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『怪談新耳袋 ノブヒロさん』豊島圭介監督インタビュー

 ベストセラーとなった実話怪談集「新耳袋」を原作に、テレビシリーズ、劇場版映画とさまざまなかたちで展開してきたホラームービーシリーズ『怪談 新耳袋』。開始から99作を数え、シリーズ集大成となる最新劇場用作品『怪談新耳袋 ノブヒロさん』がいよいよ公開されます。
 シングルマザーのエツコが仕事で出会った画家のノブヒロ。謎めいた雰囲気を持つノブヒロに次第に惹かれていくエツコだが、ノブヒロは急死、そしてエツコは恐るべき事実を知ることになる…。
 内山理名さんと平田満さんを主演に迎え、「原作の中で最も怖い」といわれるエピソードを映画化したのはテレビシリーズ「怪談 新耳袋」第一夜からシリーズに参加している豊島圭介監督。豊島監督自身にとっては初の長編劇場用作品となったこの作品についてお話をうかがいました。

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豊島圭介監督プロフィール
1971年生まれ。東京大学在学中から自主映画を制作し『悲しいだけ』でぴあフィルムフェスティバル94にノミネート。大学卒業後、ロサンゼルスのアメリカン・フィルム・インスティテュート監督コースに留学。帰国後、脚本家、監督として活動を開始。『怪談新耳袋 ノブヒロさん』が初の劇場長編監督作となる。現在、(有)シャイカー所属
脚本作に『張り込み』(2000年/篠原哲雄監督)、『援助交際撲滅運動地獄変』(2004年/鈴木浩介監督)、監督作に「怪奇大家族」(2004年:テレビシリーズ)、『怪談新耳袋劇場版』(2004年:オムニバス作品)など。監督作『コワイ女』、『夢十夜』が2006年秋以降に公開予定。

シャイカー公式サイトhttp://www.shaiker.co.jp/


結局は面白い物語を作ることだと思った

―― 『怪談新耳袋 ノブヒロさん』を監督することになったきっかけは?

豊島:2年前に『怪談新耳袋 劇場版』というオムニバスの映画版を作ったんですけど、それの評判が良かったので、第2弾として長編を2本やることになったんです。原作がふたつ決まっていて、ひとつが吉田秋生さんが撮って昨年公開された『怪談新耳袋 幽霊マンション』で、もうひとつが『ノブヒロさん』だったんですね。それで「どっちをやりたい?」みたいなことを言われたんです。そのときはまだ脚本もできてなかったんですけど、『幽霊マンション』はタイトルからして幽霊てんこ盛りの企画になるだろうと。『ノブヒロさん』の方は、ノブヒロさんとエツコとの恋愛話でもあるし、情念の話なんで、ビックリ箱形式のギミックホラーではないものができるかなと思って『ノブヒロさん』をやらせて欲しいと言ったのがきっかけですね。

―― 映画は、原作からあまり大きなストーリーや設定の改変はありませんね。

豊島:原作は以前に読んでいて、200年前の恋仲うんぬん(*1)というのが気になって良く覚えていましたし、事実なんですけどでき過ぎているくらいの話だと思っていたので、そこは忠実にやろうと思ったんです。ただ、生まれ変わりというのは原作ではお坊さんが言っているだけだったりするので、説得力を持たせるための補強をしましたね。それが、ノブヒロの部屋で見つけるカセットテープであったり、写真だったりするんです。

―― 約90分という長さは豊島監督の今までの作品の中でも一番長いですね。

豊島:今までに長編の脚本も書いていたので、長さに対する苦手意識はなかったんです。ただ、今回はノブヒロが死ぬ前の、男と女の人間関係の部分をどう描くかというのがひとつのテーマだったんですけど、後半いろいろ目白押しなので、そこはあんまり長くできないじゃないですか。だから、前半の幽霊とは関係のない人間関係のところをどう怖くするかというのが脚本作りのポイントでしたね。
 今では、前半がもう少し伸びても良かったかなと思うところもあるんです。実はこの前「映画秘宝」という雑誌の企画でモデルとなったエツコさんご本人にお会いしたときに、原作には載っていない話が飛び出したんですよ。実際のノブヒロさんは非常に嫉妬深い方で、当時68歳だったので老いに対する引け目みたいなものもあったらしいんです。エツコさんは会社の社長をやっているようなキャリアウーマンで、わざと嫉妬させようという悪戯心もあったんだとぼくは思うんですけど、若い男ふたりを連れてノブヒロさんと4人でカラオケに行ったんですって。そしたら歌っているうちにノブヒロさんが「君がカラオケを歌うような下品な女だとは思わなかった」と怒り出して、ひどい雨の日だったんですけど店を出て帰ってしまったんですって。それでエツコさんは若いふたりに「ほっときなさいよ」と言って、2時間くらい歌ってから店を出たら、雨の中でノブヒロさんがずぶ濡れになってずっと立って待っていたというんです。それはもし原作にあったら間違いなく映画に入れたエピソードだと思うんですよね。

