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『今日という日が最後なら、』柳明菜監督・柳裕美さんインタビュー

柳明菜監督・柳裕美さん写真「今日という日が最後なら、何をしたいか考えました」という手紙を残し、八丈島で育った舞子は東京に向かった。幼いころに離れ離れになった、双子の姉妹・聖子に会うために。そして再会したふたりは島へと戻り、初めて姉妹一緒の日々を過ごす……。
 八丈島を舞台に、島のさまざまな文化と、20歳を迎えた姉妹の青春を描いた『今日という日が最後なら、』は、1983年生まれの新鋭・柳明菜監督の第1回監督作品。
 八丈島を訪れ感動した柳監督自身が企画を立ち上げたこの作品は、その製作過程も「一歩踏み出せば、そこから世界は変わり始める」という映画のテーマを具現化した作品になっています。
 監督の想いが多くの人々を動かして完成したこの作品について、柳監督と、監督の実妹で主人公のひとり・舞子を演じた柳裕美さんにお話をうかがいました。

(写真左:柳裕美さん・写真右:柳明菜監督)

柳明菜(やなぎ・あきな)監督プロフィール

1983年鹿児島県生まれ。アメリカの高校在学中の2001年に短編映画でバッカフィルムフェスティバルのオハイオ州優秀賞を受賞。同年に帰国後、テレビ番組「ASAYAN」の「女流カメラマンオーディション」グランプリを受賞し、写真家としての活動を開始する。2003年に慶応義塾大学環境学部入学後、演劇を学びはじめる。2007年に大学を卒業。『有限会社ひきもどし』(2005年/畑泰介監督)では撮影を担当。

柳裕美(やなぎ・ひろみ)さんプロフィール

1986年生まれ。柳明菜監督の実妹。『今日という日が最後なら、』が映画初出演となる。現在、慶應義塾大学環境情報学部在学中

「鏡に向かって問いかけてみたら、やっぱり私は映画が撮りたい」

―― この作品を企画するきっかけはなんだったんでしょうか。

明菜:大学の3年から4年に上がるときに、大学の合宿で八丈島に行ったのがきっかけになったんです。それは、社会起業を研究する研究会で、年々1万人ずつ観光客が減り続けている島を盛り上げるようなビジネスプランをみんなで考えるという合宿だったんです。

―― 実際に学生がプランを提案していくという研究会だったんですね。

明菜:はい、最終発表会で学生が提案することになっていたんです。それで、私はそのとき初めて島に行ったので、島を見ていくうちに「活性化する以前に知ってもらうことが最初じゃないかな?」って思うようになったんです。島にはいいところもいっぱいあるし、織や染とか、太鼓とか、日本が失いつつある文化が生活の中に入り込んでいるというのに惚れて、この島を伝えるようなことをやりたいと思ったんです。私はもともと映画界に興味があったけど、難しい世界だから無理かなってどこかで思っていたんですね。でも、この島を伝えるのに映画をツールにしたいという想いが強くなってきたんです。八丈はたくさん映画は撮られている地ではあるんですけど、ホラーとかサスペンスが多いんです。でも、私が実際に島で受けた神秘的な感じやファンタジックな面を見せて、八丈島に行きたいって思ってもらえる映画を撮れたら、それは事業になると思って、最終発表会で「私はこの島で映画を撮ります」って宣言したのがはじまりです。それが2006年の3月で、そのあとすぐに準備に入ったんです。

―― 双子の姉妹が主人公のストーリーにした理由というのは?

