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伝説のスター60年ぶりの登壇:『ムーランルージュの青春』完成披露試写会

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劇場ロビーで会見をおこなった野末陳平さん、明日待子さん、田中重幸監督

 いまから80年前に新宿に開館し、レビューや演劇で20年にわたって人気を集めた劇場“ムーランルージュ新宿座”の記録映画『ムーランルージュの青春』(9月17日公開)の完成披露試写会が6月4日になかのZEROホールで開催され、当時ムーランルージュで絶大な人気を誇った明日待子(あした・まちこ)さん、観客として戦後のムーランルージュに通い詰めたという野末陳平さん、メガホンをとった田中重幸(たなか・じゅうこう)監督が会見をおこないました。
 『ムーランルージュの青春』は、戦前から戦後にかけて、当時の学生や知識人から人気を集め、有島一郎さん、三崎千恵子さん、由利徹さん、森重久弥さんら、のちに映画やテレビで活躍する多くのスターを輩出したムーランルージュ新宿座の往時の姿を、関係者の証言や貴重な資料で振り返った作品。
 昭和8年からムーランルージュに出演していた明日さんは「初恋の味」のコピーで知られるカルピスの初代広告モデルをつとめるなど、現在のアイドルの先駆けとして活躍。昭和23年に映画に出演したのち芸能活動の一線からは離れましたが、日本舞踊の正派五條流家元として91歳となる現在も現役で活躍していらっしゃいます。この日の会見では実に60年ぶりに“明日待子”として公の場に登場しました。

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明日待子さん

明日待子でございます。私は9歳のときに警察官で署長をしておりました実父が亡くなりまして、そのころ女の人の職業といったら、看護婦さんとか、髪結いさんとかで、中には女優さんという職業もありまして「女優さんになったら母親を支えてあげられるかな」と、親孝行がしたかったんです。それで女優さんになろうかと姉を頼って東京に来て、ムーランルージュの子供になりました(※劇場主・佐々木千里氏夫妻の養子となった)。文芸部の方が大勢いらっしゃいましたから家庭教師のように勉強を教えていただいて、そして舞台が好きで踊りが好きだから、父から「小さい子供だから明日を待とう」ということで「明日待子」という名前をつけていただきました。
 ムーランは昭和6年(1931年)からやっていましたけど、昭和8年からお客が入るようになりまして「お前は福の神だよ、お客が入るようになったよ」と言われまして、私も嬉しく思いました。両親はいろいろな方に支えられて、ムーランが支えになって、このように映画ができて喜んでいるのは両親だと思います。谷中にお墓がありますので「田中さんが映画を作って、80年になったムーランの記録を残してくださるようですよ」と、昨日も報告に行きました。野末さんにもお世話になりましたし、心から嬉しく思っています。
 私は昭和24年に北海道に移りまして、小さいときから踊りが好きだったものですから、いまも舞踊をやっております。今後とも前向きで芸の道を目指して生きたいと思っております。

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野末陳平さん

ぼくはですね、当時、早稲田の学生でムーランルージュの観客のひとりなんです。10日変わりで芝居とかレビューがあるので、お金さえあれば月に3回は行ったはずなんですが、あんまりお金がないんで、月に2回くらい観ていました。それで、ムーランが閉館になりまして「誰かこれを残す人がいなきゃまずい」と思ったけど、誰もいないんです。「それなら自分でやろう」というんで資料を集めましてね、ムーランは昭和6年の12月31日、大晦日に始まったんですけども、第1回からの上演年表とかいろいろなものを手書きで作りましてね、膨大な量があるんです。だけどそれを発表する機会がなかったんです。ですから、こんな日が来るなんて考えたこともなかったんです。そしたらある日、田中監督から突然、電話がかかってきまして、最初は「まとまるわけがない」と疑ったんです。資料もないし、第一(関係者は)みんな生きてないじゃないかという話になったんですけど、資料はぼくのがあるからそれを頼りにして、そして田中さんはあちこち取材して、今日の日を迎えることができて、ホッとしています。

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田中重幸監督

去年の6月くらいからこの映画の準備を進めていまして、そもそものきっかけは『二十四の瞳』とか『幕末太陽伝』の美術監督をやられた中村公彦さんの取材から始まったんですね。そしたらいきなりお亡くなりになられてしまったので「もうこの映画は作れないんじゃないか」ということになりそうだったんですけど、そのときに明日さんがお元気でいらっしゃるということを知ったんです。ぼくも素人だったんで調べていくと、もうAKBどころじゃない。松田聖子や山口百恵どころじゃないんです。当時の人に聞くと絶大なアイドルだったらしいんですね。要するにアイドルの一番最初を築いた方なんです。それから、バラエティっていうのはやっぱりムーランから発生しているんです。コントとか、お笑いのもとがムーランなんですね。バラエティって言葉自体がムーランの作家が使ったのが最初なんです。ムーランについて10冊くらい本があるんですけど、そこらへんのことがちゃんとした資料になっていないんですね、誰がいつやめて、いつ入ったのかわからない。それで、野末さんの調査資料に随分助けられました(笑)。新事実がけっこう入っていて、研究者にとって重要なものになっています。記録映画ですけど、明るく楽しい記録映画、観て楽しい記録映画になっています。

 映画の上映に続いては、作家の本庄慧一郎さんの進行により、明日さん、野末さん、田中監督に加え、ムーランルージュの舞台監督でのちにテレビドラマ「若者たち」などをてがけた森川時久さん、ムーランルージュに出演していた俳優の藤枝利民さんも参加してのトークショーがおこなわれました。
 明日さんは「あのころ(戦時中)は、観に来てくださる方も防空頭巾を被ってきたり、私も舞台で“今日死んでもいい”というな気持ちでやってまいりました。そういう切迫した空気の中でやってきた青春でございます。ムーランルージュの青春は、私の心の中にずっと持っております」とあいさつし、客席から大きな拍手と歓声が起こりました。

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トークショーをおこなった本庄慧一郎さん、森川時久さん、野末陳平さん、明日待子さん、藤枝利民さん、田中重幸監督(左より)

 『ムーランルージュの青春』は、9月17日(土)より、かつてムーランルージュがあった場所に近い新宿K's cinemaにてロードショーされます。

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