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『赤々煉恋』小中和哉監督インタビュー

小中和哉監督写真 今日も女子高生の樹里は街をさまよう。行き交う人は誰ひとり彼女に目を留めることはない。樹里は、この世の存在ではないから。そして樹里は、人に取り憑いて死に誘う、不気味な“虫男”の姿を見る――。
 多くのSF・ファンタジー作品を手がけてきた小中和哉監督の最新作『赤々煉恋』(せきせきれんれん)は、幽霊となった少女を主人公にしたダーク・ファンタジー。直木賞作家・朱川湊人さんの短編小説「アタシの、いちばん、ほしいもの」(短編集「赤々煉恋」所収)を原作に、ドラマ「鈴木先生」などで注目される若手女優・土屋太鳳さんを主演に迎え、自ら命を絶った少女の視点で、彼女が見る“世界”を描いていきます。
 『赤々煉恋』は、自殺という重いテーマを真摯に扱いつつ、同時に高いエンターテイメント性を持った作品として完成しています。さらに『赤々煉恋』は、映画製作を取り巻く状況が大きく変化している現状に向けて、小中監督が提示するひとつの回答にもなっています。
 自主映画時代からファンタジーを描いてきた小中監督が、いま『赤々煉恋』を通じて伝えようとしていることとは?

小中和哉(こなか・かずや)監督プロフィール

1963年三重県生まれ、東京都出身。少年時代より8ミリカメラで映画製作を始め、成蹊高校映画研究会時代には自主映画界で注目を集める。立教大学卒業後の1986年に『星空のむこうの国』で劇場作品デビュー。その後、SF・ファンタジー作品を中心に、多くの劇場用映画、オリジナルビデオ作品、テレビドラマを手がける。1997年の劇場用作品『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』以降「ウルトラ」シリーズをテレビシリーズ・劇場版の双方で多数手がけている。
劇場公開作品に『四月怪談』(1988年)『くまちゃん』(1993年)『なぞの転校生』(1998年)『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(2006年)『東京少女』(2008年)『七瀬ふたたび』(2010年)『ぼくが処刑される未来』(2013年)など多数。

「いま自分が描きたいのはこの世界なのかなと思った」

―― 今回の『赤々煉恋』は、メッセージ性を強く持った作品だと感じました。そういう作品を作られた動機から聞かせてください。

小中:原作の「アタシの、いちばん、ほしいもの」を読んだときに『四月怪談』(※1)と同じテーマだと思ったんですよ。話の構造はまったく同じで「主人公が死んで初めて生きることの大切さに気づく」というメッセージも同じなんですよね。それで『四月怪談』は、ある種のハッピーエンドで丸く収まる話ではあるんですけど「アタシの、いちばん、ほしいもの」はだいぶ辛口の話というか痛みのある話になっていて、それがいまの自分にはあっているかなと思ったんです。だから、メッセージ性というより、いま自分が描きたいのはこの世界なのかなと思って、映画にしようと思ったんですよね。

―― 朱川湊人さんの原作を読まれたのは、テレビシリーズの「ウルトラマンメビウス」(※2)がきっかけですか?

小中:そうですね、朱川さんと仕事をしてから、朱川さんの小説をいろいろ読んでいく中で行きあたったというかたちですね。

―― 「アタシの、いちばん、ほしいもの」に惹かれたのは、どういう部分だったんでしょうか?

『赤々煉恋』スチール

『赤々煉恋』より。土屋太鳳さん演じる主人公・樹里は誰にも気づかれることなく街をさまよう……

小中:『四月怪談』のときも大島弓子さんの漫画を読んで惹かれたのは、映像にしたら面白いというのがあったんです。幽霊だからみんなからは見えないんだけれど、実際の撮影ではそこに役者が普通にいるのをみんなが見えない振りをして演じるという、ある種、演劇的なお約束の世界だし、映像ならばさらにいろいろトリックも入れられるので「そこにいるのにいない」という不思議な感覚を映画ならではの手法でドラマにしたいなというのがあったんです。「アタシの、いちばん、ほしいもの」も、まさにそういう話で、もう1回こういう世界をやってみたいなと思ったのと、誰にも見えない存在がずっと街をさまよっていくというのが『ベルリン 天使の詩』(1987年・西独,仏/ヴィム・ヴェンダース監督)みたいな映画になるのかなと思ったんです。それからある意味では『シックス・センス』(1999年・米/M・ナイト・シャマラン監督)的な話でもあるし、映画のネタとして惹かれるものがあったんですよね。

―― 朱川湊人さんと監督は年代もご一緒ですが、そういう部分で作品に共感するところはありますか?