柳明菜監督写真

柳明菜監督

明菜:実は、最初に作った脚本はできあがった映画とは全然別のものだったんです。5人の男の子が主人公のファンタジーだったんですけど、難易度が高い脚本を書いてしまったので、何度も集まったチームが崩壊したりしたんです。それで、企画してから5ヶ月か6ヶ月経ったころに、自分でも「これは無理かもしれない」って諦めかけちゃったんですよ。そのときは実家に帰っていたんですけど、友達がスティーブ・ジョブズ(※1)のスピーチを送ってくれて、そのスピーチには「今日という日が最後だったら、今日やることは自分がしたいことなのか、自分は毎日問いかけている。その問いかけと自分のやってることが違ったら変えるべきなんだ」という一節があったんです(※2)。それで私も、同じように鏡に向かって問いかけてみたら、やっぱり私は映画が撮りたいと思って。でも、いまの脚本では撮れないから、だったら脚本を書き換えようと思ったんです。そのときに「私は八丈島のなにに感動したんだろう?」ってすごくシンプルに考えてみたんですね。大都会にないものを初めて見て、日本というものに感動したときに、自分のふたつの人格が見えたんですね。やりたいこともなく夢を諦めていたころの自分もいたし、恵まれた環境ではないけれどやりたいことをやって伸び伸び生きている人格もあったし。それで、双子の物語って面白いなとも思っていたので、ひとつの人格を島の子と都会の子に分けて、ファンタジックに描くというコンセプトで書きはじめたんです。

―― 裕美さんは、お姉さんが映画作りを始めたのを見てどう思われました?

裕美:最初は、私は実家で離れて暮らしていたので、母伝いに「また変なことやっているよ、今度は映画作るらしいよ」くらいしか知らなくて、なにが起こっているのかあんまりわからなかったんです。だから、姉が実家に戻ってきたときに巻き込まれたのかな(笑)。

―― 新しい脚本を書き始めたのはいつごろだったんですか?

明菜:9月くらいに脚本を書き直しはじめて、4日間ですね。ほとんど寝ないで実家のリビングで書いたんです。

裕美:そのときは書いているのを見ていたんですけど、すごい勢いでやっていましたね(笑)。私は前の脚本もちょっと見たりはしていたんですけど、新しい脚本のほうが私はしっくり来て、話し込んだりもしました。

―― 書いている最中におふたりで相談などはなさったんですか?

明菜:書きあげるまではほとんど相談しないで、私が「こうなってこうなって、こうなるんだけどやっぱりこうで」とか、一方的に喋るだけですね。

裕美:いろいろ言うんですけど、結局私の意見は聞いてなくて(笑)。

明菜:逆に、1回書き終わってから相談したんですけど、そうすると悩んできちゃいましたね。最初の4日間は、ほんとに浮かんだものをすごい勢いで書いていたので楽しかったんですけど、そのあとからクランクインの直前までずっと書き直していたので、そのときは悩んだし、意見を聞けば聞くほどつらかったですね。

―― それから実際に撮影するための準備に入られたんですね。

明菜:そのあとまた冬にチームが解散したので、そこからまたひとりひとりスタッフを集めていったんです。それで資金調達もしようと思っていたんですけど、これはもう間に合わないなと思って、いまある資金でできるものを作ろうと思ったんです。それからは、お金ではなくて「カメラ機材を貸してください」とか「このシーンを撮るときの大道具を貸してください」とか、いろいろな会社に物資協賛をお願いしたんです。それをやりながら脚本を書き換えていて、妹に何度もひたすら読んでもらっていました。一番大変なのはスタッフ集めですね。不安で不安で。

―― これまでに映画の現場というのを経験したことは?

明菜:単館公開された映画(※3)でメインキャメラをやったことはありますし、女優活動をしていたので、ちょっとした役で現場に行くことはありました。

―― では、映画作りでどういう体制が必要かというのはある程度わかっていらしたんですね。

明菜:でも、ほんとに「ある程度」ですね。作りながら知ったということが多いですし、作り終わってから「映画を作るときはこういう人が必要なんだな」ってわかったことがあるんです。たとえば「制作」という名前でもどんな役割なのかピンとこないじゃないですか。だから、この映画のチームを組むときは、名前がわからなかったので「撮る人」「スケジュールを組む人」というふうに決めていったんです。

  • ※1:米アップル社の創業者。現在は同社CEOをつとめる。同時にピクサー・アニメーション・スタジオCEOであり、ウォルト・ディズニー・カンパニーの筆頭株主にして取締役でもある
  • ※2:スティーブ・ジョブズが2005年6月にスタンフォード大学でおこなった卒業スピーチ
    I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.(スタンフォード大学サイト内に掲載された“Text of Steve Jobs' Commencement address (2005)”より引用)
  • ※3:畑泰介監督『有限会社ひきもどし』。2005年テアトル池袋にて公開

「自分の中で舞子像があったから、自分ができたら楽しいなと思った」

―― キャストが決定したのはいつごろだったのでしょう?

