2008年)、『こなごな』『失はれる物語』(2009年)、『復元師』(2010年)、『水の足跡』『逢瀬』(2013年)など。

公式サイト:kinone <-キノネ- 金子雅和HP> http://www.kinone.net

「自分の日常から遠くないところの目線から主人公を描いていきたい」

―― まず、『アルビノの木』をどのように発想されたのか、その最初のきっかけからうかがわせてください。

金子:最初に発想した段階となるとけっこう時間が遡りまして、2008年に『すみれ人形』という作品が公開されたのですが、そのあとに次の長編作品を撮ろうと思った段階で考えはじめていました。それで、自分が一番最初に映像をやりはじめたときから「自然の中にいる人間」というか、大きなランドスケープの中にいる人間の姿を画として撮りたいというこだわりがずっとあったんです。いままではそれを映像として作品の中に出していたのですが、次の長編作品では自分が一番心を惹かれている「自然の中にいる人間」そのものを物語のテーマとして描こうと考えて、そこからこの話を発想しはじめました。モチーフとして白鹿が出てくるということと、鹿の角と木のイメージの類似性から『アルビノの木』というタイトルが早い段階でできまして、そこから物語に起こしていくようなかたちになっていきました。

―― では、タイトルは内容から考えたのではなくひらめいたという感じだったのですか?

金子:そうですね。実は前の『すみれ人形』もタイトル先行の作品で、先にペラ2枚くらいのプロットみたいなものを書いていて、ヒロインの「すみれ」という名前はそのときにもう出ていたんですけど、『すみれ人形』というタイトルから物語を膨らませていったんです。今回も『アルビノの木』という言葉がいきなり自分の中に「これだ!」という感じで現れて、その語感から膨らませていったというところは大きいですね。タイトル自体は2008年の夏ごろには決まっていまして、ただ、やはり「自然と人間」というのがテーマとして壮大なものになってしまうので、なかなかかたちとして着地するのに時間がかかってしまって、その間に短編映画を何本か撮りながら、次は絶対にこの作品を撮ろうと構想を続けていました。

―― 題材的にロケーションが重要だったと思うのですが、ロケ場所選びはかなり時間をかけられたのでしょうか?

金子:ほんとに、2008年の夏くらいからロケハンを始めていて、撮影の直前の2014年の夏まで6年間の間にロケハンしたものが総動員されていますね(笑)。それで、いろいろなロケ地を見てきて思ったのは、実は人間が心を惹かれるのは単に風光明媚なところというよりも、人間が昔住んでいたけどそれが風化したところとか、なにかしら人間との関わりがあったところだと思うんですね。たぶん、純粋なネイチャーというのはもう人間が入り込めないところなので、それよりもなにかしら人の痕跡がある自然というものを見たときに人は心になにかを感じるんだなと思ったので、そういうところにこだわりながら今回のロケーション探しはしていました。

―― ロケハンの過程で、実際に見つけたロケーションが作品の内容に影響を与えるようなことはありましたか?

『アルビノの木』スチール

『アルビノの木』より。インタビュー中で触れられている「赤い川」を歩く主人公・ユク

金子:それはかなりありました。2008年の段階で考えていた物語は「若い猟師の男が神の使いと言われている大切な鹿を撃ってしまう」というのがベースラインとしてあって、骨子としてはできあがった映画と同じなんですけど、物語にふさわしいロケ地を探して出会っていく中で話自体も膨らんでいったということがありますね。
 ひとつ面白いと思ったのは、映画の後半にヴィジュアルの中でもわりと強く使っている「赤い川」が出てくるんですけど、あれは山形県に実際にある川で、上に鉱山があって長年にわたって鉄分が流れていたために川底が酸化して赤くなっているんです。そういう場所というとケミカルで危険な場所だと思われがちで、たしかに水は飲めないんですけど、微生物とかも一切住み着かないのですごく水が透明できれいなんですよね。すごく神秘的な場所で、人間とか動物になんらかの害はあるけれどものすごく美しいというところが面白いと思って、その場所はクライマックスで絶対に使おうと思ったんです。それで、ほかのロケーションを探していく中で今回メインのロケ地となった長野県須坂市というところに行ったら、そこにもまったく同じように赤い川があったんです。この偶然の一致も自分が惹かれたところで、まったく関係のない離れた場所がひとつの世界として結びついたなと思って、そこから物語世界がより強くなっていったという感じです。今回の映画の中には依木山(よりぎやま)という山が出てきて、その山の中は長野県と山形県、群馬県のバラバラのところで撮ったものをカットで結びつけているんですけど、バラバラの場所が赤い川という同じような環境で結びついているんです。

―― 題材が「自然と人間」でもちろん自然の中のシーンが多いですが、冒頭は街のシーンから始まりますね。街から自然へと主人公が移動していくというのは当初から構想されていたのでしょうか?