小中:同学年なんですよね。やっぱり同じものを観て育った感じはありますね。「ウルトラ」に強烈に影響を受けているし、ウルトラファンの中にもいろいろいるんだけど、似たウルトラファンだったと思うんです。朱川さんは「ウルトラ」を通して自分の小説の指向性を濃厚に決めていったと思うし、ぼくもSFやファンタジーを通して人間の心を描くという「ウルトラ」がやっていたことをいまもずっとやっているんですよね。朱川さんとぼくはそれ以外にも「怪獣好き」とかの共通点もあるんですけど、いまの仕事にダイレクトにつながっているのは「ウルトラ」と、それから「少年ドラマシリーズ」だと思うんです。「ウルトラマンメビウス」でやった2本のうちの1本(40話「ひとりの楽園」)はややダークなファンタジーで、そういうところは朱川さんとすごくシンクロしたというか、朱川さんのシナリオをすんなりと自分の作品として撮れたところがあって、それで小説を読んでいくと、同じ指向だったんだとわかってきたんです。

―― 今回はかなり原作に忠実な映像化ですが、もちろん変更点もありますよね。映像化する上でなにを変えてなにを変えないかは、どのように考えられたのでしょうか?

小中:最初に原作を読んだときに、ラストは面白くていい展開なんだけど、つらすぎてこのまま映画にはできないと思ったんですよ。原作はわりとバッドエンド系の、短編小説としての切れのいい終わり方をしているんだけど、あまりにもバッサリ切り捨てる感じなので、やっぱり『四月怪談』のようにポジティブな終わり方にしたいというか、主人公の樹里やほかの登場人物たちを救ってあげたいという考えがあって、そういう終わり方をするプロットを書いたんです。ただ、それを朱川さんに読んでもらったら、そういう終わり方にすると自殺した人を救うことになって、ある意味で「自殺しても救われる」という話になってしまうので、それはいかがなものかという意見をもらったんです。それで、朱川さんが小説を書くときに考えていたアナザーエンディングというか、ページ数などの条件があって実現しなかったラストがあって、それをもとにしてポジティブなかたちで終わるような終わり方を考えたんですよ。その終わり方で脚本にして、撮影のけっこう直前まではそれで行こうと思っていたんですけど、最終的にさらにまた変えたという経緯はあったんです。

―― 最後にまた変えたというのは、どんな理由があったのでしょうか?

小中:それはですね、自殺を描く以上いろいろリサーチをして、親族を自殺で亡くされた方々のケアの会の取材なども進めていくと、まだ日本では「自殺する奴は心が弱い」みたいな偏見も強くて遺族の方がつらい想いをしているということがわかってきて、そういう現実を知っていく中で、フィクションで自殺を描くのは重いことで、映画のネタにしていいんだろうかみたいなところまで一度悩みはじめたんですよ。でも、自殺は特別なものではなくて自分の周囲にも起こるかもしれないんだと身近に感じてもらう方法として、ファンタジーというのはいいんじゃないかと思ったんです。原作で、どんな人でも“虫男”という存在に取り憑かれると死を選んでしまうと描かれているのは、自殺が誰の身の上にも起こりうるというのをわかりやすく表現しているし、実際に未遂で生還された方に聞くと自殺しようとする直前の記憶がないみたいな話もあって、自殺するときは死という選択しか目に入らなくて普段とは違う精神状態になっているということがわかっているらしいんですね。「虫男に取り憑かれる」というのはまさにその状態を表現していて、メタファーではあるけれど、誰もがそうなる可能性があって、その状態をどう振り払っていけばいいのかということを感じてもらえれば、ファンタジーとして描く意味があるんじゃないかと思ったんです。
 ただ、そこまで煮詰めて考えていったときに、その時点で考えていた終わり方が本当にこの話の結末にふさわしいのだろうかと思いはじめたんです。それでいろいろ考えていく中で、今回は原作ではほとんど描かれていない樹里のお母さんの心理状態とか、いろいろと原作にはない要素を足しているんですけど、樹里とお母さんの関わりというのがドラマとして大事なんだと思ってきて、お母さんが樹里の自殺という事実をどう受け止めて前に進めるのか進めないのか、樹里もそういうお母さんの気持ちをどうわかってあげられるのか、それが描けたらいいんじゃないかと思ったんです。原作と大きく変えた終わり方にするのではなくて、原作と同じ流れではあるけれど、お母さんとの関わりの中で樹里がようやくお母さんの気持ちに気づく話になっていけば、それはある意味でポジティブな終わり方だし、救いになるんじゃないかってね。そういう救いの方法論が見つかったので、その方向で行こうと思ったんです。