明菜:ずっと「いい人がいないかな」と、いろいろな人を見てはいたんですけど、本格的に決めたのは2007年の2月くらいですね。

―― 主演に裕美さんを起用した理由というのは?

明菜:ひとつは、この子は私のことが心配で上京してきてくれていたんですよ。それで二人三脚みたいな状態で手伝ってくれて、なにより生活能力をすっごく助けてくれたんです。私がボロボロだったので。

裕美:フフフ(笑)。

明菜:だから、その段階ですごく脚本を読み込んで世界観がわかっているので、この子が演じたら阿吽の呼吸でわかるなっていうのがひとつの理由ですね。あと、素材がいいなって(笑)。ずっと妹っていう目でしか見ていなかったんですけど、キャストを決めるのに事務所でいろいろな女の子を捜していると、妹を見たときフッと「この子って素材がいいな」って思ったんです。「もうちょっと痩せたらいいんじゃないか」とか「こうしたら舞子に近いんじゃないか」って、頭の中で完成図ができちゃったんですね、それでいきなり「出ない? あんたが出てくれたらこの映画はすごくいい映画になると思うんだけど」って言ったら「やる」って言ってくれて。でも「出るなら10キロ痩せて、日焼けして、髪はドレッドにして、島の子で走り回ってるから筋トレもして」って(笑)。そしたら、ダイエットもしたし、走ったりして筋トレしたり、髪もちゃんともドレッドにしたんです。

―― 裕美さんは「出てみない」と言われたときはどう思いました?

柳裕美さん写真

主人公・舞子を演じた柳裕美さん

裕美:私はすごくシャイだったので、人前で演技するって嫌だったんです。だから最初はどうしようと思ったんですよ。でも、姉のいままでの苦労を見てきていて、それを台無しにしたくないっていうのもあったし、脚本はすごく読んでいて、私の中で舞子像っていうのがすごくあったんですね。だから、ほんとに自分ができたら楽しいなあと思って、チャンスがあるならやろうって最終的にはやろうって思ったんです。

―― それまで準備している段階で、自分が出演することになるだろうという予感みたいなのはありましたか?

裕美:なかったですね。姉と一緒に役を選んだり、いろいろな話をしていたんですけど、自分でやるとは思ってなかったです。

明菜:チラホラ周りから「ふたりで姉妹役をやれば?」とは言われてたよね。

裕美:言われてたけど、それは笑い飛ばしてた(笑)。

―― 裕美さんを、ふたりのうちの舞子役にしたのは?

明菜:この子は、もうひとりの聖子に近いタイプだったんですよ。でも、これはひとりの人格を分けて書いている脚本なので、聖子に近いということは舞子もできるなって思ったのと、演出する側として難しいのは舞子だったんです。聖子はどちらかというと伝えやすいし、カメラアングルも“静”な感じなんですよね。でも“動”の舞子はやってもらうには事前の準備もいるし、普通の女優さんだと嫌がりそうなシーンが必要だったんですよ。変顔っぽい感じでガムシャラな必死さを出すとか、食べるシーンでも「もっと変な顔をして食べて」とか、わざと言うんですよ。ただ勢いじゃダメなんですけど、それをこの子はわかるんです。だからこの子ならできると思ったし、この子が舞子になるのを見てみたいというのもあったんです。

―― ほかのキャストはどんなかたちで決まっていったんでしょうか?

