「人工縮退研究所」に突如出現した時間の壁・ボブル空間。それは人工ブラックホールを用いた時間犯罪の始まりだった。研究所の総務部職員・伊勢田みゆきは、事件解決の鍵を握る准教授・吉住あおいをボブル空間から救おうと決意する――。
時間犯罪に立ち向かうふたりの女性を主人公にした空想特撮映画『ブラックホールに願いを!』は、映像制作者集団・STUDIO MOVESの初長編。渡邉聡監督はじめ特撮業界で活躍する若手スタッフが集結し8年の月日をかけて完成させた本作は、インディーズ作品でありながら日本映画では類を見ない壮大なスケールの作品となっています。
この規格外の作品はいかにして生まれたのか? そして作品に込めた思いは? 渡邉監督にお話をうかがいました。
渡邉聡(わたなべ・そう)監督プロフィール
1992年生まれ、福岡県出身。九州大学在学中に大学の友人たちとSTUDIO MOVESを結成(当初の名称は映像製作団体Move)、自主映画制作やCM・PV制作などをおこなう。同団体で制作した監督作の短編『限界突破応援団』(2015年)が第38回PFFアワードに入選。ほかの監督作に、短編映画『大怪獣グラガイン』(2014年)、「ゴジラ展 大怪獣、創造の軌跡」CM映像・館内映像(2016年)など。また『シン・ゴジラ』(2016年/樋口真嗣監督・庵野秀明総監督)B班美術見習い、「ウルトラマンシリーズ」美術助手・メイキング撮影、『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』(2024年/村瀬継蔵総監督)助監督・絵コンテなど、スタッフとして特撮業界で活躍している
『シン・ゴジラ』に負けないような映画を作ってみたいというのが出発点
―― 『ブラックホールに願いを!』は、どんな経緯で企画がスタートしたのでしょうか?
渡邉:一番最初のきっかけは2016年7月29日、『シン・ゴジラ』(2016年/樋口真嗣監督・庵野秀明総監督)が公開されまして、ぼく自身もスタッフとして参加していたんですけど、完成した映画がものすごく面白かったので、大学のときから一緒に自主映画を作ってきた友人たちとすごく盛り上がって「これに負けないような映画を、時間をかけて作ってみたいね」というのが出発点でした。
―― 「負けないような作品を」というのがカッコいいですね。内容はどのように決まっていったのでしょう?
渡邉:イギリスのSF作家のJ.P.ホーガンの小説を漫画家の星野之宣先生が漫画にされた「未来からのホットライン」という作品を読んだときに、なんとなくいまのストーリーが浮かんできたというのがきっかけですね。時間のSFという仕掛けと個人のドラマが密接に関わり合っていくのが面白いし、映画になり得ると感じたんです。それが2019年ですね。それまでに、友人たちと「こういうストーリーはどうか」とひたすら話し合っていた時期が3年半くらいあって、その間に「これならいけるだろう!」という渾身の企画が200以上ありました(笑)。
―― もともとSFはよく読まれていたのですか?
渡邉:いえ、ぼくが「SF好きです」なんて言ったら、ほんとに好きな方に怒られるんじゃないかと思います(笑)。どちらかと言うと星野之宣先生が好きで、星野先生の作品を読みまくっていた中で読んだ1冊でした。
―― 作品を拝見して、舞台となる「人工縮退研究所」の描写にリアリティを感じました。実際の研究機関などへ取材をされたのでしょうか?