―― 長編であること、それから作品全部をひとりで手掛けるというのは、今まで手掛けられてきた「新耳」のテレビシリーズやオムニバス映画版との違いですが、そこで特に意識された点はありましたか?

豊島:ぼくは第一夜からずっと「新耳」をやってきているので周りから「新耳優等生」って言われているんですけどね(笑)。テレビ版の魅力って、5分という長さで突き放すような「やり逃げ」だと思うんですよね。長編だとそれはできないし、短いもののラッシュをやってもしょうがないので、結局は物語だと思ったんです。面白い物語を作ること、それからエツコという人の感情、ノブヒロという人の感情にどれだけ入れるような物語ができるかが勝負だと思って意識していました。
 ひとりでやるということについては、ロケハンにいちいち大勢で行かなくて済むから助かったなあ(笑)。実は、撮り終わって最後のダビングが終わるまで、今までのテレビや短編と変わんないなって思っていたんですよ。でも、最後の作業が終わって完成したときは、ぼくのピン(ひとり)の長編がこれでできたんだと思って、すごく嬉しかったですね。

―― ここ数年、ほんとに多くのホラー作品が作られているので、その中で新しい作品を作るのは大変なことなのではないかと思うのですが?

豊島:幽霊表現っていうのが出尽くしている感があったんですよね。この映画でもボヤっと見える幽霊の描写とかをやってはいますけど、それは「怖いものが始まりますよ」という定番の表現としてやっても良いなと思ったんです。ただ、それで終始してしまうとしょうがないので、何かを発明しなくてはならない。それが音を使ったカセットのギミックであり、あとは平田満さん演じるノブヒロさんの演出ですね。平田さんのような有名な俳優さんが幽霊をやるケースは最近の作品ではあまりないと思うので、差別化というところでいうとそこですね。多くのお客さんにとって平田さんは知っている俳優さんなわけですから、それをどうやって怖く見せるかということに一番腐心しました。映画の最後のほうでノブヒロさんがかなり大暴れするんですけど、そこはシナリオでは「スーッと寄ってくる」みたいに書いてあったんです。でも、それじゃ気持ちのレベルも上がりきらないし、平田さんが『回路』の幽霊(*2)のように寄って来ても怖くないだろうと。だから、最後はどうやって記憶に残るシーンを作るかということに腐心したんです。試写での反応を見ていると、その辺でクスクス笑っている人がときどきいるんですけど、それは良かったなって思っているんですよ。笑える瞬間って、寒い笑いの場合と、登場人物のリミットがポーンと飛んでしまって、あまりに本気で笑える場合とがあると思うんですけど、そっちに転ばないかなと思っていたんです。その狙いに内山理名さんと平田満さんが応えてくれたのが、あの結果になったのかなって思います。
 あと、ぶっちゃけ音楽の遠藤浩二さんには「『ハロウィン』(*3)を作ってくれ」って言ったんですよ(笑)。いわゆる心霊実話系ホラーの音楽ってヒュードロドロな感じが多いんですけど、それはやめたいと。そのときからノブヒロさんが幽霊ではなくて、実体化している何者かであると考えていたんです。それは『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズ的な存在なんじゃないかと思って、音楽も『ハロウィン』だったんです。ただ、遠藤さんに『ハロウィン』のサントラを聴いてもらったら、さすがに20年以上前の音楽だから音もチープなんで「こんなチープな音楽は作りたくない」って言われて(笑)。だから、それを遠藤さんが納得いく現代の音楽にしてくれた感じですね。

*1 200年前の恋仲
映画ではこの設定は80年前に変更されている。
*2 『回路』の幽霊
黒沢清監督の『回路』(2000年)は幽霊役に舞踊家を起用し、その特異な動きは大きな話題となった。ビデオ版「ほんとにあった怖い話」(1991年/鶴田法男監督・小中千昭脚本)以降、日本のホラー作品で試みられてきた心霊表現のひとつの完成形である。
*3 『ハロウィン』
1978年に公開されたジョン・カーペンター監督のスラッシャー映画。音楽もジョン・カーペンターによるもので、テーマ曲はカーペンター以外の監督が手掛けた続編でも引き続き使われている。マイケル・マイヤーズは『ハロウィン』シリーズに登場する殺人鬼。



内山理名さんはどんなことにも立ち向かう根性の人

―― エツコ役の内山理名さん、ノブヒロ役の平田満さんはどのようにして決まったんでしょうか?