  • ※1:大島弓子さんの同名漫画を原作にした、1988年公開の小中監督の劇場長編作品第2作。事故死したと思い込んで幽霊となった少女・初子が、先輩幽霊の弦之丞とともに街をさまよう中で、家族や友人の想いに触れていくストーリー。初子役は中嶋朋子さん、弦之丞役は柳葉敏郎さん。小中監督とともに脚本を手がけた関顕嗣さんは『赤々煉恋』ではプロデューサーをつとめている。
  • ※2:2006年から2007年に放送されたウルトラシリーズ16作品目となるテレビシリーズ。朱川湊人さんは3本の脚本を執筆し、うち39話「無敵のママ」と40話「ひとりの楽園」の2本を小中監督が監督した。

「普通の子こそ、抱えている闇というのを際立てて見せられるんじゃないか」

―― 原作との大きな違いとして、樹里の高校生活が描かれているというところがありますね。

小中:原作は自殺の理由を一切語らないところが潔い作品で、理由を語らないことで誰もが共感できるし想像できるという手法だったんだけど、逆に映画ではその理由を探していくミステリーの要素を作ったら面白いのかなという考え方をしていたんです。断片的にいろいろ高校時代が出てきながら、その中で樹里はなにがきっかけで死を選んだのかという理由がだんだん明らかになっていくみたいな構成を考えていったのと、原作にも同級生のミドリという役は登場しているので、それを転用しながら膨らませていったという感じですね。

―― そうやって樹里のいろいろな部分が出てくる分、樹里を演じた土屋太鳳さんにとっては難しい役だったのではないかと思うのですが、監督からご覧になって土屋さんの印象はいかがですか?

小中:これはほんとに主役のキャスティング次第の作品だと最初から思っていたので、土屋太鳳さんというのはベストキャストだったと思うんです。もともと『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』(2010年/アベユーイチ監督)のヒロインとして認識していたので「鈴木先生」(ドラマ版2011年・劇場版2013年)とか違う作品に出ているときにも「ああ、彼女だ」と思いながら注目していくうちに「ずいぶんいい女優さんになってきたな」というふうに見ていたんです。土屋さんは内面に強いものを持っていそうな雰囲気が濃厚な女優さんなんですよね。原作の樹里はもう少しささくれ立ったキャラクターとして描かれていて、土屋さんはまっすぐな子のイメージだったから原作とイコールではなかったんですけど、脚本を書いていくうちに、今回一緒に脚本を書いた山野井(彩心)さんが、原作とはちょっと違った視点で樹里像を作りあげてくれたところがあったんです。山野井さんは小林弘利さん(※3)の教え子なんですよ。弘利さんがシナリオ作家協会でシナリオ講座の講師をやったときに受講していた人で、弘利さんがやっていたドラマでデビューした、まだ20代の女性なんですけど、こういう話には女性ならではの視点が欲しかったので一緒に脚本を書いてもらったんです。それで山野井さんが、原作とは違ってわりといい子で、いい子だからこそ正義感が強くて、自分の理想像が高いゆえに自分のちょっとした行為が許せなくなるという樹里像のラインを作ってくれていて、それに土屋さんがハマってきたんですよね。