渡邉:ぼく自身が九州大学の芸術工学部という、芸術系でもあるんですけど理工系の学部にいたものですから、在学していたときの研究室のイメージというのは大きいと思います。ただ、本作の舞台は研究機関であって大学とはまた違うので、そこのリアリティは担保しようと思って、撮影に使わせていただいた高エネルギー加速器研究機構さんに、ロケでお借りするのとは別に取材もさせていただいています。
―― ストーリーは最後まで目が離せない展開で、観客を惹きつけて感情に訴えるストーリーの構造というのを入念にリサーチして脚本を作られているように感じました。
渡邉:ありがとうございます。ただ、その点に関しては逆に反省点が多いんです(笑)。実は、本作は30分未満の短編として撮影がスタートしていまして、最初の撮影で撮ったのは物語の後半の45分間だけだったんです。その最初に撮影したものは、見せ場ばかりが集まったみたいな、なにがなんだかわからないもので、観客に対しての説明がまったくなかったし、ドラマ的な部分をどうしていけばいいのかを、ぼくがまったくわかっていなかったんですね。それで、これではダメだと追加撮影を何度も繰り返して、撮影自体が3年間に及んでしまったんですけど、撮影と同時に、なぜ自分が撮ったものが面白くないのかを分析していって、どうやら長編映画というのは脚本家のシド・フィールドが理論化した「三幕構成」に沿っていないとしっくりこなくて、最初にぼくが撮ったものは短編を無理に長編にしてしたためにうまくいっていないんだといことを、反省を踏まえつつ撮影をしながらリアルタイムで勉強していったんです。
―― それは意外でした。最初から完成したかたちの脚本があったわけではないんですね。
渡邉:そうなんです。最初に作ったものは、最終的にはあんまり残っていないですね。
―― リアリティや脚本のスケール感を実現する上で、ロケ地選びも重要だったと思うのですが、ロケ地はかなり探されたのでしょうか?
渡邉:そこは意外と選択肢がなかったというか(笑)。ストーリーを考えた時点ではロケーションのことをなにも考えずに書いちゃったので、書き上がってから「これ、どうするの?」みたいな感じだったんですけど、荒廃した風景を撮るんだったら、日本国内では軍艦島くらいしかないなとか、加速器がある研究施設だったら、理化学研究所さんやSPring-8さんもあるけど、地理的な条件とかも考えたら高エネルギー加速器研究機構さんしかないとかで、探すのが大変というよりは「こちらに断られたら、もう私たちは映画が撮れないんです」みたいに、背水の陣で臨んで熱意で乗り切るのが大変だったかなと思います(笑)。
「友達になりたい」ということを最大の動機としたかった
―― キャストについてお聞きしたいと思います。研究所の総務部職員・伊勢田みゆきを米澤成美さんが、准教授の吉住あおいを吉見茉莉奈さんが、それぞれ演じてダブル主演されていますが、おふたりを起用したポイントはどんなところでしょう?
渡邉:米澤成美さんは、自分が2018年に福岡インディペンデント映画祭に参加したときに『つむぎのラジオ』(2017年/木場明義監督)という作品に主演されているのを観て、コミュニケーションが苦手だけどがんばるみたいな役を演じられているのがすごくいいなと思ったんです。そのあとに米澤さんの一人芝居の舞台も観に行きまして、それもコミュニケーションが苦手だけどがんばるみたいな役で、やっぱりすごくいいなと思って、ちょうど本作の準備を進めていて「コミュニケーション能力が低いので友達がほしいんだけどできなくて空回りしている女性」を主人公にしようと思っていたので、米澤さんがピッタリだと思って、オファーをさせていただきました。
吉見茉莉奈さんはオーディションに応募してくださったんですけど、吉見さんは『宮田バスターズ』(2019年/坂田敦哉監督)とか『センターライン』(2018年/下向拓生監督)、『サイキッカーZ』(2020年/木場明義監督)とか、SF作品にたくさん出演されていたので、実はプロットを書く時点で「こういう役なら吉見さんかな」みたいなイメージをしていたんです。もちろん吉見さんはそんなことはご存知なかったんですけど、オーディションに応募してくださって、試しに演じていただいたらやっぱりピッタリで、吉見さんに演じていただきました。
―― 現場でのおふたりの印象はいかがでしたか?