明菜:聖子役の森口彩乃ちゃんは、八丈島にいる間に「八丈島出身の女優さんがいる」っていう情報を貰っていたんです。島出身っていうところを大事にしたかったので、プロフィールも取り寄せて、森口彩乃ちゃんで行こうというのは、妹を決めるより先に心の中で決めていたんです。最初は森口彩乃ちゃんが舞子かなと思っていたんですよ。でも、どっちもやれるかなと思って。妹とそんなに顔の系統も違わないように見せられるんじゃないかと思ったし、彩乃ちゃんは飛び切り可愛いので、聖子でよかったと思っています。
 ヒロ役の本多章一くんは、前に見かけたことがあって、いい役者さんだなって思っていたんですよ。そのあとで演劇を観にいったりして、直感で使いたいって思ったのと、脚本を書くときに島の男に本多くんを想像するとうまく浮かんだんですね。だから、ヒロはほぼ本多章一くんで当て書きしていました。
 おばばの清水増子さんは、島の人にやって欲しかったので島で演劇をやっている人を紹介してもらって、その中から選びました。お母さん役の岡田真由子さんは、録音部さんに「お母さん役でいい女優さんがいるよ」って紹介してもらって、藤谷文子さんは、もう運命ですね、完全に(笑)。

―― それはどういう運命だったんでしょう?

明菜:藤谷さんの役は、かおるという染物をやっている姉さん的な役なので、落ち着いた感じのベテランの人がいいかなと思って探していたんですよ。それでサンプラザ(中野くん)さんに相談したときに「藤谷文子ちゃんがいいと思うよ」って言われたんです。実は私はあまり藤谷さんを知らなかったので、ネットでプロフィールを調べたんです。それで「この人に出てもらいたい」と思って、なんとかコンタクトをとろうと思ったんです。そしたら、その次の日に電車のホームで会ったんですよ。それで私が「藤谷文子さんですか?」って聞いたら「そうですけど、なんですか?」「あの私、こういう映画撮るんですけど」って話をしたら、藤谷さんが「その映画知ってる!」って。「樋口(真嗣)さんが“生意気な監督がいるんだよ”って言ってたんだけど、あなたがその監督?」って言われて(笑)。その時点でお互いに運命みたいに感じちゃって、「一度脚本を読ませて」って言っていただいて、脚本を持っていって、それで決まったんです。

―― 短い話の中にいろいろな方が登場していますけど(笑)、そもそもサンプラザ中野くんさんや樋口真嗣監督とはどういうご縁で?

明菜:サンプラザさんは、私が「映画を撮る」って宣言した直後に、一番最初に決まったメンバーなんです。私は将来3D映画を撮ろうと思っていて、3Dに興味があったので、3D写真展というのに行ったんです。それが、NHKの方とサンプラザ中野さん主催だったんです(※4)。私はそれを全然知らなかったんですけど、私が観ながらうるさくしていたから、サンプラザさんが裏から出てきたんですよ。それですぐに「私、今度映画撮るんですけどエンディングテーマを歌ってくれませんか」って言ったんです。そしたら面白がってくださって、4月に社会人向けのプレゼンをしたときに呼んだら、来てくださったんです。そして、プレゼンが終わったら「面白いから、俺は歌を歌います」って言ってくださったんですよ。サンプラザさんはそのあともいろいろ応援してくださって、樋口さんは、そのあとでサンプラザさんやNHKの方から「樋口さんという面白い監督がいるけど会ってみる?」って紹介してくださったんです。

―― すごく人との出会いに恵まれていますね。

明菜:それはすごく思います。劇場公開の宣伝をやってくださっているアルゴピクチャーズさんともそうですし、ほんとに恵まれていますね。

  • ※4:2006年3月に開催された「3D Na」展。サンプラザ中野氏とNHK解説委員もつとめるアートディレクターの中谷日出氏によるアートユニット“Na”が中心となって開催された

「常に工夫をしよう、挑戦しようっていう雰囲気に持っていこうと思った」

―― 撮影に入ったのは?

明菜:2007年の4月です。発表会で「映画を撮ります」って言ってからちょうど1年目で入りました。それで撮影を25日間。現場は夢のように楽しかったんですよ。だから事前の準備がすべてだなって思ったくらい。現場は集中するだけだし、発揮するだけだったですね。もちろん「あれが間に合わない」とか「これがない」というようなトラブルはたくさん起こったんですけど、すごい勉強になりました。

―― 裕美さんから見て、現場でのお姉さんの監督ぶりはいかがでした?