金子:そうですね。これはやっぱり自分自体の出生とかにも関わってくると思うんですけど、プロフィールにも書かせていただいたとおり自分自体は東京生まれ東京育ちなんです。それで、自然を描く中で単純に自然礼賛になってしまうだけではやっぱり嘘があると思っていまして、あと、単純に自然に対して人間が愚かだとかいうふうに一面的に描きたいとはまったく思っていなくて、この作品でもそういうことを描いたつもりは全然ないんです。もちろん、自分自体が作り手として自然に対しての畏敬みたいなものは感情として強くあるんですけども、同時に自分たちは自然物を壊したり動物を殺したりしなければ生きていけなくて、特に街に住んでいる自分なんかはそうやって生きていることにすら実感を得られにくいわけですよね。なので、最初から自然の中にいる目線で描くのは自分にとって嘘になるので、自分の日常から遠くないところの目線から主人公を描いていきたいなと思っていて、ああいうかたちにしました。

―― そういう街から自然の中への移動があることで、ある種「隔絶した村もの」ジャンルといいますか、そういう作品群の雰囲気もあると感じました。そういうジャンル的な要素というのは意識されていましたか?

金子:日本って、民話とかの文化が昔からあるじゃないですか。今回「自然と人間」というものを描こうと思ったときに、そういうフォークロアのようなものを物語の骨子として入れたいなと思っていまして、それこそ「隠れ里」の話のように山の中のなにもないはずのところにいきなり里が現れるとか、そういったものがありますよね。完全にファンタジーと言い切りたくはないんですけれども、そういう寓話的な世界はやりたいなと思っていたんです。なので、最初は都会から始まって、日常の世界からスタートして日常からすごい遠いところにたどり着く。それは必ずしも完全なファンタジーではなくて、なにかしらこの世とのつながりはあるけれど、できるかぎり遠いところまで行くということをやりたいなと思っていたんです。あと、自分自体が映画を観ていて面白いと思ったり感動するのは、移動感というか、どんどん奥へ奥へ入っていって普段は辿りつけないようなところまで行くというのが自分にとっての映画の醍醐味なんです。そういうことをやりたいというのはすごくありました。

「まなざしによって映るものは必ず変わってくると思うんです」

―― 映画の冒頭、街のシーンではずっと雨が降っていて、主人公のユクが自然の中へと移動すると一転して晴天続きとなっていますね。

金子:そうですね、世界をしっかり分けようというのは意図してやっていますね。最後のほうで再び街に戻ってくるところでも雨の演出というのを作っています。

―― 天気を演出の大きな要素に使うというのは、ロケ撮影では大変だったのではないでしょうか?

金子:そうなんですよ。今回は2014年の9月の頭から10月の終わりくらいに撮影していて、実景撮影とかがそのあとも少し続いたんですけど、主な撮影は9月10月の台風シーズンで、台風がいつ当たるかとヒヤヒヤしながらやっていたんです(笑)。1回、山形の赤い川での撮影で、あそこは車で入れるところからひと山越えたところなので、みんなで機材とか、水や食料をリュックに入れて歩いて山を越えるんですけど、2日間で終わるスケジュールだったのが2日目の午後に台風が来てしまって、雨も降ってくるし、川の水温も一気に冷えてしまって、川の中に入るシーンなので役者さんも体が動かなくなってしまうんですね。それでなにもできなくなって中止にして、また別日に東京から山形まで行くということもあったんです。やっぱり、特にこういうロケーションばかりの作品の場合は天気はすごくシビアなので、過去10年間の天気のデータを調べて、もっとも雨の確率が低いところを狙ってやってはいるんです。中盤で鉱山跡のシーンというのが出てくるんですけど、あそこは1年のうちで5月の末から11月の頭までしか入山できなくて、あとは雪で閉ざされてしまうところなんです。それで標高が2000メートルくらいあるところなので、少し曇ると霧に包まれてしまってなにも見えなくなってしまう場所なので、2011年にロケハンに行って「ここを使いたい」と思ってから、毎年そこに何回か行って、もっとも晴れる時期をリサーチして、それが9月半ばだったので今回はそれを狙って撮影したという、天気狙いでスケジュールを組んではやっているんです。

―― 天気や自然などの描写にもつながることですが、『アルビノの木』に限らず監督の作品は映像が美しくて、特に水の表現、川の流れや雨、木の葉についた水滴などが印象的です。撮影も監督ご自身でやられていますが、水を美しく撮るために意識されていることはあるのでしょうか?

