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『オードリー』『See You』勝又悠監督インタビュー

勝又悠監督写真 高校生活最後の文化祭が近づく中、親友の頼みで本心を隠したまま片想いの相手と“期間限定”でつきあうことになった女子高生・優子が主人公の『オードリー』。
 偶然見かけた制服の女子高生を衝動的に拉致してしまった男・昌一と、拉致された女子高生・愛の数日間にわたる奇妙な“旅”を描いた『See You』。
 2011年公開の劇場デビュー作『はい!もしもし、大塚薬局ですが』で高い評価を得た勝又悠監督がメガホンをとった“女子高生”映画が、2本同時に公開となります。
 甘酸っぱさに包まれた『オードリー』と、痛みを与える棘を持ったような『See You』と、それぞれ違うタッチで描かれた2作品ですが、そこには共通した“切なさ”も漂っています。
 新世代の青春映画の旗手として注目される勝又監督は、制服の女子高生になにを見て、なにを託すのか。お話をうかがいました。

勝又悠(かつまた・ゆう)監督プロフィール

1981年生まれ、神奈川県出身。専門学校卒業後、映像制作会社勤務を経てSTROBO RUSHを設立。以降、ティーンネイジャーを主人公にした映画を作り続け、国内外の数多くの映画祭で高い評価を得る。2008年に『夏音風鈴』で東京ネットムービーフェスティバルひかりTV賞を受賞し、同フェスティバル特別支援作品として製作された『はい!もしもし、大塚薬局ですが』が2011年に一般公開された。
最近作はインディペンデント映画祭「映画太郎EXTRA2012 feat.田辺弁慶映画祭」で上映された『It's a small world』『制服哲学』。

「映画の女の子たちがリアルかと言ったら、全然リアルではないと思うんです」

―― まず『オードリー』を作られた動機からお聞かせいただけるでしょうか?

勝又:『オードリー』に関しては「これを撮らなければ今後生きていけないな」くらいの強いものがあったんです。それは『See You』も同じなんですけど、特に『オードリー』のほうは強かったですね。実は『オードリー』は、前作の『はい!もしもし、大塚薬局ですが』とほぼ同時期に準備をしていたんです。それで『大塚薬局』は、ひとりでも多くの人に届けたいというのがあって、いやらしい言い方になりますけど、けっこう計算をしていたんですね。自分のやりたいことを我慢していたところもあったので「『大塚薬局』でできなかったことを『オードリー』でやろう」というのはすごく思っていました。だから『オードリー』に関しては計算を一切していないというか、右脳で撮っているんですよ。正直、完成するまではお客さんのことも考えていなかったし「こんなに好き勝手やっていいのかな」という感じでしたね。

―― 『オードリー』は文化祭の時期の高校が舞台ですね。文化祭を題材に選んだ理由というのは?

勝又:映画を撮りはじめたころから文化祭の映画は撮りたかったんです。だから10年くらいずっと撮りたくて撮りたくてしょうがなかったんですけど、なかなかタイミングがなくて、やっと『大塚薬局』を撮ったあとに「いまかな」と。なるべく自分の意見がとおりやすい環境で撮りたいというのがあったので。

―― 文化祭に加えて、片想いとか期間限定の恋愛といったアイディアは、どのように思いつかれたのでしょうか?

勝又:ぼくもね、正直わからないんですよ(笑)。(脚本を)書き終わったらいつの間にかこういう話になっていたという感じで。まず、フォークダンスをやりたかったんですよ。文化祭で、フォークダンスがあって……最初から頭にあったのはそれぐらいですね。それで、フォークダンスをするときにすごく滑稽な格好をさせようというのは最初からあったんです。ロマンティックなシチュエーションなんだけど見方によってはツッコミどころ満載みたいなものにしたかったんです。それは、一種の照れ隠しなのかもしれないんですけど。

―― 監督ご自身の経験というのはこのストーリーの中に入っているのでしょうか?

勝又:もうね、これは願望ばっかりです(笑)。「女の子はこうあってほしい」という。女の子が自転車に乗るシーンがあるんですけど、そのハンドルがヤンキーがよくやるような“鬼ハンドル”なんですね。そういう自転車に乗る子であってほしいとか、夜中に学校に忍び込んで屋上でワイワイやっていてほしいとか、ちょっと乱暴な言葉遣いで話していてほしいとか、願望ばっかりなんですよね。だから、あの子たちがほんとにリアルかって言ったら、全然リアルではないと思うんですよ。

―― 主人公の女の子が男の子に告白するときに、ふざけた感じで行くのが「いまの子はこういうのが自然な感じかもしれないな」と思いました。ああいう描写はどういうふうに生まれたのでしょうか?