渡邉:まず米澤成美さんは、制御ができなすぎてビックリしました(笑)。本番で米澤さんの気持ちが乗っていると、テストとか打ち合わせでやったこととまったく違うことを始めたりして、でもそのお芝居がメッチャいいので、なんとか対応していくしかないみたいなことがよくあったりするんです。追いかけるのが大変だったところもありますが、その感じが作品にライブ感を与えて、よかったなと思っています。吉見さんは、逆に打ち合わせでやったことを徹底的に守ってくださって、自分が「こうしてください」と言ったら100%守ってくださる方なので、すごく安定感があってお願いがしやすかったです。手堅く演じてくださる吉見さんと、カットごとでお芝居がまったく違ったりする米澤さんで、まったく対照的だと思います。
―― 事件を引き起こす赤城容子教授を演じた鳥居みゆきさんは、異色のキャスティングに感じました。
渡邉:もともとぼくが高校生のときから鳥居みゆきさんの大ファンだったんです。それで、本作の撮影の準備期間の脚本を書いていたくらいのころに、バラエティ番組の再現VTRで鳥居さんとお仕事をさせていただく機会があって、そのときにせっかくの機会だからと「こういう作品を作っているので、よければ出演してください」みたいなご相談をさせていただいて、出演していただきました。
―― ファンだったということは、脚本の時点で赤城役に鳥居さんをイメージしたりもしていたのでしょうか?
渡邉:いえ、ちょっとうろ覚えになっているんですけど、鳥居さんの出演が決まってから赤城容子というキャラクターを増やしたような記憶もあるんです。どの段階で赤城というキャラクターを増やしたかがあやふやなんですけど、最初のプロットには赤城はいなかったんです。もともとは人工ブラックホールを使ったテロではなくて、ブラックホール隕石が落ちてきて時間遅延が起きるみたいな物語だったんです。
―― 鳥居さんは現場ではどんな印象でしたか?
渡邉:鳥居さんは、カメラが回っているときでも回っていないときでも、つねにパブリックなイメージの「鳥居みゆきさん」でいるという感じなんです。ただ、やはり一流の方だなと感じたのは、最初は鳥居さんが赤城容子というキャラクターをほんとにブッ飛んでいておちゃらけたような人物として演じてくださったのを、ぼくが「そうではなくて、コミュニケーションに問題があって、おそるおそる喋るような人でお願いします」とお願いしたら、完璧にその通りに演じてくださったんです。そういうところを見ると、普段の鳥居さんの「鳥居さんらしさ」というのも、決して無計画に出力されているわけではなく、すごく繊細に考えて出力されているパーソナリティなんだなと感じました。
―― これはキャストの話題からは離れるのですが、こういうストーリーですと主人公が男女になっていて恋愛の要素が入ってくることも多いと思うのですが、本作は恋愛の要素が希薄ですね。
渡邉:ぼくは性差による動機で物語が駆動するというのがあまり好きではなくて「それって結局、遺伝子を残したいだけじゃないか」みたいな印象を受けてしまうので、そういう物語にはしたくなかったんです。もちろん、そういう作品を否定するわけではないんですが、本作に関しては「友達になりたい」ということを最大の動機としたかったので、異性愛も含めて性別をあまり感じさせたくなかったんです。斎藤陸さんが演じた准教授の山之辺だけですね、そういう部分を感じさせているのは。
一生懸命考えたものが既存のなにかに似ていたら全力でオマージュしよう
―― 作品全体を通して、音楽が効果的に使われていると感じました。永井カイルさんによるオリジナル楽曲のほかに、バンドの曲であったりシンガーソングライターの方の曲であったりも、かなり使われていますね。
渡邉:ぼくが『カメラを止めるな!』(2017年/上田慎一郎監督)の大ファンなので、ぜひ『カメラを止めるな!』の音楽を担当されていた永井カイルさんに自分の作品の音楽もお願いしたいという気持ちがあって、永井さんにお願いしたのですが、さっきもお話したように、本作は追加撮影を繰り返してどんどん尺が伸びていったという制作の経緯がありましたので、全部を新規の楽曲にするのは予算的にも難しいところがあったんです。なので、すでにある曲を使わせてもらったら費用が抑えられるところもあって(笑)、大学時代の友人のバンドの曲とかを使わせていただいています。それから、ぼくの妻がチーチー☆ビアンカというアーティスト名で音楽活動をしていまして、ぼくとの生活の中で感じたこととか、女性として働く中での苦しさみたいな気持ちを歌った曲があって、それが本作と内容的に一致するところがあったので、妻と相談して使わせてもらっています。
―― 永井カイルさんに音楽を作っていただくにあたって、監督からはどんな要望を出されたのでしょう?