『アルビノの木』スチール

『アルビノの木』より。山の中のユク

金子:たしかに、自分自体が水がすごく好きで、子どものころから街の中の噴水とかにすごく興奮する子どもだったんです(笑)。なので、ロケ地も95パーセントくらいは自分で決めていますし、ロケ探しの段階で自分の中で水を感じたり湿度を感じるところを選んでいるというのはあると思います。ただ、それを水を感じるように撮るかどうかというのは感覚的な話になってしまって、同じ場所で撮っても自分が撮るのと別のカメラマンが撮るのとでは見え方が違う気がしているんです。それはどちらがいいとか悪いではないんですけど、たとえば葉っぱについている水滴を注視しながら撮っているのか、それとも人物だけに注視して撮っているのかとか、そのまなざしによって映るものは必ず変わってくると思うんですよね。自分は以前の『すみれ人形』でもそうですけど、そのとき出てくる人物だけではなくて、周りにある風景、葉っぱであり木であったり、映っているものすべてのバランスというか、総体でひとつの画を作ろうという意識のほうを強く持って撮っているので、あえて理由を考えるとそういうことなのかなと思いますね。

―― 「映っているもののバランス」という点では、色のバランスというのも強く感じました。たとえばユクと先輩の今守が村に向かうところで、背景が鮮やかな青空で、駅の建物があって、手前に暖色系のバスが停まっているカットは印象的でした。

金子:そうですね。今回は予算も限られていて何十日もかけて贅沢にできるわけではないので、限られた時間の中での勝負ということはあって、あそこはまさに天気も撮りたいとおりの晴天になってラッキーだったというところもあるんですけど、実は最初は撮るときにバスはいなかったんです。それはやはりコンポジションとしてよくなくて、巡回しているバスが来るまでじっと待って、バランスがよくなったところで撮ったんです。それが一番いい瞬間だと思って撮っていますね。

―― もうひとつ色が印象に残るところで、冒頭の猟のシーンでユクたちが目立つ色のビブスを着ていますよね。あれは実際の猟でも着るリアルな表現なのかもしれませんが、色彩的なアクセントにもなっていると感じました。

金子:ヴィヴィッドな色というのはすごくドキッとするんですよね。それから自然のアースカラーに対しての人間側のヴィヴィッドな色という対比もすごく表現しやすいなと思っていました。あれは実際に長野県の猟友会の方に相談してお借りしたもので、台本を書く段階ではこの映画のフィクション世界の中で、猟をしている男たちがどういう格好をしているのかいろいろ考えていたんですけど、やっぱり実物を見せていただいたらそれがベストだなと思って、それをそのまま使わせていただきました。あそこでオレンジがあって、最後のほうでもう一度街に戻ってきたときの病院のシーンで主人公のお姉さん役の山田キヌヲさんが着ている服の内側がオレンジ色の服なんですけど、そういう街側の色といいますか、そういうのもカラーの配置というのは考えています。

―― 色に関して、ポストプロダクションの段階で調整されてりはしているのでしょうか?

金子:自分はポスプロでそんなにいじりたくないほうで、ポスプロで大きく変えているということはほとんどないですね。今回は使っているカメラがあまり映画の撮影には使われないわりとマイナーな機種なんですけど、いろいろテストしたり探した結果、カメラの発色自体がいいと思ったものを使っているというのが大きいですね。

―― ちなみに使ったカメラというのは?

