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『バッシング』小林政広監督インタビュー

 2004年に起きたイラク人質事件。3人の日本人がイラクの武装勢力に拘束され、イラクからの自衛隊撤退が要求されるというこの事件は、3人が無事解放されるという解決をみたものの、日本国内では3人に対して激しいバッシングが巻き起こるという展開を見せました。
 この事件を題材に、バッシングを受ける女性を主人公にした映画を完成させたのは、日本初のカンヌ国際映画祭3年連続出品を果たした小林政広監督。本作『バッシング』も、4作目となるカンヌ国際映画祭出品を果たしています。
 社会的に大きな反響を呼んだ事件を題材に選んだ理由を中心に、監督にお話をうかがいました。



小林政広監督プロフィール
1954年生まれ。1970年代初めに“林ヒロシ”名義でフォーク歌手として活動。1982年「名前のない黄色い猿たち」で城戸賞入選をきっかけにシナリオライターとしての活動を開始、テレビドラマを中心に多くの作品を手掛ける。1996年の初監督作『CLOSING TIME』でゆうばりファンタスティック映画祭グランプリ受賞。『海賊版=BOOTLEG FILM』(1998年)、『殺し』(2000年)、『歩く、人』(2001年)で日本映画初のカンヌ国際映画祭3年連続出品を果たす。

モンキータウンプロダクション公式サイト:http://members.aol.com/sarumachi/


「実際にあったことから離れていかないと映画にならない」

―― 今回、イラク人質事件を題材に選ばれた理由はなんだったのでしょうか?

小林:ぼくは今までマイノリティというか、疎外された人というのを描いてきたんですよ。この事件の被害者っていうのは、当時、社会から疎外されたわけですよね。それでアメリカでは、9.11のあと、イラク戦争があったときに、マドンナとか、ミュージシャンがブッシュの批判をしたり反体制みたいなのを唱えたら、途端にバッシングされたりした。それも同じだと思うんですね。疎外されたり、バッシングされた人の側から社会を見たらどうなるか、社会から疎外されるということが、その人にとってどういうことなのかを描いてみようかと思ったんですね。

―― 実際にあった事件を題材にしていながら、事件についてあまり具体的には描写されていませんね。

小林:映画というのはそういうものだと思うんですよ。やっぱり100年観てくれるものじゃないと映画としては残らないわけで、実際にあったことをモチーフにしつつ、どのくらい普遍性を持たせるかが大事なんです。そのためには、実際にあったことから離れていかないと映画にならないんじゃないかとぼくは思います。ドキュメンタリーやノンフィクションと違うのはそこだと思うんですよ。東電OL殺人事件という事件をモチーフにして桐野夏生さんが「グロテスク」っていう小説(*1)を書いていて、それは小説として成立しているわけじゃないですか。それと同じように、映画もそのままを描いたって映画にはならないわけで、自分の感覚とかを経て、濾過されたものが出てくるのが作品だと思うんですよ。

―― 今、2006年に観るとあの事件に結び付くけれど、10年後、20年後に観ると、そのときどきの別の事件と結び付けられるかもしれないですね。

小林:うん、それはそう。いつの時代もつまはじきにあったり、異を唱えたらバッシングされるってのはあるんじゃないんですかね。いわゆる民意みたいなものから背いたらそういう目に遭うっていうのをわかっているから、ロックンロールとか抵抗運動とかいろんなものが出てきたわけで。ピカソの「ゲルニカ」だってそうじゃないですか。

―― 人質事件をテーマにしていながら、描こうとしていたのはその事件自体ではない?

小林:そうですね、やっぱり学校でもイジメがあったり、会社の中でも女の人がセクハラにあったりで、みんなそういうことはあると思うんですよ。

―― 舞台を北海道の町に設定されていますね。町の風景が、作品全体の寂寥感や荒んでいる感じにあっているように感じました。

小林:前作の『フリック』(2004年)も苫小牧で作っていて、『フリック』のときにロケハンをある程度していたので、今回は苫小牧でやろうと思ってホンを書いていたんです。苫小牧っていうのはいわゆる工業地帯ですよね。町なかに煙突があって、そういう労働の場みたいなところで仕事を失った父親がいて、仕事を失ったヒロインがいてというのが、すごくマッチするんじゃないかと思ったんです。たとえば『ディア・ハンター』(1978年/マイケル・チミノ監督)という映画があるじゃないですか。『ディア・ハンター』も工業地帯が舞台で、工場で働いていた男たちがベトナム戦争に駈り出されるって話なんですけど、それから『モダン・タイムス』(1936年/チャーリー・チャップリン監督)っていうチャップリンの映画も主人公が工場で働いているじゃないですか。労働と、そこから疎外されたという表現をするときに、工業地帯っていうのは絵的にもすごく的確なんですよね。サラリーマンとして働いているとか、ホワイトカラーとして働いているというのは表現にならないんですよ。それよりもブルーカラーの方がいいんですよね。