―― 映画の樹里の、いい子なんだけど、どこかで世界への違和感を抱えているみたいなところが、むしろリアルなのかなと感じました。

『赤々煉恋』スチール

『赤々煉恋』より。清水富美加さん演じる同級生のミドリ(左)と楽しい日々を送っていたはずの樹里だったが……

小中:そうだと思うんですよね。うちも娘がふたりいて、これを撮っているときには上の子は高3でほんとに樹里と同い年だったし、下の子は中3で、やっぱり自分の娘を見ていても両面あるというのがよくわかるんですよ。ただ、土屋さんと会うまでは、このキャラクターでいけるのか心配な部分はあったんです。原作とはだいぶ違うし、わかりやすく「自殺するような子」という感じでもなかったから、リアルタイムで高3だった土屋太鳳という子がこのシナリオを読んでどう解釈するんだろうかというのが重要だったんです。それで彼女に聞いたら「樹里のことはすごくわかる」と言ってくれたんです。土屋さんは学校でもダンス部で頑張っているようなすごくポジティブな子なんだけど、自分の中にもネガティブな気持ちは抱えているし、死に対しての近しい気持ちもあると言っていたんです。当然、ぼくも思春期の頃はそういう気持ちがあったから『四月怪談』は「思春期のころってこういう世界だった」というのを描こうとしていたんですよね。それで、改めて土屋さんの話を聞いて、普通の子こそ、そういう闇というのを際立てて見せられるんじゃないかというか、あまり樹里を特殊な子として描く必要はないんだという気がしたんです。

―― 映像面についてもお聞きしたいのですが、一見すると何気ないように見えて、実は変わった撮り方をされているのではないかと思いました。

小中:そうですね、今回はいままでの撮り方を1回捨ててみたんです。いままではコンテ主義で「こういうカット、こういうカット」と全部決めて、そのカットをこまごまと撮っていたんですけど、今回はわりとワンシーンワンカットで流しで撮って、いろいろなアングルから撮ったのを繋いでいくという、もちろんそうじゃないシーンもあるんだけど、基本的にはそういうドキュメンタリータッチの生々しい役者の息づかいみたいなものを映像にしたいと思っていて、それができたのは藍河兼一さんというキャメラマンの力なんですよ。今回はデジタル一眼のひじょうに被写界深度の浅いカメラを使っていて、実は映画のキャメラマンというのは助手がピントを送るシステムだから、ああいうカメラは使いこなせないんです。メジャーで距離を測って助手がピンを送るという普通の映画のやり方をしていると、ほんとに被写界深度が浅いから役者の体重移動でもピントが外れてきちゃうんですよね。だからキャメラマンが自分でずっとピントをアジャストしていかなきゃならないんです。スポーツ中継とか報道のキャメラマンはそういう訓練をしているけど、映画のキャメラマンというのは違う仕事だから、それができる人が少ないんですよね。それで、藍河さんはテレビの地方局のキャメラマンを経て『アディクトの優劣感』(2007年)という映画で監督デビューしたあとキャメラマンになったという、ちょっと変わった経歴の人で、テレビキャメラマンもやっていたから自分でピンが送れるんですよ。さらに、まだ30代で目がいいという。もう、ぼくらの年になると細かくピントを送るのは絶対に無理なんです(笑)。藍河さんは神田裕司(※4)が監督した『TOKYOてやんでぃ』のキャメラマンで、ぼくは『TOKYOてやんでぃ』のルックを見て「すごいな」と思って、神田くんに紹介してもらったんです。そういうキャメラマンがいると映画の撮り方も変わってきて、今回は少人数体勢のフットワークの軽い現場にしたかったというのもあって、ベースをまったく作らずに、キャメラにダイレクトに小さなモニターを繋いで、実景以外はほとんど手持ちで撮ったんで、藍河さんとぼくが役者の横にいて、藍河さんが役者の動きを観ながら臨機応変に動いていくという、ほんとにドキュメンタリーのような体勢で、いきなり「じゃ、本番」みたいに言えるという、そういう現場だったんですよ。

―― 樹里が高校の帰り道に同級生のミドリや潤也と3人並んで歩くところとかは、いわゆる普通の映画の照明とは違いますよね?

小中:あれは自然光だけで補助光ないと思いますね。今回は大半がそうです。照明の岩崎(豊)さんにも「普通にやる抑えのライトはあまりやらないほうがいいよね」という話をして、それを理解してやってくれているんです。たとえば夜のシーンなんかでも、普通の映画の照明みたいにキーライトがあって抑えがあってみたいにワンカットごとに照明を組むんじゃなくて、団地のシーンだったらその団地の2階とかから広い範囲で当てているんです。さすがにナイターだと自然光だけだと暗いので、その場所全体を明るくするという、そういう照明をしているんです。