豊島:内山さんは一番最初に決まったキャストなんですけど、ぼくはエツコはお母さんの役だから20代後半の人がやることになるのかなあと思っていたんです。でも、プロデューサーから内山理名さんに初の母親役をやらせようという提案がありまして、ぼくもそれは面白いかなと思ったんです。

―― 内山さんが母親役というのは意外なキャスティングでもあるんですが、母親らしさを出すために気をつけた点はありますか?

豊島:母親とはいえ、旦那の脇にいて子育てをするっていうお母さんではなかったので、とりたてて母親らしさみたいなものはあんまり考えなかったのかなあ。「母親というより、自分の体の一部のような大事なものを守ろうとするんだ」というようなことを内山さんと話はしましたけど、ぼくも子供がいないし、内山さんも子供がいないし、根本的な親子の情みたいなものっていうのはわからないですね。そこは子供を持っている人から「違うんじゃないか」っていう意見があったんですけど。しかもラストの結論は「子を守るため」なのか「子を捨ててでも」なのか、どっちにも取れるんですけど、ぼくは現場では後者でやっていたんですね。内山さんもたぶん内山理名さん自身としては心情的にわからなかったと思うんですけど、エツコという人をそう作ろうというアプローチをしてくれたんですね。ときどき、子供を置いて駆け落ちしちゃう母親っているじゃないですか。そういう人はどんな気持ちだったんだろうねとか、そんな話をしながらやってましたね。

―― 平田満さんについては?

豊島:ぼくがノブヒロ役は平田満さんでやりたいと言って、それが通ったかたちですね。静かに怖い人を探していたんです。原作どおりにやると、フェミニンで派手な格好をしているという人物なんですけど、ギミックとしての幽霊だけではないので、お芝居ができないとダメじゃないですか。それで芝居巧者のベテランを呼びたいと思ったんです。平田さんはこの映画のあとで「白夜行」(2006年/TBS系)とかテレビドラマでひどい男の役をやり始めたんですけど、それまではずっと良いお父さんだったり良い会社員の役が多かったので、平田さんに弾けてもらうと面白いんじゃないかなというところですね。

―― 製作発表会見では、おふたりとガチンコで勝負できたのが面白かったと話していましたが、具体的に撮影中にはどんなやり取りがあったんですか?

豊島:内山さんは、ワンシーンの中で3つ位の感情を順番に表現しなきゃいけなかったり、理屈では理解できないことが多かったので、それをどう体現するかにすごく苦労されていたんですけど、ほんとに「あたし女優ですから」という意識が高くて、どんなことにも文句を言わず立ち向かうという根性の人なんで、ぼくが一生懸命説明することをなんとかわかろうとしてくれるんです。お互い必死な気持ちでディスカッションするみたいな感じで、それはなんか楽しかったですね。内山さんは撮影が10日間のうち9割5分出ているんですけど、今回は助監督さんがいいスケジュールを組んでくれて、ほぼ順撮りだったんです。だから段々と感情も作られてくるし、肉体的にも疲弊してくるわけですよ(笑)。それがいい感じに相まっていたかと思いますね。
 平田さんはこういう風にしようか、それともこういう風にしようかっていくつもやってくれるタイプの人でしたね。生前のノブヒロさんって、怪しくしようと思えばいくらでもできるんですよ。でも、マンガみたいにするつもりはなかったので、ノブヒロさんの優しさとか柔らかさが思い返せば怖いってところを狙ったんです。そこは平田さんがいろいろ提案してくれたところからぼくが選ばせてもらったんです。