金子:ニコンのD7100という、民生機の小さいカメラです。ニコンの中でも多少違うと思うんですけど、自分が試した感じでは、色が鮮やかなんですけどコントラストが強すぎないんです。D7100は柔らかくかつ色乗りがすごくいいなと思って、それで使ったんです。

―― ニコンのデジタル一眼レフカメラの中でもわりと低価格なほうの機種ですよね。

金子:そうですね、フルサイズ機ではないので、あのとき8万とか9万で買えた、ミドルクラスのちょっと手軽なやつみたいな機種ですね。安いカメラを使った理由は発色のほかにもありまして、単純に機動性で小さいほうがいいんです。まあ、レンズがズームは1本も使わず単焦点のレンズだけ9本くらい使っているのでなんだかんだで機材量は重くはなっているんですけど、機動性というのはあるんですね。それから、こういう場所で撮ると最悪カメラ自体が壊れる可能性があるんですよ(笑)。何十万のカメラを使っているとそれがオシャカになった時点で止まってしまうので、そうなったときにすぐもう1台用意できるということも理由として考えていました。

「数年後、数十年後に観た方が、作品が作られた時代のなにかを読み取ってくれたら嬉しい」

―― この作品でひとつ特異な部分かなと思うのが、主人公のユクが村に足を踏み入れて出会うナギや羊市が、隔絶した場所の住人ではあるけれど決してエキセントリックな人物ではないところで、それが映画のある種のパターンを外しているようで面白いなと思いました。

金子:そうですね、先ほどお話したように、基本的に自分が好きな映画の構造というのは奥へ奥へと入っていくようなものなんですけど、今回は人物の描き方のテーマとして、こっちが黒でこっちが白とは分けられないというのをやりたかったんです。ユクは獣を殺さなくてはならないし、羊市は獣を守りたい。そのどちらにも分があるというのが人物造形の肝にありました。なので、いわゆるクリシェとしては山奥に行ったらすごく価値観が違う人間が出てくるというふうになるんですけど、あえてそうせずに、環境とか立場が違うから違う考えを持っているのであって根底では違わない人間だからこそ、お互いに傷つけあったり争わなくてはならなくて、それが難しい問題なんだと提議したかったんですよね。それから、羊市やナギはたしかに隔絶した場所にいるんですけれど、不便ではあるけれど物資や情報のやりとりがあってなんらかのかたちで街とのつながりはあるというのを設定上は入れているんです。途中で出てくる物資を運ぶロープウェイみたいなのは昔は実際に使われていたもので、山の中に麓から物資を送って2000人くらいの人たちが生活していたという場所があるんです。やはり、フィクションだと100パーセント隔絶した世界というほうが面白くはしやすいんですけど、いろいろ調べていくと完全に隔絶して山の中だけで人が生きるのって不可能なんですね。たとえて言うと、どうしても塩がなければ人間は生きていけなくて、山の中では塩がないので、そうするとなんらかの行き来がないと生きていけないんです。そういう部分はかなり考えてあの設定にしたつもりです。観る方によっては、もっといかにも山奥の人が出てくるほうがいいという方もいらっしゃるとは思うんですけど、そこは手を抜いているわけではなくて、あえてそういうふうにしたかったというのはありますね。

―― もうひとつ面白く感じたのがユクの先輩の今守で、彼は正論を言ってユクの行動を批判するわけですけど、そうやって正論で批判する人物がわりと序盤で姿を消してしまうというのも、この作品の不思議な感じを強調しているように思えました。

金子:おそらく、劇映画的により強くするのであれば、葛藤の相手である今守も村まで行くというほうが葛藤が長持ちするのでドラマ的な展開になるのかなとは思うんですけれど、おっしゃったように今守が言っているのはすごく正論で、この話では正論の先にあるものをやりたかったんですね。正論で言えば主人公のユクの行動は間違っているんですけど、必ずしも自分はユクを否定はしていないんです。ユクはユクの生き方を選んでいて、ただそうやって生きることで誰かが傷ついたりなにかが失われたりして、それを知ることでこの先ユクがどうなっていくのかというところで話が終わっているんです。先ほどもお話したように、自然と人間という関係の中で人間側の営みを否定的に見る視点では自分は作っていないので、その上でああいった物語の展開になりましたし、今守がいなくなるという選択をしたというのはありますね。それから、後半以降ですと、きわめて表面下の話ではありますけど、ユクと羊市とナギの小さな三角関係的なところに話がシフトしていくところもありますので、その点で今守がいなくて3人だけの世界にしたかったというのもあるんです。

―― ちょうど「三角関係」というお話が出ましたけど、映画の冒頭とは違う世界に移動して、そこで男女3人の三角関係的なかかわりがあるという点では『アルビノの木』は前作の『すみれ人形』と共通した部分がありますね。

金子:そうですね、けっこう構造が『すみれ人形』と一緒のような気がしていて、あとから気がついたんですけど「山の奥にいる男が樹木に関わってなにかをやっている」というのも『すみれ人形』と同じなんですよね。『アルビノの木』では木材で器を作る男で、『すみれ人形』では樹木の力によって人を治療しようとする工房をやっている男だったんですけど、そういうふうに同じ構造になってしまったのは、たぶん自分の中にある物語の根本の形式なのかなとは思うんです。

―― 以前、監督の過去の短編『復元師』が漫画家の諸星大二郎の世界を意識したというお話をうかがったので、その先入観があるのかもしれませんが、今回の『アルビノの木』も諸星大二郎作品のような伝奇的な雰囲気も感じました。監督ご自身はそれは意識していらっしゃいましたか?