渡邉:自分があまり音楽に詳しくないのと、編集をしてから音楽制作を進めていただいていたので、編集のときに仮で音楽を入れておいて「その音楽の感じで作ってください」みたいなオーダーをしていました。
―― そうすると、山之辺たちが吉住を救う計画を立てているところでティンパニの音が印象的な曲が流れるのは……
渡邉:あれは『シン・ゴジラ』のサントラを仮に入れていましたね(笑)。
―― そのBGMも含めて、過去の作品のオマージュ的な要素も随所に感じました。
渡邉:今回、映画を作るにあたって個人的に決めたルールがあって、ぼく自身もいわゆる「オタク」なんですけど「これをやったらオタクの方々が喜ぶだろう」みたいな理由で既存の作品をパロディしたり引用するのは、できるだけ避けようと決めていたんです。その代わり、たとえば本作の最後のほうで「ウルトラマンA」最終回のセリフに似たセリフが出てくるんですけど、自分が一生懸命に知恵を絞って考えたものが「これは既存のなにかに似てるよね」となったら、リスペクトを込めて全力でオマージュしていこうと決めていました。そういうルールで取り入れています。
―― 庵野秀明監督の作品の影響はかなりあるように感じましたが、監督ご自身は意識されていたのでしょうか?
渡邉:そこは、ぼく自身もできるだけ庵野監督的になりすぎないようにと思っていましたし、友人たちからもその方向に行きすぎないようにと指摘を受けていたのですけれども、表現としても内容としても「こうしたほうが面白いよね」という美学が、どうしても庵野監督の既存の作品と似てしまっているので、そこは「呪縛」なのだと思っています。この「呪縛」という言葉自体が庵野監督がよく用いられる言葉なので、二重に呪縛になっているんですけど(笑)。ただ、呪縛から逃れられなかったという敗北感もありつつ、庵野監督が2012年から開催された「特撮博物館」以降、特撮という文化を残していこう、文化事業として継承していこうという活動をされている中で、本作は自分たちの世代が映画として新しく継承できるような志で制作した作品でもあるので、いい言い方をすれば、継承でもあるのかなという思いもあります。
―― 「継承」というお話がありましたが、本作のクラウドファンディングの際に「いま空想特撮映画が失われつつあって、その志を継承するためにこの作品を作る」という趣旨のメッセージを出されていたのが印象的でした。監督が特撮の現場で仕事をされる中で「失われつつある」という実感があるのでしょうか?
渡邉:すごくありますね。「特撮映画」というと、ゴジラであったりウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊といろいろありますけど、キャラクターありきのものしか生き残っていなくて、昔のようにキャラクターに依存しない特撮映画が作られていた土壌はどんどんなくなっているんです。なぜかというと、特撮はお金がかかるので「このキャラクターであれば、このくらいお金が入る」という仕組みがないと、企画として成立しなくなっているんです。でも、ハリウッドではCGやエフェクトを全面的に使いながらキャラクターに依存しない映画が現在でもバンバン作られていますし、日本でもそういう企画がもっとあってもおかしくないんじゃないかと思うんです。ミニチュアを本物に見せるような技術のように、特撮の現場で培われた技術が、キャラクターに依存せずにこれからも日本の映像産業の中で継承されていけば、もっと持続可能性があるのではないかと感じています。
「現実には存在しないものがそこにあると信じられる」感覚を体験できるのが特撮映画
―― 監督ご自身に関してもお話をおうかがいしたいと思います。作品資料によると、生まれて初めて喋った言葉が「ゴジラ」なほどの特撮ファンということですが、最初にご覧になったゴジラ映画は覚えていらっしゃいますか?