―― 主人公の有子のキャラクターは、どこかバッシングされても仕方ない部分がある人物のように感じました。

小林:特別な人ではなくて、普通の27歳の女の子として描きたかったんです。優等生っていうのは世の中に疑問を持たない子なわけでしょ? 『バッシング』のヒロインっていうのは、世の中に対して疑問を持っているんで、それはまっとうな意味から言うと、いろんな欠点があるという風に見えるんじゃないんですか。ただ、欠点のない子なんて現実的にいないわけですよ。どんな優等生でも欠点はあるしね。日本映画っていうのはヒロインとして優等生が出てきていじめられたりするのが多いですよね。「この子は何も悪いことをしていないのになんでいじめられるのか」という方が感情移入しやすいと思うんですけど、今はそういう時代じゃないと思うんですよ。
 欠点があるからいじめられるってのはおかしな話でね。ボランティアとか、人のために良いことをしようと思って行っているわけで、そこで拘束されて帰ってきたらバッシングにあったというのは、彼女のとった行動がそのときの国にとって都合が悪かったからバッシングしただけで、その子個人の性格云々の問題ではないとぼくは思うんですよ。

*1 「グロテスク」
作家・桐野夏生さんが2001年から翌年まで「週刊文春」に連載し、後に単行本化された小説。1997年に起きた殺人事件を題材に書かれているが、あくまでフィクションであり、登場人物の設定などは事実と異なっている。


「情報が開けて来た良い面と悪い面が、あの事件に集約されていた」

―― 映画の中で、ヒロインがインターネットで誹謗中傷されているというセリフがありました。著名人ではない普通の人も広い範囲で誹謗中傷を受けるようになったというのはインターネットの普及によって生じた変化だと思いますが、それについて監督はどうお考えになっていますか?

小林:やっぱりインターネットが普及してから、まだ10年も経っていないじゃないですか。だからモラルもなんもないんですよ。ただ、インターネットの中のやりとりもまっとうな人たちがほとんどだと思うんですよ。ほんのわずか、何パーセントかの人が中傷したり、荒らしまわったりして憂さを晴らしているんだろうけど、インターネットってそれだけのものではないと思う。やっぱりインターネットができる前と後じゃ、コミュニケートの仕方だってすごく濃密になってきているし、そっちのほうが大事だとぼくは思いますけどね。誹謗中傷なんかは別に大したことないっていうか、インターネットじゃなくてもそういうことをする人たちってのはいますよ(笑)。

―― インターネットがなければ、この映画のモデルとなった方への世間の反応も違っていたかも知れないと思うのですが。

小林:違ってたよね。ただね、それは国の対応も同じだと思うんですよ。インターネットがあったから、イラク戦争で人質になった人や、アルカイダの映像がすぐ出てきたりするわけじゃない? もうボーダーレスで普通の民間人にまで情報が届いちゃうから、国も隠しようがないんですよ。だから、小泉さんがあのとき言ったことは軽率なことだと思いますけど、みんなが知っていて、でも自衛隊は撤退できないという中で、「自己責任」みたいなわけのわからないことを言うことしかなかったんだと思いますけどね。ベトナム戦争のときだって、人質になって身代金を要求されたり、殺されちゃったりっていう事件は山のようにあったんだと思うんですよ。その頃はインターネットがなかったから一般の人たちはなんにも知らないけど。だから、情報がすごい開けて来た良い面と悪い面っていうのが、日本ではあの事件に全部集約されちゃったんじゃないかなと思うんですけどね。

―― ネット上での映画への感想や批評もすごく増えました。中にはそれこそ作り手をバッシングするようなものも多いと思うんですが、そういう状況をどうお感じになりますか?

小林:もちろん、特に匿名で非難されたりすると腹立ったりはしますよ。ただ、こっちからも言えるというのはあるじゃないですか。今までは、雑誌や新聞で批評家が批評して、断罪するのをただ読んだり聞いたりしているだけだったけど、こっちからも「ふざけんな」って言えるというのはすごく良いんじゃないかなと思います。そういう権威のある人たちの言っていることが正しいのか、そういう人たちが言っていることをどう思うのかってことを、こっちから言い返せる機会が持てるのって大事だと思うんです。

―― この作品に対しても、バッシングが起きる可能性があるのではないでしょうか?