勝又:あれが一番しっくり来たんですよね。脚本の段階だとは思うんですけど、女子高生の告白のパターンを何個か考えたときに、ぼくの中ではあれが一番しっくり来たんです。ああいう、ふざけ半分と見せかけて半分マジみたいな。

―― 実際にいまの高校生に取材されたりはしているのでしょうか? あるいはそれとなく観察するとか(笑)。

勝又:いや、そういうのはまったくないんですよ。取材したりもないし、女子高生を観察してると捕まっちゃいますからね(笑)。リサーチ的なことはしていないですね。

―― セリフなどをキャストの方々にお任せしたところはあるのでしょうか?

勝又:それはすごくよく聞かれるんですけど、実はほとんど脚本なんですよ。現場では「これさえ言ってくれれば、あとは自分の好きなように喋っていいよ」とは言ったんですけど、ほとんど脚本どおりですね。何回もテストを繰り返して、すごく時間をかけてやっていました。それはセリフだけじゃなくて、動きもそうです。

―― それはちょっと意外でした。細かな会話とか、あるいはカバンの持ち方のようなディティールにすごくリアリティを感じるので、リサーチをされたり、その世代の俳優さんの意見を入れたところもあるのかなと思っていたんです。

『オードリー』スチール

『オードリー』より、カバンを腕に引っ掛けるように持つ優子(右)。

勝又:カバンの持ち方にはすごくこだわっているんですよ。ほかの持ち方をしたら、どんなに芝居よくてもダメにします。ここ(上腕の辺り)で持ってほしいんですよね。でも、これってぼくらが高校生のときもこういう持ち方だったんですよね。なので、着こなしとかは、風化したりするとは思うんですけど、根本的なところは一切変わっていないというのがあるんですよね。会話にしても、決して女子高生に特化した会話になっているわけではないと思うんですよ。ぼくら自身も映画の中で女子高生がしているような会話をすることもあるわけですよね。それを女子高生バージョンに置き換えてるだけだと思うんです。やってることにしても、喋っていることにしても、ぼくの自分の感覚でやっているんですよね。それは、ぼくの頭の中が高校生のときから成長していないからかもしれないですけど(笑)。

―― そういう描写にリアリティがある一方で、文化祭の準備中にしては校内に人が少なかったり、現実の高校生活というよりは“誰かの記憶の中の文化祭”みたいな、ちょっとファンタジックな印象もありました。

勝又:ファンタジックと意図してはいなかったんですよね。むしろ対極の方向にあると思っていたんですけど、初めて人に見せたときとか、PFFで上映したとき(※ぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2011で上映)とかに、みんなから言われて「そうなんだ」という感じだったんです。やっぱり、自分が見たかった風景を詰め込んだ感はあるんです。なので、そういう「校内に人が少ない」というところとかは、この撮影においてはまったく気にならなかったんです。普通はそういうところは気にしなきゃいけないし、現場でも、ぼく以外は誰しもが「人が少ない」と思っていたんでしょうけど、実は、ぼくは現場では気がつかなかったんです。

―― エンディングではSay a Little Prayerの「深愛」が使われていますが、これはちょうど監督は高校生のころの曲ですよね?

勝又:そうです。ぼくが高校2年のときですね(1998年)。もう、ごった煮ですね(笑)。鍋の中に自分が好きなものだけを入れて煮込んだというか、後悔のないものを撮りたいというのがあったんです。後になって「やっぱりあの曲を使っておけばよかったな」とか思わないように、自分がすべて納得できるものというのは思っていました。

「ハイソックスは、制服を脱いだときに唯一、体に残る跡なんです」

―― 次に、『See You』はどういう動機で撮られたのでしょうか?