渡邉:1991年の『ゴジラVSキングギドラ』(大森一樹監督・川北紘一特技監督)ですね。自分は兄がいまして、兄がゴジラやガメラ、ウルトラマンとかの特撮が好きだったので、自分が生まれて間もないころに兄にビデオで見せられたそうです(笑)。
―― 一番好きなゴジラ映画というとなんでしょう?
渡邉:『ゴジラ FINAL WARS』(2004年/北村龍平監督・浅田英一特技監督)です! ゴジラがずっと戦っているというのがいいですよね。自分が多感な時期に観たということもあるかと思うんですけど。
―― 映画を作るということに興味を持たれたのはいつごろだったのでしょうか?
渡邉:厳密には覚えていないんですが、たぶん3歳くらいのときですね。
―― ずいぶん早い時期ですね。
渡邉:ええ、ずっとゴジラを観ていて、あるときにそれが全部作り物で、それを作っている人のことを映画監督というんだということを、兄に教わったんです。それで「じゃあ自分はその映画監督というものになる」みたいなことを考えたのがきっかけだったと思います。『ゴジラVSメカゴジラ』(1993年/大森一樹監督・川北紘一特技監督)を観たときに、兄とそういう会話をしたと記憶しています(笑)。
―― ゴジラを入口に映画に興味を持たれて、そこから映画への興味はどのように広がっていったのでしょうか?
渡邉:実は、2004年に『ゴジラ FINAL WARS』でゴジラシリーズが一旦終わってからは、あまり「これが好きだ」というものがない時期が続いたんです。中学生時代、高校生時代とそういう時期だったんですけど、高校のときに友達から「映画監督を目指している割に文化的素養がなさすぎる」みたいなことをかなりきつく言われまして、たしかにそうだなと(笑)。ぼくはそのころ「インディ・ジョーンズ」シリーズも1本も観たことないし「ハリー・ポッター」も観たことないし、世間一般の人が観ているようなメジャーな作品ですら、ほぼ観たことがなかったんです。それで反省をしまして(笑)、そのときはもう大学受験の準備に入る時期だったので、受験が落ち着いたらちゃんと映画を観ようと思って、予備校、大学のころからものすごく映画を観るようになったんです。そのときに初めて「特撮でない映画もこんなに面白かったのか」みたいなことに気づいたんですよ。
―― まだまだお話をうかがいたいところですが時間も限られていますので、初の長編作品を完成させて、今後はどんな作品を作ってみたいかを聞かせてください。
渡邉:やはり、自分はゴジラの監督になりたくてこの仕事を始めたので、イベント映像で携わったことはあるんですけど、きちんとゴジラを撮りたいという気持ちはあります。それから、大学時代に一般映画の面白さに触れたということもありますし、特撮を使ってはいるけれど一般映画として面白い映画というのも、これから作っていけたらいいなと思っています。
―― では最後に『ブラックホールに願いを!』に興味を持たれている方に向けてメッセージをお願いします。
渡邉:本作は特撮映画なので、まずなにより特撮映画として楽しんでいただければと思っています。それは「ミニチュアを使っている」とか「アナログな手法を使っている」みたいなことを観てもらいたいということではなくて「映画を観ている間は現実には存在しないものがそこにあると信じられる」という感覚を体験していただけたらいいと思っているんです。そういう感覚を体験できるのが特撮映画だと思っていますので。そして、特撮映画として楽しんでいただくと同時に、もしできれば、それぞれの捉え方で構いませんので、作品の中に込めたテーマとかメッセージを、なにかしら感じていただければいいなと思っています。
(2025年11月14日/都内にて収録)