  • ※3:脚本家。小中監督の商業デビュー作『星空のむこうの国』(1986年)の脚本とノベライズを手がけ、以降も『赤いカラスと幽霊船』(1989年)などで小中監督作品の脚本を手がけている。2013年の劇場公開作に『監禁探偵』(及川拓郎監督)『江ノ島プリズム』(吉田康弘監督)『生贄のジレンマ』(金子修介監督)。
  • ※4:映画監督・プロデューサー。子役時代より俳優としてのキャリアも重ね、小中監督の『星空のむこうの国』で主演をつとめた。その後プロデューサーとして様々な作品に携わり、2013年公開の『TOKYOてやんでぃ ~The Story Teller's Apprentice~』で商業作品初監督。

「勝手な使命感を持っていて、その実験みたいな気持ちで作ったんです」

―― 映画化の上で重要だったのが、虫男をどう表現するかだったのではないかと思うのですが、CGで描くという方向は最初から決まっていたのでしょうか?

小中:最初はね、どうしようかと1回悩んで、まだ出資のめどが立つ前の時期に「人形アニメでやったらどうなんだろう?」って思って、自分でテストのモデルを作ったりしてたんです。それはある意味『七瀬ふたたび』(2010年)の延長線上で、『七瀬ふたたび』ではアナログ実験映画のようなことをあえて劇映画の中にバズバズと挿入していくスタイルはどうかなと思って、イメージシーンがいきなりアニメーションになったりとかをやったんですけど、今回も虫男をカタカタした人形アニメ感丸出しでやったほうが面白いかなと思ってね(笑)。今回は木村俊幸くんという「ウルトラ」とかでマット画を描いていたマットアーティストの人がVFXアートディレクターとしてクレジットされているんですけど、木村くんはPVの監督もやっているし、けっこう実験映画作家でもあって、チェコの映像作家のヤン・シュヴァンクマイエルの作品が好きなんですよ。それで、シュヴァンクマイエルの人形アニメみたいなイメージもあって、自分で作ったモデルを木村くんに合成してもらったりして、それはそれで面白かったんですけど、やっぱりかなり特殊な作品になってしまうかなと思ったんです(笑)。映画を商品として考えると、あんまり特殊なものだとお客さんが入り込めなくなるんじゃないかと思ったし、それで別の方向を考えたんですね。

―― それで、これまでもいろいろな作品でご一緒されているアニメーター・CGクリエイターの板野一郎さんが担当されているわけですね。

小中:ええ、実は今回のテーマとして、内容は『四月怪談』に近いんですけど、製作規模としては『星空のむこうの国』のようなスタイルで、自分がコントロールできる範囲内の低予算で早く撮りたいなというのがあって、この原作を選んだのは、女の子が街をさまようという、学校と家と街中くらいしか出てこない話でもあるし、低予算でできるんじゃないかという理由もあったんです。ただ、虫男だけがネックだったんですね。それで自分でやれる範囲をまず考えて、8ミリ時代に戻ったようなコマ撮りを考えたんだけど、やはり特殊なものになってしまう。いまキャラクターとしてちゃんと表現するには3DCGを使って板野さんのような人がアニメートして演出するのが理想だけど、それが予算の中でできるかなというのを次の段階で考えたんです。板野さんとは、仕事としてはテレビの「ウルトラマンネクサス」(2004年~2005年)が最後だったんですけど、そのあともぼくの映画を試写で観てもらったり、たまに飲み会で会ったりもしていて、ぼくの映画には協力してくれると言っていてくれたので、とにかくシナリオを読んでもらったんですね。そしたら「小中さんはやっぱりこういうのをやるべきだよね!」と言ってくれて、予算規模はともかく参加してくれるということになって、そっちの路線に切り替えたということなんです。

―― 今回は、その板野一郎さんもそうですし、プロデューサーの関顕嗣さんや、出演者でも『星空のむこうの国』に主演されていた有森也実さんほか、以前の作品でご縁のあった方々が大勢参加されてますね。

小中:ある種、集大成的な気持ちもあったのと、有森さんについては、今回は初期の作品テイストというのは意識していたので、以前ヒロインをやってもらった有森さんにお母さん的な役で、もう1回違う関わり方で同じような世界観のものを演じてもらうのは意味があるかなと思って、久々に出てもらうということだったんですよね。