裕美:「こんなこともできるんだなあ」とは思って(笑)。入る前は「どうしようどうしよう」とか言っていてすごく弱気だったくせに、入ったらすごく仕切っていて、貫禄のある感じで、すごいなあと思いました。

―― 現場で「監督としてこういうふうにしていよう」と意識していたことってありますか?

明菜:常に頭の中で「仕切らなきゃいけない」っていうのがありました。現場は素人の子が多いので、みんな迷っちゃうんですよ。だからここは私は確信を持とうと。だから自分で「どっちだろう?」と迷っていても「絶対こっちです」って言い切ったし、とにかく声を大きくしようと思っていたんですね。現場に覇気が欲しかったんですよ。だから「いいよね」とか、ひたすら叫んでいました(笑)。

裕美:大袈裟に褒めるんだよね(笑)。

明菜:美術チームにも「あそこにこれがあったほうが良くない?」とか、常に工夫をしよう、挑戦しようっていう雰囲気に持っていこうと思っていたんです。「これでいいや」とか「想像を越えちゃったな」って思ったときもあったんですけど、そういうときも「もっとできないかな」と、現場を追い立てようとは思っていました。

―― 今回のスタッフの中にベテランの方というのは?

作品スチール

『今日という日が最後なら、』より。柳裕美さんが演じる舞子(左)と、森口彩乃さんが演じる聖子(右)

明菜:録音と照明と撮影さんと、3人いらっしゃいました。やっぱり、技術的なものは一番大事なので、ベテランの人にやっていただいたんです。もう、毎日助けられていましたね。私は映画作りのルールみたいなものが全然わからないので、照明と撮影の方は疑問に思うこともあったらしいんですけど、録音の方が「今回はこの子のいうことを聞こう、やりたいようにやらせてあげよう」と言ってまとめてくださっていたんです。「監督はとにかく堂々としろ」と教えてもらいましたし。もちろん、世界観作りはお三方に助けられました。私は夢だけ大きいじゃないですか。だから「ここに影が欲しいな」というとみなさんで作ってくださったりとか。

裕美:すごい頑固なんだよね、明菜ちゃんは(笑)。

明菜:すごく頑固だったんですよ。だから、ベテランの方が作りこんだものに「ここはもっと」とか言っていたので、スタッフの方はすごく疲れたと思うんですけど、ちゃんと応えてくださっていたんです。

―― 頭の中にあるイメージをスタッフの方たちに伝えるときは、どんなやり方をしていたんですか?

明菜:写真集を使いました。特にデヴィッド・ハミルトン(※5)の写真を見せて「このシーンはこういうイメージ」ってやっていたんです。その写真が少女が草原に横たわっているようなのだからわかりにくかったかもしれないんですけど(笑)。でも、そのおかげでみんなが統一感を持ったと思うんですよ。衣裳もハミルトンに影響された衣裳に仕上がったし、小道具の使い方も。あとカメラマンさんは、(レンズの前に)パンストを貼ったりして、ソフトフォーカスを出そうとしてくださったんです。

―― 裕美さんは初めて演技をやってみての感想は?

裕美:最初のホン読みのときは恥ずかしくて緊張したし、自分の演技も嫌だったんです。でも、制作の段階から姉と一緒に入っていたので、スタッフの人たちとは仲良くなっていたり、役者さんとも交わる機会が多くて、撮影に入ったときは、みんなと顔見知りになっていてその中でできたので、リラックスしてすごく楽しくやれたんです。ただ、私はアドリブがすごい苦手で、そこだけ恥ずかしくなっちゃうんですよ。一から十まで決めてもらったらなりきれるんですけど「じゃあここではしゃいで」とか「遊んで」とか言われると、そこはシャイになっちゃって、それが苦しかったのを覚えています。

明菜:「ここで花を渡して、手をこうやって、バック転して」とか言うとできるんだけど「舞子らしくはしゃいで」とか言うと素に戻っちゃうんだよね。

裕美:恥ずかしがるのね(笑)。

―― 周りの俳優さんと共演しての印象はいかがでした?