勝又:やっぱり『オードリー』のときもそうだったんですけど「これが撮れたら死んでもいいな」と思っていましたね(笑)。もう、自分の中で蓄積されたものが吐き出さないとどうしようもない段階まで来てしまっていたんです。「これを映画にしたい」と思っていて、自分の中ではバンバンバンと画が全部浮かんでいたんですね。それで撮影に至ったんですけど、突発的に撮ったので準備が2週間くらいしかなくて、キャストとスタッフを強引に集めて、強引に合宿して撮ったみたいな感じでした。

―― 『オードリー』と明確に違う部分として、大人の男から見た女子高生という視点がありますね。

勝又:いままではニュアンスで言ったら、女子高生の輪があったとしたら、ぼくがその中にいて撮っていたような感じなんですよね。『See You』に関しては、女子高生の輪があったら、ちょっと離れたところからそれを見ているという感覚で撮ったんです。一般には理解できないようなことを正々堂々と言う男の人と、それに対して根本から理解できない女性がいたときに、果たしてどういう会話をするのか、どうやって距離を縮めていくのかって考えたんですね。その過程で生まれることを撮りたかったんです。

―― その男というのが、あらすじなどを見ると女子高生の制服に執着しているような、いかにも異常な人を想像するのですが、実際に園部貴一さんが演じた昌一という人物は、あくまで“普通の青年”として描かれていますね。

勝又:「いかにもな感じ」は絶対に排除しようと思っていたんです。いかにもな人ほどピュアだし、普通な人ほど狂気にあふれていると思うんですよ。その、普通の人に見え隠れするものが一番の核と言うか。やっぱり、園部さんってパッと見て男前だし、優しそうに見えると思うんですけど、そこのギャップですよね。いかに裏切るかが重要だと思っていました。

―― そして『See You』では、女子高生の、特に“制服”が重要なものとして描かれていますが、なぜこれほど制服に視点を注がれたのでしょうか?

『See You』スチール

『See You』より、制服姿で旅を続ける愛。

勝又:これはきっかけがあって、ぼくが渋谷を歩いてたら、女子高生が前を歩いていたんですよ。ブレザーじゃなくてセーラー服の女子高生だったんですけど、そのセーラー服の襟がめくれていて、そのままでスクランブル交差点の向こうから人が歩いてくる中をガーって逆行して歩いていったんですよ。その姿がものすごくカッコよくて、ほんとに涙が出るくらいだったんです。もう「これはすごいや!」って。ぼくの中では「制服は戦闘服である」という持論があるんですけど、その姿がそれにすごくマッチしたんですよね。私服だらけの若者たちや、サラリーマンとか制服を着ていない人たちに向かって、ヨレヨレの制服のまま突っ込んでいく姿が。そういう映画を撮りたいと思ったんです。「制服を着ているから、この子は認められる」というのが大きなテーマであって、それを撮りたかったんです。

―― 映画の中では、ハイソックスを上げるという動作が執拗なほどに描かれていますよね。あのハイソックスへのこだわりの理由というのは?

勝又:唯一、体に残る跡なんですよ。制服っていうのは脱いだらなにも残らないんですけど、ハイソックスだけは跡が残ってしまうんですよね。それは「今日も1日闘いました、ご苦労様です」というか、その跡が戦闘服を脱いだ女子の戦闘の証だと思うんですよ。ぼくらなんかは、体に残るものがなにもないんですよ、もう闘っていないので。それにもかかわらず、16歳、17歳、18歳の女子高生や、中学生が、体に跡を刻みながら日々歩いていくのはすごいことだなって。

―― その感覚というのは、いわゆる制服に対するフェティシズムとは、また違う視点なんですよね。

勝又:そうですね。よく「結局、女子高生が好きなんでしょ?」って言われるんですけど、別にぼくは生身の女子高生にはそんなに興味ないんですよ。制服だけが自分の中で引っかかっているんです。勝てないですよね、制服には。

―― 決して、制服の向こうに肉体を見ているわけではないんですよね。

勝又:そうなんです。

―― 『See You』でも『オードリー』でも、主人公の女の子って、期限が決まっている状態に置かれていますよね。監督は制服に“期限が決まってる女の子”を見ているのかなと思いました。

勝又:そうですね。「失って気がつく」ではなくて「気がつきながら失っていく」んですよね。「いつか制服を着られなくなる」ということを登場人物はわかっているんです。それをわかりつつ日々を消耗していくという感覚があって、そこに生まれる刹那みたいなものを常に意識しています。