―― 出演者では、子役の岩本千波さんも重要な役を見事に演じていましたね。

豊島:千波ちゃんは天才でしたよ。立っているだけ、座っているだけでなにもしないでそこにいるのって俳優にとって難しいことだと思うんですけど、それができるんですね。それからほんとに勘が良くって「あっちを向いてこっちを向いて、それからクルっと回って手を上げる」とか段取り臭いことも言ったんですけど、それを忘れないんですよね。すごく良かったし、撮ってて楽しかったですね。こないだ小1になって、クラスの自己紹介で「私は大女優になります」って言ったそうですよ(笑)。あと、悪戯盛りなんでね、白目を剥いて呼吸困難になるシーンがあるんですけど、カットがかかっても止まらないんですよ。ほんとに過呼吸になっちゃったのかと思ってみんなアタフタしだしたら「へへっ」とか言いながら舌を出したり、そんな悪戯少女でもありました(笑)。



論理化できないところにまでいかないと映画は面白くない

―― この映画は心霊物であると同時にストーカー物でもありますよね。監督自身、ストーカーという存在に興味は?

豊島:ぼく自身は妄執的に女の人に惚れたりもしないし、ストーカーって基本的に迷惑ですからね。共感する部分はないんですけど、一線を越えて壊れてしまった人っていう意味での興味はあるかもしれませんね。ノブヒロが暴れるときに、平田さんに「ノブヒロさんは人間でも幽霊でもなくて“想いの塊”なんです」って話をしたんです。エツコに対する想いは言葉にするといろいろあると思いますけど、いろいろな想いがグチャグチャになっての塊で、もう目の前の人に向かっていくしかない。だから、拒否されると「悔しい」とかって感情が全部肉体表現として出るんだみたいな。そういう意味では「行き過ぎた想い」みたいな表現にはこだわっていたかもしれません。

―― 主要な登場人物がかなり死んだり、ホラーだから当然なんですけど、悲惨な話ですよね。

豊島:人が死ぬのって現実世界では最悪のことですけど、単純にホラー映画なんで、どんな死に方をするかも含めてエンターテイメントとして楽しみだったりするじゃないですか。そういう単純な理由と、ノブヒロの想いを具体的に見せる方法として、自分とエツコの間に入ってくるものはすべて抹殺するんだという心情的な要請と、両方ですね。

―― 高橋和也さんが演じる藤村の死に方はかなり強烈ですね(笑)。

豊島:あれはね、ノブヒロがどうやって自害したかっていうのをどこかで見せておこうと思ったんですね。ノブヒロの死に方はカセットテープの音で表現しているんですけど、それを効かせるためには、実際に器具を使って身体を破壊するところを見せておこうと。ぼくの趣味ではなくて、そういうシナリオの要請ですね。もちろんああいうのが好きでもあるんですけど(笑)。

―― お話をうかがっていると、この作品は作品全体としても「今、ホラーを作るならどうあるべきか」とか、作品内でも「あとでこれをやるためにその前にこれをやっておく」というように、かなり論理立てて作られているように感じます。

豊島:それはそうかもしれませんね。たぶん、ぼくは何を作るときもそうなんですよ。テレビの「怪奇大家族」(*4)をやっていたときもそうで、あのシリーズは“清水崇 Presents”なので、1話、2話はぼくがやりたいことより『呪怨』テイストを入れつつどう笑いにするかということを考えてやっていたんです。ぼくが単純にやりたいことをやったのはむしろ7話、8話だったりするんですよ。そういう生真面目さみたいなのは良しにつけ悪しきにつけあるので「これをやりたいからそのためにこれをやる」っていう部分は当然あって。ぼくはロマンポルノみたいな情念の世界をやりたくて、シナリオや準備でそういう風に組むんですよ。でも、それを俳優さんが肉体表現にするときに、どうしたらそれより上に行けるだろうかと考えるんです。だから、『ノブヒロさん』の終盤でノブヒロさんを暴れさせるのは現場での思いつきだったりするんですよね。シナリオとか文字上で計算されたものから、論理化できないところにまで行かないと映画は面白くないと思っているんです。その結果がどうなったかはわからないんですけど、試写での反応を見ると、論理化できないところに行けたのかなとは思っているんです。

―― 豊島監督はプロとしてお仕事をされるようになってからホラーを手掛けられるようになって、それはホラーを作る監督がたくさんいる中で豊島監督のひとつの特色かなと思うんです。ホラーに対する距離感というか捉え方に、ほかの監督とは違う部分があるのではないでしょうか。