裕美:彩乃ちゃんは「双子だから共通の癖を付けようよ」とか、いろいろ遊び心がありました。本多章一くんはけっこうボソッとアドバイスをくれるんですよ(笑)。藤谷さんも仲良くしてくれたし、ベテランの方からみんなアドバイスを貰いました。

  • ※5:イギリス出身の写真家。対象をソフトフォーカスでとらえた作品で知られる。映画監督としても5本の作品を手がけている

「この映画を通じて、自分が変われば世界が変わるんだって気付いた」

―― 映画を拝見して、最近の映画っぽくない映画だなと思いました。

明菜:ああ、それは私、いろんな方から3回くらい言われたんですよ、「最近ない映画だね」って。言われたときもどういう意味かは聞かなかったんですけど、どういう意味なんですかね(笑)。

―― 具体的にどの作品に似ているということではないんですけど、自分が昔観て、好きだった作品に近い雰囲気を感じたんですよ。

明菜:作り方かもしれないですね。感想として「ツッコミどころがいっぱいある」って一番言われるんです。褒め言葉として「直すところはいっぱいあるけれど、そういうのを吹き飛ばす雰囲気がある」って言われるんですね。それはたぶん、すべてのスタッフが役割はほとんど決まっていなくて、あれもこれもやらなきゃならない中で、この映画を良くするためにはどうしようって考えながら、合宿状態で雑魚寝しながら、でも楽しく、みんなで笑ったり泣いたりしながら作っていた雰囲気が、そのまま映画に乗り移っているんじゃないかと私は思っていて、映画としてのクオリティよりは、楽しかった雰囲気とかエネルギーが入っているからじゃないかと思っているんです。

―― 「こういう映画にしよう」という目指した作品があるわけではなかったんですか?

明菜:私は映画を観ないんですね。本も読まないし。でも唯一、好きなのが宮崎駿さんの映画で、『天空の城ラピュタ』とか『魔女の宅急便』とか『となりのトトロ』とか。だから『トトロ』の田舎に行ったような感覚を八丈で出したいなとは思っていました。あとはファンタジーにしたいと思っていたので、とにかく「これは現実っぽく書いているけどファンタジーだよ」ってことをスタッフに言っていました。

―― ファンタジーというのはすごく感じました。作品の世界をうまく現実から少しずらしているなって。

作品スチール

『今日という日が最後なら、』より。柳裕美さんが演じる舞子(左)と、森口彩乃さんが演じる聖子(右)

明菜:考え方としては、たとえば「舞子が病気だけど、それがなんの病気なのかはどうでもいいんだよ」ってことをみんなに言っていたんです。どういう治療をしてとか、そういうディティールを排除したっていうのはありますね。それから、ヴィジュアル的な面白さにはすごいこだわったつもりで「ここに花が咲くわけないじゃん」って思うような場所でも、花は画面に欠かさないようにしたんです。あと、リフレクション(反射)は切って欲しくなかったので「リフレクションは入れてください」とはずっとカメラマンの方に言っていて。それが現実からずらすってことになったのかは、自分ではちょっとわからないんですけど。

裕美:でも、自分がけっこう現実とずれているから、それがそのまま映画になったんじゃない?(笑) 昔から自分の中に世界を持っているんですね。考え方もけっこう変わっていて、見ていると「たぶんなんか世界があるんだろうな」って思うんですよ。それを出したんじゃないかな。

―― もうひとつ感じたのは、主人公のふたりが、むしろ男性の描く少女像に近いように思えたんです。女性である柳監督がそういう少女像を描くのは面白いなって。

明菜:とにかくピュアにはしたかったんです。今の時代の20歳はこんなガキじゃないだろって思われるかもしれないけど、とにかく夢を持ち続けていて、だけど大人になってその夢が壊れかける年頃として描きたかったんですね。だから、いまの世の中にあわせたら15歳くらいなのかもしれないですね。そういう20代だけど少女っていうのは描きたかったのと、聖子は『ラピュタ』に出てくるシータのイメージだったんです。それは森口彩乃ちゃんにも言ったと思います。少女趣味的な映画って言われることはよくあるんですけど、女性って誰しもこういう部分を持っているんですよね。特に姉妹の間だと子供のころと同じような関係に戻ることってあるし。だから私の中ではリアルなものとしてあるんです。

―― 今回は劇中の音楽も手がけられていますが?