―― そういうかたちで過去に縁のある方々が参加されているという作品のあり方自体も、ひとつの作品のテーマであるように感じました。

小中和哉監督写真

小中:そうですね。さっきもちょっと話したんですけど、今回の作品はもちろん商業ベースとして作ってはいるんだけど、原点回帰して「プロが作る自主映画」みたいな感覚があるんですよ。いまはほんとにDVDが売れなくなっていて、単館規模で公開した映画をDVDで(製作費を)回収してという世界があったんだけど、業界全体として「どう回収するのか?」というのが見えなくなっているんですね。ぼくもいろいろ企画を持って営業しているんだけど、自主企画でお金がかかるものは「どうやったら回収できるの?」という保障がない限りできないから、撮りたいものを撮るというのがひじょうに難しいんです。
 とはいえ、いま、これだけデジタル機材が進化しているからできることもあるんです。ぼくが『星空のむこうの国』を撮ったときは500万円の製作費で作ったんだけど、スタッフはほぼノーギャラで、でも16ミリフィルムで撮るとフィルム代とか機材費とかダビング代とか、どうしてもかかってしまうお金が500万あったわけなんです。それがデジタルの時代になって、そういうところにかかるお金はすごい圧縮されて、極端に言えば逆に人件費だけかかるんですよね。だから「金ないから映画が撮れません」という言い訳が言えない時代になっていると思っているんです。ぼくたちはプロで食っていかなきゃいけないからアレなんだけど(笑)。それで、今回はメインスタッフは少人数編成で、下にはいまぼくが教えに行っている読売理工福祉専門学校放送学科の学生たちなんかを付けていて、少数精鋭なんだけどそれぞれのパートにプロがいて、ちゃんとプロの技術を見せながら低予算で作り、そこで作家性がきちんと発揮されたものを成立させて、さらにちゃんと回収もできて「こういうかたちでインディペンデント映画というのは作り続けられるんだ」という実証をしながら状況をよくしていくしかないという勝手な使命感を持っていて、その実験みたいな気持ちで作ったんですよ。だから、過去に繋がりのあった方々にいろいろ迷惑をかけながら、でも「こういう映画やりたいよね」と賛同してくれる人に声をかけていったということですね。

―― 今回、監督の設立された会社であるこぐま兄弟舎(Bear Brothers LTD)が製作パートナーに名を連ねているのも、原点回帰した作り方という部分なのでしょうか。

小中:そうです。だから、ぼくの中ではこの作品は自主映画という感覚があるんですね。

―― 『赤々煉恋』は『四月怪談』の現代に合わせた語り直し的な作品にもなっていると思います。ちょうど若い観客のみなさんの反応にも触れられたばかりだと思いますが(※取材の前日に監督も出席しての女子高生限定試写会がおこなわれた)、その印象も含めて、この作品をどのように観ていただきたいかを最後にお願いします。

小中:やっぱりね、若い方ほど身近に感じてくれる作品だなというのは昨日の反応でも思いました。大人の感覚で言うと「死を選ぶ」というのはあまり考えられないことで、特殊な人のすることだとか思いがちなんだけど、そうではなくて、さっきまで笑っていた子がフッとそういうところに行ってしまうということにリアリティを感じてくれるのは、若い子たちなんだと思います。ぼくは自分の娘を見ているから「そうかも」って感覚はちょっとあるんですけど、そういう思春期の危うさというものは昔からそうだし、いまも同じなんだろうと思うんです。ぼくは『四月怪談』とか『星空のむこうの国』のころは自分が高校生のキャラクターと同化して作っていたんだけど、いまはぼくも人の親の年齢になりましたし、親の気持ちと思春期のころの気持ちと両方がわかるんですね。なので、両方の視点が入っているというのは『赤々煉恋』が『四月怪談』と違うところだと思うんです。親の視点と子どもたちの世界の視点の橋渡しというかな、映画を見ることで親は子どもたちがこんなことを考えているんだってわかってほしいし、子どもたちは親がどう感じるのかちょっと考えてほしいというか、そういう自分と違う立場の見方も含めて評価してもらえると嬉しいなと思います。

(2013年11月20日/アイエス・フィールドにて収録)

作品スチール

赤々煉恋

  • 監督:小中和哉
  • 原作:朱川湊人
  • 出演:土屋太鳳 清水富美加 吉沢亮 有森也実 大杉漣(声の出演) 秋本奈緒美 ほか

2013年12月21日(土)より角川シネマ新宿ほか全国順次ロードショー

『赤々煉恋』の詳しい作品情報はこちら!

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