小林:そんなにないんじゃないかなと思いますけどね。具体的にどういうこと?

―― こういうテーマを取り上げることに対して、拒否反応を示す人はいるんじゃないかと思うんです。

小林:何人かはいるかもしれないけど、逆に今は小泉批判とかブッシュ批判の方が大きいんじゃない? やっぱり3年前とは変わってきているんじゃないかなあ。それが良いかどうかは別として。アメリカでもマドンナとか、バッシングされていた歌い手さんもまた歌うようになってきていて、ブッシュの支持率も最低になってきたでしょ? CIAの人が辞めちゃったり、なんかボロが出てきたって感じですから、3年前とは状況が全然違うんじゃないかと思いますけどね。
 1度、時代が逆行しちゃったんですよ。だってイギリスとアメリカと日本はイラクと戦争しているんですから。それは第2次大戦中と同じですよ。だから、これからまた60年代、70年代みたいに変わってくるんじゃないんですか。今はすごく保守的というか、全体主義的になってきていて、それでまた反体制が出てきて壊れていくんですよ。「歴史は繰り返される」ですからね(笑)。




「誰かがまた、昔みたいな歌を歌いだすようになったらいいんじゃないかな」

―― エンディングテーマに、監督ご自身の以前の歌(*2)を使われていますね。

小林:なんとなくなんですけどね。ぼくは親父に怒られたりしながら隠れて歌ったりしていたんだけど、70年代みたいに、自分のやりたいことをやるとか、言いたいことを言うみたいなことが、今、必要なんじゃないかなと思うんですよね。今はみんな我慢をしているだけで、そこから何も生まれないんじゃないかなと思ったんで、ちょっと恥ずかしかったんですけど、昔の歌を入れたんですよね。

―― 新しいシングルを出されたり、ライブ活動もおこなわれるそうですが、高田渡さん(*3)が昨年お亡くなりになったことが関係されているのでしょうか?

小林:やっぱり、渡さんは怖い存在だったんですよ。ぼくは歌を辞めて30年くらい経つんで、何度か歌いたいなと思ったことはあるんです。ただ、歌い続けるってね、すごい大変なことなんですよ。渡さんだって10年以上食えない時期があって、もうボロボロだったですからね。ぼくは1度降りた人間ですから、そういうのを経ても辞めずに歌っていた人に対して申し訳がなくて、渡さんが生きているときには「ぼく、また歌いたいんです」なんて口が裂けても言えなかったです。でも、渡さんが亡くなってね、昔みたいな歌を歌う人がいないんですね。みんな当たり障りのない歌しか歌わなくなっちゃって、昔みたいに突き刺さってくる言葉を書く人がいなくなってしまったんですよね。だから、改めてもう1回やってみたいなと思って。
 また歌手になりたいと思っているわけじゃないですけど、ぼくが歌うことで誰かがまた昔みたいな歌を歌いだすようになったら、それでいいんじゃないかなって。何かのきっかけになればいいと思っていますね。

*2 監督ご自身の以前の歌
小林監督が1975年に林ヒロシ名義でリリースしたアルバム「とりわけ10月の風が」収録の「寒かったころ」が『バッシング』のエンディングテーマとなっている。
*3 高田渡さん
1960年代よりフォーク歌手として活動し、日本フォーク界の伝説的な存在だったが2005年4月逝去。小林監督は70年代に高田さんとツアーをおこなうなど活動をともにしており、小林監督の前作『フリック』では高田さんがテーマ曲を歌い、特別出演もしている。

(2006年5月9日/銀座にて収録)


 インタビュー中でも触れたように、小林監督は映画公開に合わせ、6月7日にエンディングテーマ「寒かったころ」をセルフカバーしたマキシシングルをリリース、さらに6月11日にはライブもおこなうことが決定しています(詳しくは『バッシング』公式サイトをご覧ください)。映画『バッシング』と音楽活動、そこにはひとつに繋がったものがあるはずです。映画とともに、ミュージシャンとしての小林監督にも注目です。

バッシング
2006年6月3日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー
脚本・監督:小林政広
出演:占部房子、田中隆三、香川照之、大塚寧々 ほか

詳しい作品情報はこちら!


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