明菜:最初に始まったときに、音楽を作ってもらう予算があるかどうかわからなかったんです。そのときに、まず自分が世界観を表現しようと思ったんですね。頼むときにもイメージを伝えなくちゃならないし、最悪、自分で作らなくちゃならないんだっていうのがあったんです。私は音楽的才能はまったくなくて、音楽もまったく聞かないんです。でも、八丈に飛行機で着いた瞬間に、すごく音楽が聴こえてきて、鼻歌が歌いたくなったんですね。ほんとに八丈に行ってから曲が浮かび始めて、脚本を書いているときも妹に「船が島に着くときはね“パーパーパー♪”ってなって」とか口で説明してたんで、それをそのまま録って、ちゃんと曲にしてもらった感じです。

―― エンディングの「Ippozutsu」は柳監督が作った歌をサンプラザさんが歌っていらっしゃいますね。

明菜:ものすごく感動しましたよ。まさか自分が作った曲がああいうふうに完成して、サンプラザさんが歌ってくれるとは思わないじゃないですか。あの曲はエンディングにしようと考えて作ったんじゃなくて、映画が始まって作った1曲目に近いんです。最初は、エンディングはサンプラザさんに曲を作ってもらうか、八丈島のお祭のところで流れる曲にも歌詞が付いているので、それを歌ってもらいたいと思っていたんです。そしたら、サンプラザさんが「あの曲はいい曲だから歌いたい」って言ってくださったんですよ。サンプラザさんも途中からこの映画にすごく巻き込まれていて「この映画に影響は受けた」と言ってくださっているんです。すごく嬉しかったですね。

―― では、最後に『今日という日が最後なら、』をご覧になる方へのメッセージをお願いします。

明菜:まずは純粋に楽しんでもらいたいというのがあるんですけど、この映画はほんとになにも知らなかった子たちと島の人たちが一致団結して作った映画で、「一歩踏み出すと人ってなんでもできるんだ」ということをメッセージとして出しているつもりなので、映画を観て「私もなにかやってみよう」と思ったり「いまやりたいことをやってみよう」と思ってもらえたら嬉しいです。そして、八丈島の大自然、日本が持っている美しさや文化的素晴しさというものを体験して「日本って素晴しいな」って実感してもらえたらと思います。

裕美:「一歩踏み出すと世界が変わる」というのは、私は身を持って感じたひとりなんです。ほんとに自分はこの映画を通じて変わったと思うし、自分が変われば世界が変わるんだって気付いたんです。昔は私もネガティブで、世界は変わらないとか思っていたんですけど、そう思っている人に観てもらえて「自分が変われば」って思ってもらえたらと思います。

―― 監督も、この映画でご自分が変わったという感覚はありますか?

明菜:別世界になりました(笑)。やっぱり常にどこかで「夢なんて見ちゃいけないんじゃないか」とか「この社会はこういうルールのもとで動いているんだから、ルールに従わなくちゃいけないんじゃないか」とか思っていたし、映画を作るときも最初は「無理だ」っていっぱい言われたんです。でも、そう言われていたことをやったってことは、社会で無理だって言われていることは無理じゃないんだって自信ができたし、やりきったということが自分に勇気をくれたんです。あと、この映画からはたくさん感謝の気持ちを貰いましたね。ほんとに感謝してもしきれないんです。それを意識しはじめると、次になにかを始めるときとか、誰かと会うときにうまくいくんだってことを実感して感じていて、やりたいと思ったことは挑戦しなくっちゃって思うんです。生きるモチベーションが変わりましたね。

(2008年6月26日/アルゴピクチャーズにて収録)

作品スチール

今日という日が最後なら、

  • 監督:柳明菜
  • 出演:森口彩乃 柳裕美 本多章一 藤谷文子 ほか

2008年6月28日(土)よりシネマート六本木にて公開

『今日という日が最後なら、』の詳しい作品情報はこちら!

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