―― 映画の終盤は、特にその感覚が強く出ていますね。ラストはかなり衝撃的だとも感じました。

勝又:もう、ラストはぼくの中での答えなんですよね。「女子高生が拉致されて、その犯人と恋に落ちる」というロマンティックな映画だと見られたくなかったんです。単なるラブストーリーで終わりたくなかったんです。『See You』で描いているのって、愛にとっての修学旅行だったんですよ。修学旅行って、その間だから同級生がカッコよく見えたりとか、かわいく見えたりすることがあると思うんですよね。修学旅行中だからこそ輝いていて、それが終わった瞬間に「そういうのどうでもいいし」みたいになることってありますよね。そういう感覚を思い出しているようなところはありますね。「夢から醒める」みたいな。

「ダークサイドと輝きに満ちたサイドと、常に両方持っていたい」

―― いまお話にあった『See You』の“修学旅行”と『オードリー』の文化祭とは、似ているところがありますね。

勝又:そうですね。どっちもイベントごとというか、やっぱり学生時代にしか体験できないことですね。

―― そういう点では2作は共通する部分のある作品だと思うのですが、描き方はずいぶん違っていますよね。製作の時期も違っているのでしょうか?

勝又:いや、そんなには離れていないですね。『オードリー』が2009年の11月で『See You』が2010年の10月なんで、ちょうど1年くらいですね。

―― この2作品の描き方の違いというのは、その1年間で変化した部分なんでしょうか? それとも、ふり幅というか、監督の中にもともとあるバリエーションなんでしょうか?

勝又:うーん……。作る前から、まず『大塚薬局』が公開になって、次に『オードリー』が来て『See You』が来て、というヴィジョンは自分の中では描いていて、3作をまったく違うものにしたかったんですよ。映画を観た人に「この監督はこれしかできないんだな」と思われたくなかったというか。それで、自分の中では『オードリー』が、ある種の極みというか「これ以上は無理だ」という“出し切った感”がすごくあったんですね。だから『See You』に関しては違うアプローチをしたいと思っていて、こういうかたちになったんですね。

―― では、今後また『オードリー』のような、甘酸っぱい系の作品を作られる可能性もあるのでしょうか?

勝又悠監督写真"

勝又:可能性はありますね。むしろ、そっちのほうがやりたいです(笑)。

―― 逆に『See You』の路線をもっと突きつめていくような可能性というのはどうでしょうか?(笑)

勝又:それはそれであるんですよね(笑)。やっぱり、ダークサイドと別の輝きに満ちたサイドと、常に両方の武器を持っていたいなというのはありますね。

―― 監督は『はい!もしもし、大塚薬局ですが」の初日舞台あいさつで「ぼくは高校時代に置いてきたものがたくさんありまして、いま必死で取りに帰っているようなつもりです」というお話をされていましたが、その後、何作か作品を作られて「置いてきたもの」はどれくらい取り戻せているのでしょうか?

勝又:いや、まだ全然残っていますね(笑)。教室のロッカーなり、机の中にいろいろな忘れ物があって、まだ必死で探している段階です。

―― その監督の「置いてきたもの」というのは、いわゆるノスタルジィというか「こういう青春を送りたかった」みたいなものとは違うものなのでしょうか?

勝又:難しいんですよね。なんていうか……言わなかったことや、やらずに我慢したりして大人になってしまったものが、たくさんあるんです。いまの理想ではなくて当時の理想というか「あのとき、ほんとはこうしたかった」ということですね。

―― やはり、今後もそれを取りに戻られると。

勝又:そうですね、常にそう考えています。

―― 今後、どんなやり方で取りに戻られるのか、差し支えのないものがあれば教えてください。

勝又:長編で準備しているのが、中学生たちの世直しの映画なんです。それもこれまでとは若干タッチが違うんですけど、子供が大人を苦しめていくんですよ。ぼくは大人と子供がいたら子供に勝ってほしいというのが常にあって、実際、子供のほうが全然上だなって思っているんですよ。やっぱり、ぼくらは10代の男の子にも女の子にも勝てないんですよ。そういう考えがあるので、少年少女が主流になる作品を準備しています。

(2012年5月24日/キュリオスコープにて収録)

作品スチール

オードリー

  • 監督:勝又悠
  • 出演:笠原美香 梶原ひかり 暮浩平 ほか

2012年6月9日(土)より新宿K's cinema、小田原コロナワールドにて公開

『オードリー』の詳しい作品情報はこちら!

作品スチール

See You

  • 監督:勝又悠
  • 出演:園部貴一 清瀬やえこ ほか

2012年6月9日(土)より新宿K's cinema、小田原コロナワールドにて公開(K's cinemaでの上映は6月16日(土)より)

『See You』の詳しい作品情報はこちら!

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