金子雅和監督写真

金子:『復元師』はもろに諸星大二郎の影響があるんですけど、今回はそれこそ諸星大二郎からさらに遡って、諸星大二郎に影響を与えている柳田國男、折口信夫、宮本常一などの民俗学者ですね。自分もそういう民俗学的なものがすごく好きなので、そういうところから受けた影響というのが入っていると思います。fjmovie.comさんのこの映画の紹介記事で「現代の民話」と書いてくださっていたんですけど、自分自体がこの映画を作るときに裏のテーマとして「現代の民話を作りたい」というのはすごく思っていたんです。やはり、ひとつのリアルな事象を描くというよりは、そこからひとつ抽象性というか寓話性を持つことによって、観た方が現実の事象を読み取ってくれたり感じてくれるものを作りたいんですね。民話というもの自体がそういうものですよね。元は必ず現実のなにかを描いているもので、それをより普遍性を持たせるために物語形式(フィクション)にしていると思うんです。なので『アルビノの木』もリアリズムではないですけども、そこから現代のなにかを感じてくれたらいいなと思いますし、作品があとに残ってくれれば、数年後、数十年後に観た方が、作品が作られた時代のなにかであったり、そこに生きていた人たちのなにかが込められているということを読み取ってくれたら嬉しいとは思います。

―― それは「現代を舞台にして民話的なものが作れるか」という挑戦のような感覚もありますか?

金子:これもけっこう難しいことなんですけど、それこそ現代を入れたりせずに完全に違う時代にしてしまえばいいじゃないかという考え方もあると思うんですけど、それは完全なファンタジーになってしまうと思うんですね。やはり「挑戦」という言葉のとおりだと思うのですけど、あえて現代と結びつけて現代のなにかを寓話的に描くということは自分のすごくやりたいことですね。おそらく、昔の人が民話とかを書いたときというのは、その人たちのリアルタイムの感覚から話が発せられているはずで、その時代に生きている人たちがその時代の人たちの地に足のついたリアリティから想像力を膨らませた結果できたものだと思うんです。自分自体は完全にリアリズムで「これが現代なんだ」というものはそんなに面白いとは思わなくて、かと言って現代となんの関係もなさすぎるものも甘く思えてしまって、現代からスタートさせつつ、だけどしっかりしたフィクションにするというのがすごくやりたいことなんです。

―― では最後に、公開を前にしてのお気持ちと、ご覧になる方々にこの作品をどう捉えていただきたいかをお願いします。

金子:公開を前にしては、テアトル新宿という、客席数も多いですし東京の中でもすごくいい映画館でやらせていただくということに対してすごく期待が膨らんでいますし、嬉しい気持ちは大きいです。自然に興味がある方も、民話に興味がある方も、多くの方に観ていただきたいと思っています。一番思っていることとしては、この作品は「自然と人間」ということを描いていますけど、この映画の物語内容みたいに大きな自然の中に行かなくても、自分たちが生きている環境というものが、必ず自然であったりほかの生き物であったり、なにかしらほかのものとの関係で成立しているんですよね。だから、この映画の中で、葉っぱの揺らめきであったり風であったり、そういうものを感じてもらって、都会で生活しながら新宿で映画を観たあとでも、日常の中に自分たち以外の存在がつねに存在しているんだということを、映画から持ち帰ってくれたらすごく嬉しいなと思っています。

(2016年6月29日/東京都内にて収録)

作品スチール

アルビノの木

  • 監督・脚本・撮影・編集・プロデューサー:金子雅和
  • 出演:松岡龍平 東加奈子 福地祐介 山田キヌヲ 長谷川初範 ほか

2016年7月16日(土)より29日(金)までテアトル新宿にて2週間限定レイトショー

『アルビノの木』の詳しい作品情報はこちら!

スポンサーリンク