豊島:ぼくはホラーは大人になってから観たから、周りのホラーで育ってきたような人たちに比べると本数も観ていないですし、観方も違うと思いますね。でもこの5年間ホラーばっかり観ていますし、青春を取り戻している感ってあるんですよ(笑)。ついこの前も『ゾンゲリア』(1981年/ゲイリー・A・シャーマン監督)という作品を観て、ぼくはああいうのは大好きなんですね。それを中学生のときに観ていない欠落感みたいなものをいま取り返している感じかなあ。もうひとつ、ぼくはジャンル映画をやることの面白さをホラー映画で知ったんですよね。だから、ほかの監督が「ホラー嫌いなんですけど仕事だからやってるんですよ」みたいなことを言うのは許せないんですよ。ぼくは自分が面白いと思っていることに忠実にやっているつもりでいるんです。それははっきりとお伝えしておきたいですね。

―― 現在、ホラーが日本を代表するジャンルのひとつになっていますが、ジャンルとしてホラーがブレイクしていくのを作り手の側からはどうご覧になっていましたか?

豊島:今のホラーブームがなければ「怪奇大家族」もなかっただろうし、自分がああいうものを生み出せるということにも気づいてなかっただろうから、今、こういうところに自分がいるのは良かったなと思いますね。昔、ぼくが身を置いていた環境よりも、今いる場所のほうが周りの人間が良い意味でガキですね、『新耳袋』のプロデューサーも含めて(笑)。中学生スピリットというか稚気みたいなものがあって、非常に健全な気はします。
 少し前の日本映画の状況って、にっかつ出身の監督たちが角川映画を撮っていた時代なんかは作家主義が重視されていたんですよね。それで2時間の映画なのにラッシュが4時間以上あったとかいう状況があって、ぼくはそういう作品も好きなんですけど、それは不健全だと思うんですよ。そういう時代が終わって、ジャンル映画を撮ろうとする監督が増え、ぼくらの世代の監督が作品を撮れている中で、自分たちが育ってきたものを素直に出している今の状況は健全だと思うんです。だから、もちろんぼくも含めて、ぼくらの世代がどんどん一線で撮っていくようになったときは面白いと思いますよ。そんなことを考えています。

―― 豊島監督は自主作品でもエンターテイメント的な作品を作られていて、エンターテイメントであること、商業作品であることに対して自然に取り組まれている感じがします。

豊島:でもそれは、作ったら大勢の人に観て欲しいという単純な話なんですよね。ぼくの友人とかが良い映画を撮ったりもしますが「良い映画だけど、これは人は観に来ないよね」って思うことはあるんです。良いものができてそれで終わりならいいですけど、映画館に行ってお客さんがつまんなそうな顔していたら寂しいじゃないですか。映画館から出てくるお客さんの反応でその映画が面白いかどうかわかりますよね。割と最近の作品でぼくが覚えているのは『スクール・オブ・ロック』(2003年/リチャード・リンクレイター監督)で、出てくるお客さんがみんなニッコニコしてましたからね。あと『ウォーターボーイズ』(2001年/矢口史靖監督)もカップルとかがニコニコして観ていたし。
 『ノブヒロさん』もたくさんの方に観てもらえると嬉しいですね。あんまりニコニコはしないとは思いますけど(笑)。内山さんと平田さんの演技のぶつかり合いはぜひ観て欲しいですし、ワーワーキャーキャー言いたくて来てくれるお客さんのために作ったものですから、客席で「ハッ」とか「キャー」とか驚いてくれると良いですね。

(2006年6月29日/シャイカーにて収録)

*4 「怪奇大家族」
2004年にテレビ東京系で放映されたホラーコメディドラマ。豊島監督は『呪怨』などの清水崇監督とともに企画監修・原案をつとめ、第1話、2話、7話、8話を監督。

 今回のインタビューでは、作品のディティールよりも、豊島監督がどんな意図を持って『怪談新耳袋 ノブヒロさん』に取り組まれたかに比重を置いて話をうかがってみました。
 実際に豊島監督が映画にどんな仕掛を散りばめたのか。それはぜひみなさんご自身でスクリーンで確認し、驚き、そして恐怖していただければと思います。


怪談新耳袋 ノブヒロさん
7月22日(土)より、六本木シネマートにてロードショー 名古屋シネマスコーレ特別先行ロードショー ほか順次公開
監督:豊島圭介
出演:内山理名、平田満、高橋和也、田島令子、岩本千波 ほか

詳しい作品情報はこちら!



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